繋がり。***10




──アルバ自室──


ボクは部屋の明かりもつけずにただベッドを背にして座っていた。

「次に、会うまでの約束、か…」

綺麗に忘れていたというのに。今更約束もなにもないと乾いた笑いが零れた。
さっきは記憶を取り戻したばかりでだいぶ混乱していたが今は冷静になり始めていると思いたい。
ボクは誰もいない部屋で重い溜め息を吐きだした。

──…ただはっきりしているのはロスもクレアも何かを隠しているということ。
クレアはあの時喫茶店で「初めまして」と言った。ロスだって今まで何も話そうともしなかった。
そこには、ボクには知られたくない理由 (ワケ)がある。全てに繋がるのはある事件だ。
きっとロスはボクがその事件を知ってしまうのが嫌なんだ。それだけはわかる。 絶対に関わらせないように。

それは、やっぱりロスのお父さんが関わっているから…?
ボクだけが知らない真実を2人は知っている。
ボクは2人がその胸の内に抱えているものがなんなのか知りもしない。ボクだけが、仲間外れだ。

初めて学校にロスが転校してきたあの日の光景が思い出される。
教室のドアから現れて、周りが騒がしくてもボクは真っ直ぐにロスだけを見ていた。
そしてロスもボクの方を見た。目が合ってすぐに逸らされてしまったのを今でも覚えてる。
会った瞬間に惹き込まれた。あの時の感覚。今ならわかる。ボクがロスに惹かれた理由。
忘れてしまっていても心のどこかで気がついていたのかもしれない。ロスがシオンだと。

大きくなったボクに会ってロスはどんな思いだったんだろう。
小さい頃の思い出も何も話してはくれない。どうして何も話してくれないの?
どうしてクレアもロスも嘘を吐いているの?
どうして、どうして。そんな疑問符ばかりが浮かんでくる。

小さい頃は泣き虫だったボク。すぐに泣くっていつもシオンにからかわれていた。
今だって同じだ。男のくせにロスに会ってから散々で、泣いてばかりだ。

それでも好きなんだ。ロスが大好きなんだ。
けれど、ロスは今ここにはいない。いないんだ。


次の瞬間携帯の着信が鳴った。その音に驚きドクンと大きく心臓が飛び跳ねる。
もちろん相手は1人しかいない。一瞬電話に出るのを躊躇した。待っていたくせに、何を戸惑っているんだ。
ボクは手を伸ばして携帯に触れた。ロスと表示された名前。何度も何度も鳴りつづけるシンプルなコ ール音。
息を呑む。そして、ゆっくりと耳元に持っていった。
『もしもし』
機械越しに耳に届いたロスの声に胸が詰まる。「泣き虫アルバ」と幼い頃のシオンの顔が浮かぶ。
相変わらずいい声してるな、なんて呑気な感想まで出てきて。じわりと胸が痛んでまた涙が目元に浮かんだ。
外から掛けてきているのか車の走る音が近づいては遠ざかっていくのが聞こえた。数秒の沈黙が続く。
『……なんですか?』
なかなか話さないボクに違和感を感じたのだろう。先に口を開いたのはロスだった。
「うん…」
『……何で泣いてるんですか』
涙声で、ばれてしまった。
「ご、ごめっ…」
詰まる声。ぽろりとまた頬を伝い落ちてくる涙。電話の向こうで小さな息が漏れた。
ちがう、そんな風に困らせたくないのに。ただ、会いたいだけなのに。
『泣かせてばかりですね、オレは』
ぽつりと呟かれたそれに。
「ち、ちが─」
『違わないでしょう』
携帯を持つ左手が震えた。口を開いてはまた閉じる。言葉が咽につかえて出てこない。
シオン、と名前を呼んだらどんな顔をするんだろう。今はその勇気すらない。
だって話したら、その間にロスがいなくなったりでもしたらどうするの?そんなのは嫌だ。
何故かそんな気がした。いなくなってしまうだなんて極端なこと、あるわけないのに。


