繋がり。***12



──10年前 某病院内───


「──死者2名。重体者3名。うち軽傷が1名か…」
中年の刑事は再び現場検証を行うため封鎖された小児病棟へと続く病院の廊下を若い警官と歩いていた。
「悲惨な現場状況だったそうです。ベテランでも吐いた奴がいたとか」
「助かった子供達の様子は?」
「はい、重体だった3名の子供達のうち、2人はまだ意識不明の重体ですが、1人が意識を取り戻しました。
本格的な事情聴取はまだ難しいですが、ただ…」
若い警官は言葉を濁す。
「ただ、なんだ?」
「事件のショックから…何も、覚えていないんです。事件の記憶だけが抜け落ちているようで、自分が刺されたことも
何故自分が大怪我をしているのかと不思 議が っているそうで、手術をした、と両親は本人に話したそうですが…」
「無理もない。目の前で殺戮が起ったんだ」
中年刑事は溜息を吐き出した。多くの殺人事件を扱い現場を見慣れてはいるものの、
子供相手に無差別な殺戮が行われたのだ。あまり気分のいいものではない。
「ええ、本当に、なんて言ったらいいか…」
若い警官は悔しそうに顔を歪めた。警官は、ライマンは思い出していた。その子供が意識を取り戻したと連絡を受けて
別の刑事と共に病室へ立ち会っていたのだ。医師の立会いの下その子供と話ができたのはほんの2、3分が限度だった。
事件の内容を聞いてもその子は何も知らない様子でただ力なく、小さな声で答えたのだ。
「シオンはどこ?クレアはどこ?」「早く 、シオンとクレアに会いたいな」と。


その二人が現在も集中治療室で意識不明の重体であるとは知らずに。



──そして時は流れること10年。当時まだ警官だったライアンは今は刑事課に所属する刑事になっていた。
10年ぶりに再会したあの時の子供は高校生になっていた。子供の成長は早いものだ。
今はロスと名前を変えたルキメデスの息子と一緒にいて、一目でわかった。その息子が住んでいるアパートが全焼したと聞いて
何か過去の事件絡みで繋がりがないかと調べを進めていた時だ。あの子を見かけたのは。
あの火災現場で不安そうに規制線の向こう側をじっと見つめていた横顔が思い出される。

当時実行犯であるディツェンバーと首謀者であるルキメデスは逮捕され、1年程服役していたが
突如2人は忽然と刑務所から姿を消してしまったのだ。脱獄と当時は大変な騒ぎになったが
警報装置は作動せず、残された独房には2人が逃げた痕跡が何一つ残されておらず、
本当に突然姿を消してしまったという表現が一番しっくりした。そう、まるで神隠しにあった気分だった。
そして彼の直属の部下だった12名の内、事件に関わっていたと思われる数名が未だ行方知らずだ。
それに何故あのような殺戮を行ったのか動機についてもはっきりしていない。まだまだ謎が多く残された事件だ。

折を見て再びあの子に話を聞こうと近づいて、あっさりと息子に妨害されてしまったが…あの反応…
『ルキ、メデス…?』
彼の反応はその名前を初めて聞いたような、確認するとでもいうような囁きだった。
まるで過去の事件そのものを知らないとでもいうような顔つきをして。同時に息子の方はおっかない形相でこちらを睨んでいたが。
あの息子と今でも交流があることが分かり、てっきり記憶を取り戻していたと思っていたんだが、
やたらこちらを敵視して警戒していた息子の態度を見れば、恐らく思い出してはいなかったのだろう。

だとしたら自分はお節介な引き金を引いてしまったのかもしれない。
さて、できればもう一度話をしたいのだがどうもその隙をなかなかあの息子は許してはくれない。
あの子の側には常に彼が見張っている印象だし、家を訪問しようものなら門前払い。
何度か息子がバイトに行っている間の時間を狙って話しかけたのだが「い、急いでますので!」の一言でいそいそと走り去ってしまうほどの徹底ぶりだ。
追いかけても意外に足が速くまさか自分が高校生相手に巻かれるとは思いもしなかった。現職の刑事相手になかなかやってくれる。
さて、次はどうしようかとライマンは再び物思いにふけることにした。



