繋がり。***04



朝ご飯の味なんて覚えちゃいなかった。どうやって自分の部屋に戻ってきたのかさえ記憶にない。
とにかく今は一人になりたかった。冷静に考えて見れば見るほどどんでもない事態なんだよなこれ。
これからロスがこの家で暮らすって事は寝起きも全部共にするってことで、そ、そんなのボク耐えられるの?
無理!絶対無理!!!ボロが出ちゃうよ、好きな人と一つ屋根の下で暮らすってなんのラブコメ展開なんだよこれ!!
でも困っているロスを放り出すのは心配だし……ボクの知らない所で知らない人の家に泊まったりするのかと思うと
それはそれで嫌だし…
「何1人百面相してるんですか」
「!??」
ボクは驚いて大げさに身体がビクリと反応してしまった。ゆっくりと後ろを振り返るとロスがドアの所立っている。
「あ、あの、ロス、ごめんね、母さんがその…強引で。で、でも!ボクも母さんの意見にはその、賛成だから!」
あー何言っちゃってるんだボクは。ロスにまたなにかきつい言葉を浴びせられるんだと身構えた。
「…まあ決まってしまった事には仕方がありません、しばらくお世話になります」
「う、うん。宜しくね」
あれ、意外にもあっさりとした返答に拍子抜けしたがホッとした。
「アパートが決まり次第すぐに出て行きますからご心配なく」
「え、なんで?」
ポロっと出てしまった問いかけに今すぐ消えてしまいたかった。
ロスは驚いた顔をした後にいつもの嫌そうな顔になってしまった。
「ただでさえ見飽きた顔を毎日、それも24時間見るなんて反吐がでます」
「酷いお言葉!!」
ちくんと胸の奥が痛む。あ、まずい。何本気でショック受けてるんだボク。
こんなのいつものロスじゃないか。からかって、馬鹿にされて…。
「……本当にいいんですか、貴方は」
「え?」
「オレと住む事」
ドクンと心臓がひとつ、飛び跳ねた。
「……うん、大丈夫。嘘じゃないよ。さっきも言ったろ?ロスの力になりたいって。ていうかロスがそんなに気にするなんてなんだか意外」
次の瞬間腹に強烈な拳がドスッと腹めがけてお見舞いされた。思わず腹を抱え両膝を付いてしまった。
「お、おま……」
「部長のくせに生意気なんですよ」
ボクもボクで余計な事を言ったのが悪かったけど!いきなり殴るロスもロスだ。
「今更後悔しても知りませんからね」
「大丈夫だって!」
嘘だ。本当は「大丈夫な訳ないだろおおお!!!」って大声で叫びたい。ほら、今だって意識した途端ボクの心臓の鼓動はまた早く鳴り始めてる。
本音を押し殺して何事もなかったように振る舞って答えたのに何故かロスに睨まれた。
「…………」
「な、何?」
「…さっきも言いましたけど、オレはこれから出かけてきます。一度戻って来れると思いますが
バイトもあるのでもしかしたらそのまま帰らずに直行するかもしれません。帰りは夜遅くになると思います」
「何時頃になりそう?」
「部長の家から通うとなると前よりも割と近くなるので、そうですね、10時頃には」
「確か駅前の近くの喫茶店でバイトしてるんだっけ」
「ええ、もうすぐ夏に向けて新作のかき氷を作っているので、色々と試食してるんですよ。バニラや抹茶のアイスを組み合わせたりしながら」
そう話すロスはどこか嬉しそうだ。ロスがバイトをしているカフェは駅前から少し離れた所にあり
こじんまりとしていて和の雰囲気を出したお店だ。近所の小学生ルキちゃんのパパとママが経営していて
そんなに大きくはないのだがあそこのマスターが作る甘味処がまた絶品なのだ。
そのおかげで女性からの人気も高く、平日の昼時は特に忙しいらしい。
「ママさんの作るお菓子美味しいよな〜男のボクでも何度も食べたくなるし」
何度か学校帰りにフォイフォイやヒメちゃんと行った事がある。ロスがバイト中に行くという
名目で行ったんだけどまあもちろん営業スマイルどころかボクだけお冷の代わりに激まずの青汁出されたりと嫌がらせを受けた覚えが…
「今度また来て下さい。たっぷりとサービスしてあげますから」
ロスはにっこりと微笑んでたっぷりの部分を強調されて言われた。
「嫌な予感しかしない!!」
「それはそうと部長なんか私服貸して下さい。制服を着ようと思っていたんですが、お母様に洗濯されてしまったようで。
部長の服ってサイズ小さいのしかないんで嫌なんですけどしょうがないので着てあげますよ」
「お前それ人に物頼む態度じゃないんだけど!!」
ボクは仕方なく自分のタンスの引き出しを開けた。
「ズボンのサイズボクのじゃ合わないんじゃない?あ、でもこれとこれはボクでもぶかぶかだったから履けるかも」
サイズが合わずにタンスにしまってあった黒のズボンとグレーのVネックの長袖を取り出してロスに手渡した。
偉そうに一丁前に文句だけは言うんだから適当に渡したって罰は当たらないだろう。
「これヨニクロですね。てかヨニクロばっかじゃないですか」
「うっさいな!!ヨニクロ馬鹿にすんなよ!安くてヒートテックとか温っかいんだからな!」
ロスはパジャマ代わりに着ていたTシャツを躊躇なく脱いで白い肌が露わになり着替え始めたのでボクは思わず目線を逸らしてしまった。
男同士なのに、なに動揺してるんだ。学校でも着替えとか見たことあるのに。
「どう?」
「ウエストがちょっときついですけど履けなくはないですよ」
ぐさっと傷つくんですけど。だけど着替えを済ませたロスを見てボクは思わず息を飲んだ。
間に合わせの服を着ただけなのに、かっこいい。イケメンって得だ。間違いなく見惚れてしまい、ちょっとだけぼんやりとしてしまった。
「…何見てるんですか気持ち悪い。変態ですか」
「ちげーよ!!」
ボクは気持ちを誤魔化すように否定した。
「こ、この時期はまだ夜は冷えると思うし上着とかあったかな」
「いえそれは自分で買って調達しますよ。部長の上着とか絶対オレサイズ合わないと思いますし」
「ああそうですね!どうせボクは小さいよ!」
「それでは」
ロスはそう言って部屋を出て廊下に出た所でボクは彼の後を追った。
「ロス!いってらっしゃい!」
ボクは笑顔で彼を送りだした。ロスは一度足を止めてボクを見る。
「…いってきます」
ぽつりと呟かれたそれは小さかったけれど確かに耳に届いて、ロスは階段を降りていった。
さて、と。ボクは1人部屋へと戻り、ベッドに腰を降ろした。
「いってらっしゃい、かあ…」
自分で言ったくせに照れくさくて恥かしい。
これからロスが毎日バイトか何かで出かけるたびにそんな声を掛けるのか。
「いってきます」って言ってくれた。ロスの事だから無視されてもおかしくなかったのに。
あ、学校とかも一緒に登校することになるんだよね。一緒に家を出て一緒に登校して、一緒に帰って。
やばい、想像しただけでも顔がにやける。