「会いたい」


ようやく出た声は掠れていて、それでもそれはボクの今の本心で。電話の向こうで声が詰まる音がした。
『今、家ですよね?』
「うん…」
『もうすぐ着きますから』
「嫌だ、待てない。待てないよ」
『アルバさん?』
ボクは感情に流されるまま携帯を放り投げて部屋を飛び出した。『アルバさん!?』と声が聞こえたが無視した。
急いで階段を降りていく。 玄関で靴を履くのすら煩わしい。裸足のまま飛び出した。
一度空を見上げると星はぽつりぽつりと数は少なく月がやけに綺麗な夜だった。満月だ。すぐに真っ暗な道へ視線を戻し左と右を見て右へ走り出す。
身体は自然と覚えているもので喫茶店へと向かう道へと走った。家の一番近くの小さな横断歩道の向こう側、
ロスの姿が見えた途端向こうもボクに気がついてとても驚いた顔をした。ああくそ信号は赤だ。
ほんの数十メートルの距離が酷く遠い。じれったい。この時間は車の通りがとても少ない。今だって周りは静寂に包まれている。
いけないとわかっていたけれど動く足は止められなかった。ボクは走り出した。横断歩道を渡りきり思いっきり飛びつくようにロスに抱きついた。
背中に腕を回し彼の服を強く握り、きつ くきつく抱きついて。馬鹿みたいにまた泣いた。
泣きだしてしまったボクにロスは何も言わなかった。ただ、その背に腕が回される事はなかった。
戸惑っているのかもしれない。泣きながら漠然とそう思った。無理もない。こんなの、戸惑わない方がおかしい。


「シオン」


びくりとロスの身体が大きく反応した。
「思い、出したんだ。シオンとクレアの事…」
「…………」
ロスは何も答えない。だけどボクは続けた。
「シオンなんでしょ?名前、違ってもわかるよ。ロスはシオンだ。そしてクレアも、あのクレアだ」
涙声が含んで、ボロボロと涙が落ちてくる。ああまた泣いているのかの言われてしまう。
「……どこまで」
ようやく口を開いてくれた声は囁くように小さかった。
「どこまで思い出したんですか?」
ロスはここにきてボクの背に腕を回した。
「─…全部、じゃない気がする。だってボクは刑事が話したあの事件がな んなのか、何も知らない」
ボクは恐る恐るロスの顔を覗き込むように見た。何か物思いにふけるように複雑な表情をしている。
ボクの視線に気がついたロスと目が合って苦々しくその表情は苦痛に歪められた。
「─…オレは、思い出して欲しくなかった」
吐き出されたその声は苦しそうで、震えていた。
「うん…そんな感じだよね…」
今まで何も話さなかったのが何よりの証拠。はあ、とロスが息を吐き出した。
「とりあえず、離れてくれませんか」
「嫌だ」
「アルバさん」
「離れたくない」
この腕を離したら、ロスがボクから逃げていなくなってしまいそうで。
何故そう思うのかわからない。とにかく今は無性にこの腕を離したくない。不安な気持ちが胸の中を占めていく。
ロスの背中に回している腕に力を込めて洋服を強く強く握りしめた。お願い、いなくならないで。ここにいて。


「いなくなりませんから 」


ボクは驚いてロスを見つめ返した。ロスも真直ぐにボクを見ている。心を読まれたのかと思った。
「大丈夫です。ちゃんと帰ります。だから、今は離れて下さい」
ぽんぽん、と子供をあやすように背中を叩かれて。その行為に子供扱いされた気持ちにになり大人しく
従いたくない気持ちが心の大半を占めていたがボクは渋々腕を離した。
腕から手が離れても、ボクはロスの両手首の辺りを掴んだまま、名残惜しくて離せずにいた。
それからボク達はお互いに無言で見つめ合った。話したい事がたくさんあるのに。何から話していいのかわからない。
ジワリと涙が目元に浮かぶ。あんなにたくさん泣いたのにまだ涙は出てくるのか。泣き止まなければいい加減呆れられてしまう。
ボクは左手の甲でぐしぐしと涙を拭った。
「本当に泣き虫なのは昔から変わりませんね」
ロスはゆっくりと瞳を閉じて開くと苦笑した。
「…シ、シオン…?」
ボクは問いかけた。まるで再確認するように。ロスはシオンなんだと。しばしの沈黙が流れる。
風が緩やかに靡いて前髪を揺らした。