***



欠けていた記憶のピースが埋まっていく。失くしてしまったものが一つ、また一つと。
あの夜の、あの日の出来事が思い出されていく。





退院を明日に控えたその前日の夜。特別にシオンも病室に泊まる事になった。
ボク達は消灯時間が過ぎてもクレアのベッドの上でひそひそと3人で内緒話をしていた。
時にはカードゲームをしたりトランプをしたり携帯ゲームをしたりと話しても話してもキリがない。
見回りの看護師さんが来た時だけクレアだけ頭を出して、ボクとシオンはベッドの中に隠れて寝たふりだ。
もちろん、ボクのベッドには枕を2つほど忍ばせてボクが寝ているように細工をしている。今までだってばれたことがないんだ。
こんな時間が今日でおしまいかと思うと本当に寂しい。だって明日になったら2人とお別れしなくちゃいけないんだ。そう思うとまた泣きそうになった。
そうして夜が更けていき、いざ寝ようとなった時に、本当は3人で一緒に寝たかったのだがベッドは流石にくっつけて寝ることができない。
クレアはにやにやしながら「シーたんはアルたんのベッドで一緒に寝なよ」と言った。
そしたらクレアはシオンに殴られた。いつもの事だ。でも、シオンはボクのベッドへ来るのをなんだか戸惑っている。
嫌なのかな。ボクはちょっと悲しいって思った。
「シオン、ボクと 一緒に寝るの嫌?」
「い、い や、なわけ…」
シオンにしては珍しく口ごもる。
「嫌なわけないじゃん。だってシーたんはアルたんが─ゴフ」
ああまたクレアが殴られちゃった。シオンはちっと舌打ちをして、ベッドの上にいるボクと目が合った。
ボクは笑ってぽんぽんとベッドを軽く左手でたたいてシオンを呼んでみた。するとしぶしぶシオンはベッドの上に来てくれた。よかった。
ボクはもぞもぞとシオンからもらった赤いスカーフを枕元に置いた。常に手が届くところに置いてあるんだ。
「お、お前それ…」
「うん、シオンのスカーフ。へへ、大切だからいつも一緒に腕に巻いたりして寝てるの。なんか落ち着くんだこれがあると」
クマっちの代わりと言ったらおかしいけど、どうしてかこのスカーフがあるとシ オンがいつもそばにいてくれ るような気がして
とても安心して眠れるようになったんだ。恥ずかしくてその事は2人には秘密だけど。
「!!」
そんなボクの発言にシオンはとってもびっくりした顔をした。そしてそのあとぷいっとボクに背を向けてばさっと掛布団をかけて横になってしまった。
ボクもシオンに続いて横になった。
「馬鹿じゃないの。そんなの、持って寝るとか」
多分照れたのだろう。暗がりでよく表情は見えないけどなんとなくそんな気がした。
「ねえシオンこっち向いてよ」
「嫌だ」
「シオンの顔見たいよ!顔見て寝たいよ!」
びく、っとシオンの身体が固まった。
「アルたんってさ…」
まだ上半身を起こしていたクレアは何か言いたげにシオンの顔とボクを交互に見てい る。
「 何?」
にやっとしたクレアにシオンがボクの方に向き直って、ボクの頭を殴った。チカチカと星が飛んでものすごく痛い。
「な、なんでぶつんだよ!」
「お前ってホンットむかつく!」
「だからなんで!?」
「ねえ〜2人の世界に入らないでよ〜オレもいるのに〜」
「てめーはさっさと寝ろ!」
シオンはベッドから抜け出すとシャーっとクレアのベッド周りのカーテンを閉めてしまった。
「ひどい!」
けれど、その会話はそれ以上続くことはなかった。カツンカツンと廊下を歩く音がしたのだ。
誰だろう、見回りの看護師さんはさっき来たばかりだ。ボクは隣にいたシオンと顔を見合わせた。
そしてがらり、と病室のドアが開いた。突然の事に驚いてボク達はドアの方を見た。
そこにはボク達がよく知っている人がいた。シオンのパパさんだ。それともう一人、知らない男の人がいた。目つきが鋭くて怖い。真っ黒な服に
真っ黒なコートを着ていて首周りにはもこもこしたのがついている。ボクは不思議に思い再び隣にいたシオンと顔を見合わせた。
「おやおや、まだ起きていたんですか」
優しく微笑むパパさん。
「パパさん?どうしたの?こんな時間に」
クレアがベッドから降りてパパさんと男の人に近寄った。
「後は頼みましたよ、ディツェンバー」
「はい」
男の人が頷いた。そして男の人は、いや、その男は何かを手に取りだしたのだ。それは、ナイフで。
クレアが、クレアが、血を吐いて、床に倒れた。
男がクレア目掛けてそのナイフを、刺したのだ。


