繋がり。***03



住宅街の中に入り右に曲がると細い道があって迷う事無くロスはそっちに入っていった。
大人1人がやっと通れるような狭い道だ。走るに走れない程狭い道で家と家の隙間を歩いていく。
それから知らない住宅街をロスに続いて走って走って走り続けた。
どうかただの杞憂であって欲しい。だがそんな思いも空しく嫌な焦げ付くような匂いが鼻を通る。
考えたくはないがそれは確信に変わった。間違いない、火事だ……!火事があったんだ!!
不安な気持ちを抱え、ボクらは無言のまま走り続けて、広い道に出るとロスの家の近くに出た。
そこはボクも知っている街並みの住宅街だがいつもと明らかに雰囲気が違っていた。
すごい人だかりができていて警察官も数人いて、規制線がはられていた。その先は、ロスの住んでいるアパートがあるのに。
先程の黒い煙はここからでは確認できない。煙があがっていないということはもう鎮火したのかな。
走ってきたせいか、自分の荒い息遣いの音だけがやけにはっきりと耳に届いていた。
「……なんだろう、なんか、嫌だな」
たくさんの警察官、車が通れるほどの広い通路はパトカーと救急車が止まっている。
煙にやられた人達だろうか、救護員に支えながら規制線から出てきた人達が何人かいる。咳きこむ姿、騒ぐ人々。
呆然とその光景を目の当たりにして、泣きそうになる。胸が痛い、苦しい。
「大丈夫ですか?顔色が良くないですよ」
「へ、平気。ごめん、ちょっとびびっただけ」
「……歩けますよね?」
「うん」
ボクらは人を掻き分けて警察官の所に行き、ロスが声を掛けた。
「すみません、火事があったんですか?」
「ああ、この先にあるアパートから出火したんだ。もう鎮火したけど危ないから下がって」
背筋が凍りついた。待って、この先にあるアパートと呼べる建物は、一つだけ。
「…ボクの家はこの先にあるんですが、もしかしたらそこはボクが住んでいるアパートかもしれません」
「本当かい?ちょっと待っていてくれ」
警官はボク等から数メートル離れると無線で連絡を取り合っている。しばらくすると戻って来てロスに再び話しかけた。
「一緒に来てくれるかな?」
「はい」
「ロス…」
「大丈夫です、すぐに戻りますからそこで待っていて下さい」
ボクはこくりと頷いた。冷静に淡々と答えるとロスは1人、警官に連れられて規制線の向こう側に行ってしまった。
その後ろ姿をボクはただ、ずっと見ていた。あの角を曲がったらロスが見えなくなってしまう。
行かないで、と引き留めてしまいたい衝動に駆られ左腕を伸ばしていた自分に驚き、手を降ろした。

それからボクは待った。大人しく待っていた。一歩も規制線の側を離れたくなかった。
だっていつロスが戻ってくるかわからない。でも、なんだろう、ここに着いてからとにかく気持ちが落ち着かない。
不安な気持ちで押しつぶされそうだ。身近にこんな事件が起きたせいだろうか?きっと、そのせいだ。
どうしよう、もし本当にロスのアパートだったら…もう少しボク達が早くアパートに付いていたら…そう考えただけでも恐ろしくなる。
ロス、早く戻って来てよ…でも、かれこれもう20分はここにいる。
携帯電話を握りしめていた手は汗に濡れていて、慌てて制服の袖で拭いてしまった。
なんで、どうしてボクは向こう側へ行けないんだろう。こんな規制線なんて飛び越えてロスの所まで走って行きたい。
だって火事はもう鎮火したんでしょ?なんで今も警察がここにいるんだ。
ふと顔を上げると1人の男と目が合った。見た目30代程のスーツを着たその男は視線を逸らしすぐ側にいる住人と話しをしている。
刑事だろうか、あの人、ボクを見ていた…?だがそんな疑問はロスの戻ってきた姿が見えてすぐに消えた。
「ロス!!どうだった!?」
「ええ、見事に全焼していました」
一瞬頭の中が真っ白になった。
「な…何冷静な態度で話してんだよ!?だって、だってお前それって自分家が火事になって!!」
「何そんな動揺してるんですか」
まるで他人事のように普通に話すロスに苛立ちを感じずにはいられなかった。
「お前が落ち着きすぎなんだよ!!」
「まあ、見るも無残なことになっていましたが、あそこには寝るに帰る様なものですし、失って困る物は日用品ぐらいしか…」
なんで、なんでこんな冷静に話してるんだこいつ。
「馬鹿じゃないの!?なんでそんな平然と……!!冗談なんか言っている場合じゃないのに信じられない!
もし、もし万が一お前の身になにかあったらどうするつもりだったんだよ…!!!」
ボクは怒りにまかせて本気でロスに怒鳴った。
「でも現に生きていますし」
「屁理屈言ってんじゃねーよ!!ボクはお前の事本気で心配して言ってるのに!!それなのにどうしてそんな風に言えるんだよ!!」
ボクの思いが伝わったのか、今度こそロスは目を伏せて申し訳なさそうにバツが悪そうな顔をした。普段のロスからは絶対に見せない顔だ。
「…すみません」
「あ…ごめん…ボクの方こそ、言いすぎた…」
怒りにまかせて冷静になりきれていなかったのは、ボクの方だ。
今この瞬間でさえロスの方が何倍も、何十倍も大変な思いをしているというのに…
「いえ、怒られて当然ですよ。普通は誰だってそう感じます」
「ロス…?」
その表情はどこか暗く、口元には笑みが含まれているようなロスに言いようのない不安が胸の奥に宿る。
「これから大家と話しもありますし、警察の事情聴取とかあるらしいので、先に帰ってて下さい」
「……………」
自分も立会いたい。邪魔だってわかっている。だけど、今のロスから離れたくない。一緒にいたい。
なのに、声が出てこない。何もできない自分がこんなにも歯がゆくて悔しいなんて。ボクは両手の拳を力強く握りしめていた。
「必ず後で連絡を入れます」
ロスはぽん、とボクの右肩を叩いた。
「………絶対に、絶対だからな!」
「オレを信じて下さい」
「………わかった」
「…約束、破ってしまってすみません」
ボクは思いっきり首を左右に振った。鼻の奥がツンとして泣きそうになった。