「──…はい、そうです。お久しぶりです」


ロスは笑ってくれた。でもその頬笑みは喜びからくるものではない。困った表情にも似た戸惑いが混じっているように見えた。
だけど今目の前にいるのはシオンだ。シオンがいる。ロスはシオンだ。頭ではわかっていても本人の口から聞けるのとそうでないとでは全然意味合いが違う。
心の底から湧き上がってくる様々な感情がうまく整理できない。嬉しい、悲しい、寂しい。全てが混ざり合いぐちゃぐちゃになっていく。
「いい加減泣き止んでください。迷惑です」
「だって、だって、止まんな、いっ」
拭っても拭っても零れ落ちてくる。どうしたって涙が止まらないのだ。
「シオン、嬉しい…また、会えた」
嬉しい。シオンに会えた事がこんなにも。都合良く忘れていたくせに。現金な奴だボクは。
そんなボクの側にずっとロスはいてくれたのに。
「オレは…」
「うう…ぐずっ」
俯いて涙を拭っていたら視界にロスの両手、両指が見えて顔を上げた途端両頬を引っ張られた。
「いひゃいいひゃい!」
ロスの指が離れるとボクは両頬を両手で撫でた。ひりひりと痛む頬に涙は止まったようだ。
ボクはスンスンと鼻を二、三度啜った。
「帰りますよ」
ボクはこくりと頷いた。ロスはボクを横切って青になっている横断歩道を渡ろうとした時だ。立ち止まって視線が下へ向いている事に気がついた。
その視線を追って見るとボクの足元だった。裸足のままの泥と砂利だらけの足。
おまけに服装はTシャツにハーフパンツ。お世辞にも外に出る格好ではない。そうだった、裸足だったんだ。
ロスは右手を腰に当てるとやれやれと頭を小さく左右に振って深く溜め息を吐いた。何か考え事をしているのはわかる。
もしかしたら呆れられたのかもしれない。こんな、裸足で飛び出してきて、号泣してしまった自分を。
ロスはボクとの距離を一気に縮めるとボクの膝の内側に腕を滑り込ませた。軽々と横抱きをされてしまったのだ。
「は!?え!?」
いわゆる姫抱きである。
「うわ、ちょ、あの、ええ!?」
咄嗟にロスの首に腕を回すが人通りがないとはいえいくらなんでも外でこれは恥かし過ぎる。
羞恥でじわじわと顔に熱が集まってきた。その間に信号は点滅し赤に変わってしまった。なんてタイミングだ。
「このまま家まで連れて行きます。すぐそこなんですから大人しくして下さい。アバラ折られたいんですか」
「嫌だよ!降ろせ!」
「というかアルバさんそんなにオレに会いたかったんですか?裸足とかマジ引くんですけど」
ロスはいままでの雰囲気を見事にぶち壊して鼻で笑い思いっきり馬鹿にしてきた。
「はあ!?ボクがどんな思いでロスに会いに来たと思ったんだよ!なんだよそれ!!」
「オレからしてみれば泣きっ面なアルバさんが面白可笑しいだけなんですけどね」
「台無しだ!!今までの流れ全部台無しにしやがった!ボクの涙返せチクショウ!」
「何が台無しなんですか。人通りがないとはいえ公衆の面前で抱きつかれて号泣された身にもなって下さいよみっともない」
「う、うう…そ、それは、しょうがないだろ!!てか今ボクに更に恥ずかしい事しているのはロスだよね!?」
ボクはそこではっと気がついた。いつの間にか、いつものペースになっている。
とっくに涙は引っ込んでいたし、ロスなりに気を使ってくれたんだろうか?
急に黙り込んだボクにロスはちらりと視線をよこすと再び青に変わった信号を見て横断歩道を歩きだした。
「ツッコミのないアルバさんなんて目玉焼きの卵抜きみたいなものですから」
「無!?」
「はいはい帰りますよ」
「え、あの、本気!?」
「いい加減に黙らないとそのうるさい口塞ぎますよ」
「で、できないくせに!!」
ロスがむっとした顔をしたと思ったら顔が近づいてきて噛みつくようにキスをされた。
「んっ!?」
嘘、待って!こんな所で…!軽くパニックになりかけていたが唇を割って入ってきた舌に歯列をなぞられた瞬間ボクは
これ以上舌の侵入を許すかと必死に歯に力を込めて口を閉じた。
「んー!!んー!!」
ボクはロスの首周りに回している左腕とは反対の空いている右手でばしばしとロスの胸を強く叩いた。
冗談じゃない。こんな外で、おまけに横抱きされたままキスされている姿を近所の人に見られたらどう責任を取ってくれるんだ。
もう一度と胸を押し返そうとした所でようやく唇が離れてくれた。ロスは当然不満そうな顔をしている。
「な、なななな何考えてるんだよ!」
ボクは肩で息をしながら訴えた。
「うるさいですね。近所迷惑ですよ」
「誰のせいだ誰の!!」
つい大きな声が出てしまい静かすぎる住宅街にはその声がとてもよく響いてしまった。ボクはしまったと思ったがもう遅い。
ロスはそんなボクを無視したまま歩き出した。確かにここからだと家は目と鼻の先。だがしかしここで暴れたら
絶対にそのまま腕を離されて落とされそうなので大人しく横抱きされたままじっとしていた。ちらりとロスの顔を見る。
ロスははこちらを見ようとはしない。真直ぐに前だけを見て歩いていた。