「え」


目の前で、何が起きたのかすぐに理解できなかった。
「 クレ…ア……?」
ボクは呆然とクレアの名前を呼ぶ。だって、倒れたのだ。クレアが、血を吐いて。
「何して…」
シオンが、言った。
「お前何してるんだよっ!!!!」
シオンの叫び声に異変に気付いた他の子達がベッドから起きてくる。閉じられたカーテンが開いて小さな明かりが灯る。
何事かとこちらを見るみんな。1人がクレアの倒れている姿を見てひ、と小さく悲鳴を上げた。


そして、始まったのだ。悪夢のようなあの忌まわしい惨劇が。


パパさんの側にいた男は手始めに逃げようとした男の子を捕まえて、手に持っているナイフを高く振り上げた。
男の子は真っ青になって恐怖で言葉を無くしている。
「見、見るな!!」
咄嗟にシオンはボクを抱きしめた。ボクもぎゅ、とシオンに抱き着いて目をつぶる。本能的に見てはいけない と
心の中で警報が鳴った。ぴしゃりと嫌な音が、耳に届く。どさりと何かが倒れる鈍い音がした。
「た、た、助けて!!!!」
「いやああああああ!!」
あちこちで悲鳴が上がる。なにこれ。なんなんだよこれ。…クレア!!
ボクは、ボク達は顔を上げて急いで倒れているクレアに駆け寄った。
「クレア、クレア…!!!」
クレアは動かない。うつぶせで倒れたままだ。ぬるりと生暖かいものが床を濡らしていた。クレアから、流れ出た血だ。
「ク、クレア…、クレア…!!やだ、クレア!!」
泣き叫んでもクレアは動かない。さっきまで笑顔だったクレア。でも、動かない。シオンは呆然と倒れているクレアを見ているだけだった。
「やだ、やだよ、なんで、なんで…!」
ゆさゆさともう一度クレアの身体をゆすっても、動かない。