「こんにちはー!」


と、ボクは考え事を中断した。下から元気な女の子の声が聞こえたのだ。あの声はルキちゃんだ。
ロスと何か話している声は聞こえたが内容までは聞きとれなかった。ボクが玄関まで降りた時にはルキちゃんだけがいた。
「ルキちゃん、おはよう、今日は学校休みなのに早いね」
ルキちゃんはお隣のお隣の家の子だ。まだ10歳なのにしっかりとした子で時折大人の言葉を使ったりしてはちょっとませてる。
当然ロスやボクとも面識があり実は前にロスが家に遊びに来ていた時もルキちゃんが混ざって何度か3人で遊んだ事がある。
男子高校生二人に小学生の女の子と珍しい組み合わせだが意外とボクら三人馬が合うのだ。
「やだアルバさんちゃん付けしないでって前にも言ったよ」
「ああそうだったね、ルキ」
「うん。それでね、今日はロスさんの事気になってたから様子見に来たの。ロスさん、大変だったね」
「こっちもかなり大変な事になったけどね…」
ボクはつい溜め息を吐いてしまった。
「どうしたの?私でよかったら話し聞くよ?」
ボクはルキに簡単に事の経緯を話した。
「じゃあロスさんと一緒に住むんだ」
「うん…まあ…」
「やっと二人は恋人同士になれたんだね!」
ルキは可愛く掌を合わせて目をキラキラさせながら言った。
「ち、違うよ!まだ告白なんてしてないよ!!ってそうじゃなくて!!」
思わず母さんに聞こえていないかと心配して辺りを見回した。どうやらこの付近にはいないらしい。
ほっと胸を撫で下ろした。
「あ、あのね、ルキ。ボクとあいつはただの友達だし─」
「えーアルバさんロスさんの事好きでしょ?」
「と、友達としてだよ!!」
「嘘。絶対恋してる!」
その自信は一体どこから生まれてくるんだ。ていうかボクってそんなにわかりやすいのかな?それはそれで落ち込む。
「それにロスさんもロスさんで満更でもなさそうな感じがするんだよね」
「何言ってるんだよ…そんなわけないだろ」
「そうかな、アルバさんと一緒にいる時のロスさんは結構心許している感じするよ」
どこをどう取ったらそう思えるのだろうか。ルキがいたっておかまいなしの罵倒やいやがらせ、更には殴られたりするのに。
やっぱりまだまだルキも子供だな。きっと漫画かドラマの影響でませた事を言っているんだろう。
「もうアルバさんからさっさと好きだって告白しちゃえばいいのに」
「だ、だからボク達はそんな関係じゃないってば!」
「あ!いけない!今日はこれからお出かけしなくちゃいけないから、また今度詳しく話しきかせてね」
そう言ってルキはくるりと踵を返した。そんな日が来ない事を祈りたい。
「はいはい…またね」
バタンと玄関のドアが閉まり、途端に賑やかだった室内は静けさを取り戻した。
ボクは小さな溜め息をまた落とす。突然小さな台風がやってきて帰った気分だ。
『告白しちゃえばいいのに』
伝えてしまったら、確実に今の関係にヒビが入ってしまう。そんな怖い思いはしたくない。
想いを伝える勇気なんていらない。
───いいんだ、今は、このままで。