***


家に戻りようやく玄関先で降ろしてもらえた。ホッと一息つく。ボクは足を洗うため廊下を汚さないよう気を付けながら
風呂場に向かったがロスは二階の部屋に戻ってしまった。足を洗いタオルで拭いて、
それから自分の部屋に戻りもう寝てしまえとベッドの中に潜り込むがどうにも気持ちが落ち着かない。
身体は疲れているはずなのに眠れない。興奮しているのがわかる。数分後隣の部屋からロスが出ていく音がして
1階へ降りていった。どれぐらい経ったかな。実際には数十分も経っている筈なのにやけに短く感じた。
しばらくしてまた足音が聞えて部屋に戻った音もしたので遅めの夕飯、もしくは風呂にでも入ってきたのだろう。

今日は本当に色々な事がありすぎて目まぐるしい一日だった。この部屋の壁の向こうにはロスが、シオンがいる。
けれど今はいない。今はボクの側にはいない。そう思ったら無性に寂しさが込み上げてきた。あ、やばい。これ、寂しい。
きゅうと胸が締め付けられる。戸惑いはあったがボクはそっとベッドから抜け出してロスの部屋の前まで来るとノックをした。
返事はない。もう寝ちゃったのかな。静かに部屋のドアノブに手をかけてゆっくりとドアを開けた。
中の様子を伺うと電気は消えていて、真っ暗だ。暗がりでもロスが布団に横たわっていたのはわかった。流石のロスも疲れていたようだ。
「…………」
本当ならちゃんとロスに言わなくちゃいけないんだと思う。一緒に、寝てもいいかなって。
だけどただ離れたくなくて一緒に寝たいなどと言ったら絶対拒否られる。
拒否なんて生易しいものじゃない。下手をしたら確実にパンチが腹か顔にお見舞いされる。
拒否られる理由は……ボクでもわかる。ボクだって男だ。好きな相手と一緒に寝てどこまで自分の理性を抑えられるかって話。
ネットで調べた時はろくに見れずにいたけれど性欲がないわけじゃない。
けれど今はロスの側にいたかった。離れたくないと思うのは、ロスがシオンだとわかったせいもあるんだろうな。
ただ単にボクが寂しいだけなのかもしれないけど。ゆっくりと忍び足で音を立てずにロスに近づいて
顔を覗き込もうとした次の瞬間右手首を捕まれてボクの心臓が飛び跳ねた。ボクの手首を力強く掴んだままロスは上半身を起こした。
「いたいいたいいたい!!」
「何しているんですか」
暗がりで表情はよく見えないが、その視線が痛い。
「えっと…一緒に、寝たい、なって」
「まさかアルバさんの方から夜這いに来るなんてさすがのオレも驚きです」
「ち、ちちちちがうよ!!そういうのはもっとちゃんと心の準備が出来てからしたいし!!」
ロスが固まった。それはもう見事に。その隙に緩められた右手をロスの手から引っこ抜いた。
目が慣れてきたと思ったらロスは冷ややかな目でボクを見ていた。何これ怖い。