「シーたん、もっともっともっと絶望しなよ。大切なお友達が死んじゃったんだから」


「パ、パパさ、どう、し… 」
「どうして?必要だったからだよ。人間の悲しみと憎しみは莫大な魔力を手に入れる材料になるからね」
「な、なにいって…」
「信じられないのも無理ないよね、でも、魔法は実在するんだよ。そう、私は魔法使いなんだ。
私はその研究をずっと密かに行っていたんだ。そしてアルバ君とクレア君はとても素晴らしい魔力の持ち主だった。
君のその左目は魔力が高い影響なんだよ」
訳がわからないよ。
「それがどうだ!魔力の高い人間がシオンの友達としてこの病院に2人もいるなんて!私はなんて幸運に恵まれているんだ!」
知らない、こんな、こんなパパさんなんて知らない…!
「狂ってる…」
呟いたのは、シオンだった。
「そして辿り着いたんだ。たくさんの魔力を手に入れる方法を」
何、あれ。シオンのパパさんの手の中には真っ青な炎があった。透明な入れ物の中に、本当に、綺麗な、青い火。
「次はそっちの子だ」
シオンのパパが、にやりと笑ってボクを指差した。
「やめろ!!!」
シオンが叫ぶ。先ほどまで他の子達を襲っていた男が、ボクを見た。にやりと笑う。 ボクは、怖くてその場を動くことができずにいた。
「逃げろ!!!!」
シオンがボクの手を引いて走ろうとするが、ボクの足が、動かない。
「アル─」
男はドン、とボクにぶつかった。お腹に何かが、当たった。
男が離れると、ぬるりとした血がお腹のあたりからじわりじわりと白いシャツを染めていく。
痛みがじわじわと腹の辺りから広がっていき、立っていられずに膝をついて、視界が反転し顔が頭が床にくっついた。
倒れたのだ、ボクは。お腹、痛い。痛い。怖い。怖い。なにこれ。血が、血が、止まらない。息が苦しい。
シオンが、シオンが呆然とボクを見ている。ぽろりと左目から涙が零れ落ちた。シオン、シオン、泣かないで。
ダメ、だ。声、でない。ぼやけてくる視界。こ つこつと誰かの足がこっちに近づいてくる。何、嫌だ、怖い。怖い。
「ああ、待ってくれ」
パパさんの声だ。足音は止まった。パパさんはボクの顔を覗き込んで。笑った。
「うん、まだ意識はあるね。傷もそんなに深くないし。ほら、シオン」
パパさんは呆然としているシオンに声をかける。ボクは力を振り絞って閉じてしまいそうな眼を必死に開けた。
身体を起こそうとするが、足に力が入らない。首を何とか動かしてシオンとパパさんを見た。
パパさんはシオンの後ろに立つと後ろから何かを握らせた。それは、真っ赤に染まったナイフだ。
パパさんの手が離れるとシオンはそれを落としてしまった。カラン、と落ちるナイフ。血が、たくさんついている。
シオンの手にも、ナイフに も、服にも。シオン、泣かないで。
「 ああ、駄目じゃないか。ちゃんと持たなくちゃ」
シオンが落としたナイフを再び握らせようとするパパさん。
「な、なに、を…」
「お前の手で、アルバ君を楽にしてあげなくちゃ。痛くて痛くてかわいそうだからね」
シオンの顔から、表情という表情が消えた。
「い、いやだ…やめろ、やめろ!!」
パパ、さん…?パパさんは、ボクを、見た。目が、あって。
「前に話しただろう?アルバ君。君に頼みたいことがあるって」
パパさんはにやりと笑って、一歩、また一歩とシオンにナイフを掴ませた両手を握りながらシオンと共にこっちに近づいてくる。
カツン、カツンと靴の音が近づいてくる。
「そう、君の命を差し出してくれればいいんだよ。シオンが大切にしている君の命を」
「!!!」
「やめ、ろ!!」
「ほら、こうすればいい」
「やめて、いやだ!いやだああ !!いやだよ父さんっ!!!」
悲痛に泣き叫ぶシオンの腕をつかみ、その腕が、ナイフが、シオンが持っているナイフが、ボクに、



「シオ………」



お腹に何かが入ってくる感触。歪む視界。飛び散る涙と、赤い滴。
ボクは意識を失った。



***



「う、うわあああああああああ!!!!!」
ガタンと大きな音を立てて椅子が倒れた。ボクは両手でその両耳を塞ぐ様に頭を掴んだ。
一度に流れてきたたくさんの記憶。思い出。
「アルバ君!!」
「クレア!クレア!!あの後、あの後シオンは、クレアははどうなったの!?シオンが、シオンの、持っていたナイフが、ナイフが…!!」
クレアはボクの両肩をしっかりと掴んで、目が合って。
「落ち着いて、落ち着いてアルバ君!」
「だって、そうだ、クレアも、シオンも、血まみれになって…!?」
みんな、みんな、刺されて、倒れて、動かなくて!!