結局ロスは一度も家に戻る事無く夜が訪れた。ボクは風呂を上がり脱衣所で身体をバスタオルで拭く。
ふと、洗面所の所を見ると新しい歯ブラシと歯磨き粉と黒いカップが増えていた。
間違いなくロスのものだ。こういった何気ないものを見るだけでロスがこの家に住んでいる事実を実感してしまう。
どんどんこの家にロスの物が増えていって、………やめよう、想像するだけで変な気分になる。
2階に上がり、部屋の前まで来るとドアが僅かに開いて明りが漏れていた。風呂に行く前に電気は消した筈。
ドアの隙間から部屋の中を覗いて見るとその隙間からロスの横顔が見えた。
帰って来てたんだ。けれど何か違和感を感じる。ロスはその場を動かない。何かを見ている。右手を伸ばして、何かに触れた…?
あ!その何かに心辺りがあったボクは慌てて部屋の中のドアノブに手を掛けて中に入った。
「お、おかえり!帰ってたんだ!」
「…!」
ロスが弾かれた様にボクを見てクマっちへ伸ばしていた手を引っ込めて一歩、後ろに後ずさった。
やっぱりクマっちに触れてたんだ。ボクの部屋にはクマのぬいぐるみ、通称クマっちがタンスの上にいる。
大きさは、40センチ程あって結構でかい。両手で抱き締めるとすっぽりと腕の中に収まる。抱き心地も良い。
…ちなみに15歳まで抱しめて寝ていたのは絶対に絶対の秘密だ。
「何いきなり部屋に入って来てんですか」
「ここボクの部屋なんですけど!?」
「そ、それ、あの、さ!」
「前から気になっていたんですよね。高校生にもなってクマのぬいぐるみを部屋に置いているなんて」
ロスは鼻で笑った。
「いいだろ別に!クマっちは大切なものなんだから!」
「クマっち?」
続けて小馬鹿にされた言い方に恥かしさと腹立しさでかあっと頬が熱くなった。
「そ、そうだよ!こいつの名前!あ、笑うなよ!馬鹿にするな!」
「そのスカーフとネックレスも貴方の趣味ですか?」
くまっちには赤いスカーフが巻かれていて、首からは手作りのネックレスを下げていた。
首に掛けるネックレスチェーンは黒いリボンで作ってあって、その先にはダンボールを丸く切り取って折り紙を貼って描いた何かの紋章のような模様がある。
「これは…前に入院してたって話したろ?その時仲がよかった子から貰ったんだ」
その男の子はいつもお気に入りの赤いスカーフを首に巻いて、もう一人の男の子は、お手製のネックレスをくれた。
「お守り、みたいなものなんだ。これ。持っていると勇気が沸くというか…安心するというか、
もう顔もぼんやりとしててあんまり思い出せないんだけど、でも、手放せなくて」
いつの間にかそれが手元にあることが当たり前になっていて、大切なものになっていた。
どちらも大切だけど、特に赤いスカーフは別物で、昔はスカーフを鞄の中に潜ませて持ち歩いていた。
だけど中学の頃、学校に忘れてしまった時に失くしたと思ってもの凄くショックを受けた記憶があるので
それ以来持ち歩かずにいつも目につく所に置いておくことにしたんだ。
「会いたいですか?その二人に」
「どうだろう。懐かしいなって思う時もあるけどもう子供の頃の話しだし、会えたとしても向こうも覚えてないよ」
ボクはベッドに腰を降ろした。ふわりとシャンプーの香りが鼻につく。
「そうですよね。部長の事なんて綺麗さっぱり忘れて楽しく人生を謳歌してますよ」
「酷い!!」
「あーあ。部長と話してたせいで余計疲れたじゃないですか。オレも風呂入ってきます」
「ボクのせいなの!?」
ロスはそう言ってさっさと部屋を出て行った。1人残されたボクは立ち上がりクマっちの、赤いスカーフに触れた。
朝起きた時、眠る時、一日の始まりと終わりには必ず勇気を貰う大切なお守り。
いつもらったのか覚えていないが多分別れ際かなにかで貰ったんだろう。
今でも不思議に思う。ほとんど覚えていないのに、どうしてこんなにも大切なものだと思うんだろうと。
失くしたと思った時は深い谷底に突き落とされた様な感覚を味わった。もう二度とごめんだ。
…どんな、顔だっただろう。記憶を巡っても1人は黒髪で1人は茶髪の子で、それ以上はやっぱり思い出せない。