それからボクは家に戻り、待機していた。遊びどころではなくなってしまった。
いつロスが連絡をくれてもいいように常に携帯を気にしていたら家に戻る途中何件かの電話の着信とメールが届いた。
近所に住む小学生のルキちゃんに、フォイフォイ、ヒメちゃん、学校側からはアレス先生から。
みんなニュースを見て、ロスに連絡をしても返事もないからボクの所にも連絡を入れてくれたような内容だった。
そうして、なんだかんだでロスが連絡をくれたのは、夜の10時を過ぎていた。
今日はもう遅いしその足でボクの家に来て泊るように促して母さんも快くロスを迎え入れてくれた。

ロスから簡単に話しを聞くとロスが住んでいたアパートが出火元で、古い木造アパートだっため火の回りが早く、全焼してしまったそうだ。
幸い住人達は出払っていたため死人は出なかった。詳しく調べてみない事にはわからないが放火の可能性が高いということだった。

とりあえずロスが風呂に入っている間にボクの部屋に布団を敷いた。
そんなに狭い部屋じゃないし、布団くらいなら敷ける。すぐ隣にはボクのベッドがあるけど
男二人で寝るのは流石に遠慮したい。というかそんなのボクは絶対寝られない。
せっかくロスが初めて家に泊りに来たのに、大変な事になっちゃったな…
ボクが自分のベッドの上に移動した時、丁度ロスが風呂から戻ってきた。
ボクの服を着ている。無地のTシャツに、黒のスウェットだ。母さんが用意してくれたんだろう。
「あ、部長の服借りてます」
「いいよそんなの全然」
でもロスがボクの服を着ているのはちょっと変な感じ。
「でも小さいですね、これ」
ロスの足元を見てみると確かにスウェットの丈がやや短い。くるぶしの上あたりまで足が見えてしまっている。
「しょ、しょうがないだろ!ロスの方が背が高いんだから!」
「そうですね」
いつもの嫌味が返って来ない。流石のロスも疲れきった顔をしている。無理もない。
「大変だったね」なんて気安く言えないし、なんて声をかけたらいいか戸惑う。
手元に残ったのは携帯と鞄と鞄の中に入れていた財布ぐらいらしい。
ロスが布団の上に腰を降ろしふと顔を上げると一瞬何かに気をとられるように驚いた顔をして、じ、っとボクを見た。
「な、なに?」
「部長、その左目……」
「あっ!!」
しまった!!咄嗟にボクは左目を隠すように手で覆ったがもう遅い。
「あ、あー…そうだよね、驚くよね、気持ち悪いよね」
「カラコン、じゃあないですよねそれ」
「うん、原因はわからないんだけど、生まれつき左目だけが赤っぽいんだよね。普段は左目だけコンタクトしてるんだけど」
そう、実はボクは左目が赤い。右目は普通に鳶色で左右の眼の色が違うオッドアイってやつだ。
ハーフでもないのに物心ついた頃にはこの目の色だった。小学生の頃にからかわれたり、眼の病気?と言われたりと
コンプレックスでずっとコンタクトをして隠してきた。家に居る時までコンタクトをする必要はないし
普段通りに外してしまっていたからうっかりしていた。
「そうだったんですか」
「あれ、それだけ?」
てっきりからかわれるかと思ったんだけど。
「何がです?仕方がないでしょう、好きでそうなったわけじゃないんですから」
「う、うん……それは、そうなんだけどさ…」
ロスは布団の中に入るとボクには背を向けて横になった。
「……今日は部長の相手をしている余裕はないので、もう休ませてもらいます」
「あ、そうだよね。うん、おやすみ」
ボクはベッドから降りて、壁にあるスイッチを押して電気を消すと、再び自分のベッドに戻った。
静寂が部屋の中を包み込む。真っ暗な天井を見上げた。
「………ロス、あのね、ロスが初めてだよ。この目の事、そんな風に言ってくれたの」
返事は返ってこない。
「フォイフォイも知ってるんだけど、隠しておくのもったいない!とか言って、でもやっぱり普通がいいよね」
再び静寂が訪れる。
「……ねえロス、ボクは、ボクはロスの力になりたい。ロスを助けたい。なんでもいいから、だから…ボクを頼ってよ」
夕方の冷静なロスの姿が脳裏を過る。