「しっかりして!!」


パンと乾いた音が響き渡った。頬を、叩かれたのだ。クレアに。
「あ……」
ボクは呆然とクレアを見た。右頬がじんじんと痛みが広がっていく。クレア、クレアは、ここに、いる。血も出てない。倒れてない。
そんなボクをクレアはぎゅ、っと強く抱きしめてくれた。
強く強く、抱きしめてくれる。クレアの温もりが伝わってくる。
「アルたん、大丈夫。オレはここにいるよ?ほら、ちゃんと生きてる」
「クレ、ア……」
クレアは一度身体を離すとボクの右手を取って、自分の心臓の辺りを触らせた。
大きく息を吸って吐き出し呼吸するクレアの身体。とくん、とくんと伝わってくる心臓の音。そして再びボクを抱き寄せた。
「シーたんも、ちゃんと生きてる。アルたんが一番よく知ってるでしょ?」
生きて、る。シオンも、生きてる。
「ロ、ス…」
ロスの笑顔が脳裏に浮かぶ。ぷえーぷえーといつもボクを馬鹿にして。
だけど、時折優しく笑ってくれて。ボクはそんなロスの笑顔が好きで。大好きで。
「そう、そうだよ。ロスはシーたんだよ」
ボクはかくんと両膝に力が抜けてその場にしゃがみ込んだ。ボクにつられてクレアも一緒にしゃがんでくれた。
宥めるように背中を撫でてくれる。
「何があったんだい!?」
ボクがあげた悲鳴にルキのパパとママが大慌てで二階に上がってきたんだ。
けれど2人を気にする余裕はボクにはなかった。ただ、ただ茫然と目の前のクレアを見て、視線を下へと落とした。
「それが…」
クレアは2人に何が起きたのか簡単に説明をしているがボクはそれを他人事のように外側から聞いているような感覚だった。
「アルバ君、立てるかい ?」
パパさんがボクの目を覗きこんで声をかける。ボクはこくりと頷くとクレアに肩を借りながらゆっくりと立ち上がった。足元がふらふらする。
「少し休もうか、奥に休める部屋があるから」
パパさんに言われるがまま、クレアに肩を借りたまま、ゆっくりとゆっくりと歩き今いる部屋より一つ奥の部屋に入った。
そこは四畳半の小さな和室だ。近くにあった座布団を枕代わりにして、ボクは身体を横にした。


ずっとロスが、シオンが隠していた真実。
ボクに知られたくなかった深い深い心の傷。

ボクは服の上からそっと、右脇腹の傷のある場所を撫でた。
この腹の傷は、刺し傷、だったんだ。ずっと手術後だと思っていた。けれど、違った。

恐怖に引き攣る幼い頃のシオン。涙でぐちゃぐちゃになっていたシオン。
震える手、ボクへと向けられた真っ赤に染まったナイフ。

抑えきれない感情の波が襲ってくる。悲しい、痛い、苦しい、いっそ憎しみさえも込み上げてくる。
泣いてしまいそうでボクは両腕で自分の顔を隠した。けれど涙は出てこなかった。クレアは黙ってボクの側にいてくれる。

今までボクは何をしていたんだ。呑気にロスの前で笑って、普通に過ごして、好きだって言われて、浮かれて恋人同士になれて。
楽しかった。嬉しかった。罵倒された言葉に突っ込んでそんなやり取りが時には嬉しくなって、重症だなって痛烈に思ったりもした。
不器用ながらも時折見せてくれるその優しさが堪らなく愛おしくて。このままずっといつまでもあの甘い時間が続けばいいと思っていた。
だけどそれはボク1人の自己満足だった。

ボクは何もわかっていなかった。ロスが、シオンが心の内に隠していた想いを何一つ。
ロスは、ずっとずっと悩んで悩んで苦しみ抱え込んでいた。
それなのにボクはただ、守られていただけだった。

ねえ、ロス。今までどんな気持ちでボクの傍にいてくれたの?
嬉しかった?楽しかった?少しでもボクはロスに幸せを分けてあげられた?
それとも、苦しみを与え続けていただけだった…?