スカーフの端に小さく名前札が縫ってあって、「シオン」と書かれていた。
もうひとつのネックレスの裏にはマジックで書いた子供の字で「クレア」と。











病室。白いカーテン。白いベッド。数人の子供たち。ボクもその一人。


「アルたん、アルたん」
「なあに、クレア」
隣のベッドにいた茶髪の子供、クレアが声を掛けてきた。
クレアは鼻の頭に絆創膏をしていて、左手に包帯を巻いている。ボクと同じで怪我してる。
「今日はシーたんが来る日なんだ」
嬉しそうにクレアは笑う。ボクも嬉しい。
「うん!早く遊びたいね!」
「でもアルたんは早く怪我を治さなきゃ」
「もう歩けるし大丈夫だよ!」
お腹と右手に包帯は巻いてるけど痛くないよ。
「あ、シーたんとパパさんだ!」
嬉しそうにはしゃぐクレアの声。ぱたぱたとスリッパの駆ける音がした気がした。ボクもクレアに続く。
シオンと、シオンのパパだ。入口の所に立っている。シオンは黒髪の男の子。背もボクと同じくらい。今日もお気に入りの赤いスカーフをしている。
ボクは子供で背が小さいからシオンのパパの顔が見えない。あれ?おかしいな。首が動かないよ。
シオンのパパはいつも薬の匂いがして白衣を着ていて───
もう一度シオンのパパを見上げようとしたけどやっぱり上がらない。
突然誰かの両手が目隠しをして、視界が真っ暗になった。音も、何も聞こえない。
「なあ」
声が聞こえた。男の子、子供の声だ。ようやくその両手が離れて光が見えて振り向くと男の子がいた。
赤い、スカーフの男の子。誰だっけ。でもどうしてだろう、悲しい。辛い。いかないで。
言葉がポロポロと浮かんでくる。ポロリと涙の滴が、落ちた気がした。
「泣くなよ」
そばにいた男の子がボクに言った。
「だって、もうすぐお別れ、ひっく、するんだよ?」
言葉が勝手に出てくる。男の子の手には赤いスカーフが握られていた。いつもその子が首に巻いていたスカーフだ。
男の子はそれを、ボクの首に巻いてくれた。いつの間にか涙は止まっていた。
「これ、シオンが大切にしているものでしょ?」
そうだ、この子は、シオンだ。
「次に会う時にそれ返せよ。それまで預ける約束。な?」
「……うん、でも…」
「あー!!シーたんだけずるい!!オレもアルたんになんかわたすー!!」
後ろから別の男の子の声がした。


振り向くと誰もいない。同じ病室。白いカーテン。白いベッドだけ───


ジリリリリリリリリリリ。


「………………」

しばらく鳴りっぱなしだったが、ゆるゆると左手を伸ばしベッドの上にある目覚まし時計を止めた。
上半身をむりやり起こしたが、なかなかベッドから動けない。なんとも朝から変な気持ちだ。息を吸って吐いた。
ポロリと目元から頬を伝ったものが涙だと気がついて人差し指で拭った。
「…変な夢、だったなあ……」
シオンとクレアの事を夢に見るなんてすごく久しぶりだ。頭痛い。
…よく、3人で話をしていた気がする。でも、やっぱり記憶が曖昧だ。
もう一度夢の事を思い出そうとしたが頭の中が靄が掛ったみたいに、どんな夢だったのか忘れてしまった。
昨日ロスにクマっちのスカーフの話しをしたせいかな?そういえばまたロスの方が起きるのが早かったみたいだ。布団が畳んである。
とりあえずロスにはボクの部屋で眠ってもらっているけれどそろそろ別室でお願いしたい。
昨夜なんて気になってしまって案の定なかなか眠れなかった。だから変な夢みたんだ。きっと。
おかげでまだ頭がぼんやりとしている。ボクはベッドから抜け出して、畳んである布団に目を移した。
そっと伸ばした左手で触れてしまった枕がまだ温かくて、ここにロスが寝ていたんだと意識した途端、胸がじいんとした。

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