『ええ、見事に全焼していました』

まるでごく一般人が火災現場の感想を述べたような発言。
あの時のロスはちっとも動揺などしていなかった。そんな彼に恐怖すら抱いた。
ボクが彼にできることなんて何がある?何もできないかもしれない。そんなのわかっている。
だけど少しでもロスの苦しみや辛さを癒せる事ができるなら、そうしたい。そうしてあげたい。
「くさい台詞ですね」
ロスは、返事を返してくれた。けれどこっちに背を向けているし暗くて表情はわからない。
「オレは……貴方に…」
ロスはそう言いかけて、何も言わなかった。そうしてどれぐらい沈黙が続いたのだろう。
ボクも黙ったまま、暗闇に慣れてきた目で天井を見上げていた。
「ありがとうございます」
告げられたのは、感謝の言葉。
「…うん」
普段の彼を知っているだけにこの言葉は予想以上にボクの心を喜びに満たした。
嬉しい。今はそれだけで、十分だ。ボクは目を閉じた。





朝目覚めるとロスは部屋には居なかった。丁寧に布団が畳んである。時計は朝の8時を差していた。
ボクも起きよう。大きなあくびを一つ落とし、のろのろとベッドから起きて部屋を出て階段を降りようとした時だ。
誰かの話す声が1階の、階段の側で聞こえた。
「…ああ、大丈夫。……昨夜は友達の家に泊めてもらったから……ああ、……そうだよ」
ロスが誰かと電話をしているようだ。時折笑みが含まれていたその声は、どこか優しい。
「はあ?………………アルバさんの所だよ」
『えええええーーーー!?』と、叫ぶ相手の声がものすごくよく聞こえた。思わずロスが携帯を耳元から離してうるさそうに顔をしかめている。
『ちょっと!?シーた─』ボクの存在に気がついたロスが電話を切ってしまった。
「お、お邪魔だった?」
ボクは階段を降りながら、ロスに声を掛けた。
「いえ、大丈夫です。おはようございます」
「あ、お、おはよう。昨夜は眠れた?」
「ええ、おかげさまで」
ロスは携帯をスウェットのポケットの中にしまった。
「そう、よかった。…なんか、すごい声聞こえたけど。誰だったの?」
「ああ、昔からの友人です。ニュースを見て心配して電話掛けてよこしたんですよ」
「へえ、ロスにもそういう子いるんだ」
少し妬ける。
「オレをなんだと思ってるんですか、あんたは」
「いや、だってロスだし。─っいったあ!!」
ロスに一発頭を殴られた。
「どうしたのー?」
廊下でボクの声が聞こえたようでリビングにいるであろう母さんの声が聞こえてきた。
「大丈夫ですーアルバ君が階段でつまづいて足ぶつけただけですから!」
「そお?」と母さんの声が聞こえた。ロスのやつ、にやにやしてるんじゃねえよこのっ。
「…ねえ、さっきの電話の子ボクの事知ってるの?驚いてたみたいだったから」
今度はチッと舌打ちをした。
「何その舌打ち!!」
「ええ、それはそれは部長の面白可笑しい愉快な話をした事があるので」
「なんだよそれ!!」
うう、いったいどんな話をしてるんだこいつ。
もういいや、さっさと顔洗ってこよう。ボクは洗面所に向かった。