問いかけようにも今ここにロスはいない。
自分から真実を知りたいと彼を遠ざけたくせに。

いないんだ。




***



それからどれくらいの時間が流れたのだろう。クレアはずっと黙ってボクの側にいてくれた。
ボクが両腕をゆっくりと顔から離した。部屋は薄暗い。電気は付けていないようだった。
すぐ隣にいてくれたクレアの方をじ、っと見ると彼もボクの視線に気が付いて。彼はふわりと優しく微笑んでくれた。
「…落ち着いた?」
こくりとボクは頷いた。
「思い、出したんだね」
「うん…」
ボクの声は弱弱しく力ない小さな返事だった。僅かな沈黙が続く。音ひとつ外からは聞こえてこない小さな部屋だ。
「──…まあ、こうなるんじゃないかって予感はしていたからね、だからここに連れてきたんだ」
「はは、確かにシャレに、ならない、よね、公共の場所で、取り乱したり、なんて…」
「…もう少し眠っていたほうが」
ボクは首を左右に振って、上半身を起こした。
「大丈夫──……あの後、クレアはどうなったの?ボクは……ごめ、頭、いたい…まだ、記憶が混濁してるっ…」
クレアが倒れた光景。泣き叫ぶシオン。けれど、クレアとシオンが倒 れている光景も見えた。
記憶がまだ曖昧で何が本当の正しい記憶なのかそうでないのか理解しきれていないのかもしれない。
「あの後っていうのは…」
「ボクが、覚えている、というか思い出したのは、クレアが刺されて倒れている、所だから」
ああ、とクレアは納得したように言った。
「まあ、こうして五体満足で君の前に元気でいるのが何よりの証拠なんだけど、ちゃんとオレは一命を取り留めたよ。でも、
…あの後、 アルバ君は事件に関しての記憶を全て忘れてしまったって聞かされた。オレもシーたんも重傷で意識不明の重体だったんだ。
オレ達が目を覚ました時にはもう、アルバ君は他の病院に転院して病院を去ってしまった後だった」
「…シオンも?」
「うん。シーたんも、左腕、だったかな。大怪我をしてて…半袖でも隠れて見えないんだけど肩の所に傷痕が残ってるんだよ、うっすらとね」
「そう、だったんだ」
ボクの記憶にはシオンが怪我をした記憶がない。それは、多分もしかしたらボクが意識を失った後の出来事なのかもしれない。
「クレアは、聞いていたの?……シオンがボクを…」
言葉にすることすら躊躇いが生まれる。胸の奥が痛い。喉か渇いてちりちりしている。


「刺した、事を」


クレアは大きく目を見開いて動揺を見せた。瞳が揺れている。
「…そう、そこまで思い出していたんだね」
ボクはこの時初めて見たかもしれない。クレアの哀しそうな顔を。
「本当に、ボクは酷い奴だ…都合良く嫌な記憶だけを忘れてのうのうと生きてきて…」
胸の奥がむかむかする。ボクはボク自身に腹が立つ。馬鹿で身勝手で、そんな自分が嫌だ。
「それは違う」
はっきりと強い口調だった。
「何も違わないよ。だって事実そうじゃないか。ロスも、クレアも2人とも、過去と向き合って生きてきたのに、ボクは」
「アルバ君。それ以上自分の事を悪く言ったらオレは本気で君を怒るよ」
普段人を睨むなんてしないようなクレアが眉間に皺を寄せてボクを睨んでいる。
「オレもシーたんも君を恨んだ事なんて一度もない。この10年オレ達は…」
そこでクレアは言葉を言いかけて口を閉じると小さく首を左右に振った。
「クレア…?」
クレアはふう、と小さく息を吐くと笑った。だけどクレアにしてはぎこちない笑みだ。
でも、その瞳は真っ直ぐにボクを見てくれている。
「この話はここまでだよ。もう、オレの役目はこれでおしまい。後はバトンタッチしなくちゃ」
「あ…」
「わかるよね?オレが言いたいこと」
わかってる。クレアが何を言いたいのか。だって、ここにはあいつがいない。
クレアはあいつの口からちゃんと聞くべきだと言いたいのだ。
今一番ボクが会いたくて、会わなくちゃいけないあいつに。
「………クレア、ありがとう。ボク、行かなくちゃ。会わないといけないんだ、…ロスに」
声は震えなかった。涙も流さなかった。それどころかはっきりとした口調で話すことができた。
ボクはそんな自分の心に少し驚きを感じつつも妙に落ち着きを取り戻していた。
「……ぶっちゃけ今ちょっと携帯の電源入れるの怖いけど」
「今頃血眼になって探してるよね…流石にちょっとオレも今悪寒がした…」
ぶるりとクレアは身体を震わせて明後日の方向を見た。
「ちょ、クレアがそんな事言ったらオレロスに会いに行ったらどうなるの!?」
「王道シリアス感動ラブラブ展開じゃなくて血の雨が降るよね!」
「何のフラグだよそれ!?」
「頑張って!骨は拾ってあげるからね!」
「死ぬ前提!?」
いつもの突っ込みをした所でボクらは吹き出して、一しきり笑った。
「ありがとう、クレア」
「どーいたしまして!」
クレアはにっこりといつものふわりとした笑顔を返してくれた。うん、元気づけられた。勇気もらった。
ボクらが和室を出ると元にいた休憩室の部屋にはルキのパパさんがいた。椅子に腰を掛けてノートパソコンを見ていたようだがボクらに気がつくとそれを閉じて顔を上げた。
「もう大丈夫みたいだね」
パパさんは優しく微笑んでくれた。さっきの笑い声が聞こえていたのだろう。
「はい。あの、さっきはすみませんでした…」
「いや、大丈夫だよ。無理もない、気が動転しない方がおかしい。君たちの事情はよく知っているからね」
「それってどういう…?」
不思議に思っているボクにルキのパパさんとクレアは目配せをして、クレアはこくりと頷いた。
「大丈夫だよマスター。今のアルバ君になら話しても」
クレアはボクの後ろからボクを追い抜き、パパさんの隣に立った。
「そうか、そうだね」
いったい何の話だろう。ボクはクレアとパパさんの顔を交互に見た。
「─…私はね、元々シオンの、彼の父親であるルキメデスの部下だったんだ」
「え!?」
「シオンの父親はあの病院で新薬の研究をするチームの責任者だった。私と妻は研究員の一員としてそこで働いていたんだ。
その頃からシオン、今はロスと名乗っている彼と、クレア君とは知り合いでね」
驚いた。本当に驚いた。ボクは呆然とパパさんの話を聞いていた。そんな繋がりが、ルキの両親とロスとの間にあったなんて。
「あ!じゃ、じゃあロスがここでバイトをしているのは…」
「まあそういう経緯から、というのもあるし、彼はまだ未成年だからね。ルキメデス以外の身内もいない。
私が身元保証人になったりと、色々と世話を焼かせてもらっていたんだ」
なんだか狐につままれたような話だ。
「アルバ君、私はね、君がご近所さんだって事も、近所のあの高校に通っている事もロス君には伏せていたんだ」