私服に着替えてリビンクに顔を出すと母さんとロスがいた。
「手伝いますよ」
「いいわよ。お客様にそんな事させられないわ」
「いえ、手伝わせて下さい」
そんな会話が聞こえてきて、ちょうどロスが皿を右手に二つ、左手に一つと持ってキッチンから出てきた所だった。
「朝ご飯出来てるからね。ほら、ロス君も座って」
母さんがボクに気がついて言った。いつも食事をするダイニングテーブルには既にランチョンマットが三人分敷かれている。
ロスがそのお皿を置いていく。目玉焼きに焼いたベーコンとシンプルな朝食だ。ボクは自分の席に着いた。
「ありがとう」
ロスはボクの隣の席に座った。
「なあ、これからどうするつもりなんだ?」
「とりあえず今日は色々と手続きを済ませておきたいので、これから出かけてきます」
「そっか。でも…住む所も探さなくちゃいけないんじゃないの?」
「ええ、それは─」

「そうだ!ロス君、しばらく家に住みなさい」

突然母さんは思いついたように明るい声で言った。
「「え?」」
今、何て言った?
「だって住むところがなくて大変でしょう?主人は単身赴任で月に数回しか帰ってこないからこの子と2人暮らしのようなものだし、部屋も余ってるから」
「い、いや、でもそんなご迷惑をお掛けするわけには…!」
「そうだよ!何言ってんだよ!!」
突然沸いたとんでも発言に流石のロスも珍しく焦っている。
「子供が遠慮するんじゃありません。困った時はお互い様でしょう。アルバだってロス君が困ってる現状を見過ごせないでしょ?」
「そ、それは勿論!」
次の瞬間テーブルの下でげし、っと足を蹴られた。そんなに痛くはないが今それどころではない。
「大丈夫よね、二人は仲良しだし。同居人の一人や二人増えたって変わらないわ。それにお母さんロス君だったら大歓迎よ。
ちょっと待ってて、今主人に電話してみるから」
母さんはキッチンからすぐ脇に置いてある子機の電話で父さんに電話を掛け始めた。
え、え?何この状況。急展開過ぎて思考が回らない。住む?誰が?ロスが?
隣のロスはロスで一瞬呆けていたがすぐに我に返りボクを睨みつけた。
「おい、あんたの母さん早く何とかして止めろ」
ロスは小声で話しかけてきた。
「無理だよもう父さんと話し始めてるし…」
母さんはロスの事情を父さんに説明しているようだ。
「この状況がどういう状況かわかってるのか?」
すっかり敬語が外れてしまっている。それ程余裕がないって事だ。でもそれはボクだって同じ事だ!
「でも、だったらロスは、他に行く宛てあるの?」
「それは、なんとかするつもりでした。だからっていくらなんでも昨日の今日で住めとかありえないでしょう!」
「だ、だって─」
「主人からもOKもらったわよ」
「早!!」
母さんが子機を持ちながらボクらに近寄ってきたので会話はここで中断した。
すると今度はロスが席から立ち、母さんから子機を受け取るとボクの父さんと話を始めた。
「……ご無沙汰しています。はい、はい………伺いました。……え?あの、ですがボク自身今聞かされたばかりで、
そんな簡単に決めていい事ではありませんし、ご厚意に甘えるわけにはいきません。すぐにアパートを探して………え?………はい、…ですが」
おお。あのロスが口ごもるなんて珍しい。始めは断っていたようだが父さんに言い包められたのか最終的にはロスが折れた。
「ね?大丈夫だったでしょ?他に行く所がないんだったら大人しく甘えなさい」
「……本当に何から何まで、ありがとうございます」
ロスは深々とお辞儀をした。
「いいのよ。さ、まずは朝ご飯にしましょう。あ、いけない、飲み物持ってくるわね」
呑気に何事もなかったように母さんはキッチンへと戻っていく。
ロスと思わず目と目が合って、見つめ合ってしまう事数秒。
「ま、まあほら、いきなり住む場所を探すったってそう簡単に見つからないし、
それまでは、な?それにボク達は友達だろ!困った時はお互い様だよ!昨日も言ったけどボクもロスの助けになりたいし」
にこやかに、普通に対応できたと思いたい。極度の緊張と動揺のあまり変な声になっていないと思いたい。
「………………」
ボクを見るロスの目が怖い。睨んでる。「本気で言ってんのか?」と顔に書いてある。
母さんが近くにいた手前ロスは、ちらりと母さんの方に視線を動かすと
「…ありがとうございます、お世話になります」と、返した。


た、大変な事になってしまった。

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