「え?」
「今まで君に会おうとしなかった理由(ワケ)は、彼には彼なりの考えがあったからね、それは本人に聞くといい。
けれど、私はなんとかきっかけを作ってあげたかった。そんな時だ。あの子が、ロス君がバイトを探している。ここで働けないかと連絡をもらったのは。
これ幸いと私が彼をこの街に呼んだんだ。いずれは君と再会することを願って」
「…マス、ター…」
胸の奥がじわりと熱くなる。
「まあ、学校に転校したその初日、随分彼には怒鳴られて怒られたけどね。「わかっててこの街に呼んだな!!」って」
パパさんは困ったように苦笑いを零した。
「でも今では会わせてよかったと思っている。彼は本当によく笑う様になった。見違えるように。まあ、君と再会して新たな幸せも手に入れたようだけど」
ボクはかあ、とほんのり頬に熱が集まった。なんで、パパさんがボク達の関係を知っているんだ。知っているような、そんな口振りだ。
「─…貴重なお話、ありがとうございました。後でまた伺います」
ボクは深くお辞儀をした。そして顔を上げて。隣に並んで立っているクレアとパパさんをしっかりと見た。
「ロスと一緒に」
「頑張ってね」
2度目の声援にクレアは右手を上げて、拳を作った。ボクもそれに応える。
「ああ!」
クレアの拳と自分の拳を軽く合わせて。ボクは2人をすりぬけて部屋を出ようとした。
「あ!アルバ君鞄鞄!」
「ああ、忘れる所だった!」
ボクはクレアからショルダーバックを受け取ると部屋を飛び出した。気持ちに後押しされる様に速足になる。1階へと続く階段を速足で駆け下りた。
階段を駆け下りて、店のカウンターにいたママさんに軽く挨拶をして店を飛び出した。
カランカランと音が鳴る。外に出た途端蒸し暑さがむわっと訪れた。ギラギラと日差しを照りつける太陽。店の中とは別世界だ。
さあて何処に行こうか。ボクは切っていた携帯の電源をつける。かける相手はもちろん、1人しかいない。
たったのワンコール。相手は速攻で電話に出た。
「もしもし、ロス?」
『……………』
あ、やばい。無言だ。罵倒してこない。これ相当怒ってる。電話越しでも気迫だけはもの凄く伝わってくる。
それとも、ボクが全て思い出してしまっているかと思うと怖くて声も出せない、とか。流石にそれはないか。
電話の向こう側から水の音と子供達の声が聞こえた。もの凄く賑やかではしゃぐ声だ。それでもボクは構わず喋り続けた。言った者勝ちだ。
「お前に言いたい事があり過ぎて何から話したらいいかわからないんだけど」
『……………』
「わかってるだろ?電話なんかじゃ話したくない。ちゃんと、会って話したいんだ」
『─……今、どこですか』
ようやく聞けたその声はとにかく低くてぶっきらぼうな言い方で、怒っていますと言っているようなものだった。
「マスターの店のすぐ近くかな」
『そこで一歩も動かず待ってろ』
「そっちこそ今どこにいるの?ねえ、ひょっとして近くの公園にいるんじゃない?」
『聞えなかったんですか?そこから一歩も動くなって言ったんですよ』
ボクの歩く速度は次第に早くなっていく。目的地は近くの公園だ。この店から少し歩いた先に割と大きな公園があるのだ。
「嫌だよ」
チッと電話の向こうで舌打ちをされた。ボクは歩いていた道の次の角を曲がる。たくさんの木々が見えてきた。公園の入口も近くにある。
中に入り少し歩いた先の噴水広場では子供達が楽しそうに親に見守られて水遊びをしていた。
「いいよ、もうすぐ着くから」
『は?』
「動かずに待っているのはそっちだよ」
『アルバさんのくせに随分生意気な口利きますね』
「そう思ってもらっても構わないよ」
『へえ…』
だらだらとそんな会話が続く。うん、思ったよりもちゃんと普通に話ができている。
ああほら、あの後ろ姿。もう見つけた。なんだ、本当に驚くほど近くにいたじゃないか。
こんな時はなんて言うんだっけ。ああ、ご都合展開万歳だ。

ロス、お前の名を心の中で口ずさむだけで死にそうになるほど心が痛い。
ボクはこんなにもお前が好きなんだ。



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