「今自分が何言ったのかわかってんですか」
「?」
何って心の準備が……
「ってうわああああああ!!!」
事の重大さにかあああと一気に頬に熱が集まった。暗がりでなければ間違いなくボクの顔は真っ赤になっていたのを見られていただろう。
「や、えっと、その、ごめん、そんなつもりじゃなくて」
「へえ?どんなつもりで言ったんですか?」
「あの、寝るだけじゃ、だめ、かな?」
「本当に貴方はオレを苛立たせる才能だけはあるんですね」
かなり苛立った口調だ。
「ロスが何を言いたいのかわかるよ!…でも、お願い。今日は側にいたいんだ、離れたくない」
「…………」
うう、無言の圧力が怖い。その視線に耐えられずボクはロスの視線から逃げて俯いた。やっぱり駄目だろうか。
「─…わかりました」
ボクはぱっと顔を上げた。
「ただし半径50メートル以内は入って来ないで下さい。来たらぶん殴ります」
「そんなに部屋広くないから!」
思いっきり舌打ちをされた。
「オレの言いたいことがわかっている?本当にわかっているんですか?」
ロスはボクの右手を掴むと自分の方へ強く引っ張った。バランスを崩したボクは一度ロスの胸の辺りに顔面を思いきり鼻からぶつけた。
だが痛がっている暇もなく視界が反転しぼすっと頭が柔らかい何かに沈んだ。それが枕だと理解する間もなくロスに上から組み敷かれて押し倒された。
「え…」
両手は頭の上で拘束されている。しかもロスは右手一本でボクの両手を拘束しているのだ。動かそうとしてもびくともしない。ロスの顔が、近づいてくる。
「あ…」
ドクンと心臓が大きく飛び跳ねる。やだ、待って。近い。
「─…こういうこと、されても文句は言えませんよ」
ボクの足と足の間にロスの左足が割り込み上へ上へと迫ってくる。服越しだけど密着する互いの体温。
驚くほど触れ合っている部分が 熱い。ドキドキと心臓の音が早くなっていく。
「………いいよ」
唇が触れ合う寸前。ボクは囁くように小さな声で言った。
「は?」
「ロスが、本気でそうしたいなら、ボクも覚悟を決める」
途切れ途切れで吐き出した言葉。ロスはこれでもかと目を見開きひどく驚いたようで顔を僅かに引いてそのまま固まってしまった。
「ロス…?」
そしてそんなロスを見上げたままのボクと、ボクを見下ろしたまま停止するロス。
瞬きすらするのも忘れてボクはロスの次の反応を待っていた。ボクらはただ見つめ合っていた。
しばらくして拘束されていた腕が離れ、ロスの身体がボクから離れた瞬間ドスッと腹にパンチを食らった。
「〜〜〜!!!」
それもかなり痛い奴だ。あまりの痛みに咳きこんでじわりと別の意味で涙が浮かびあがる。ボクは両手で腹を抱えながら身体を横に傾けた。
「お、おま…人、が…!!」
どんな、思いで、言ったと思ってるんだど叫びたいが声にならない。
「さっさと寝ろこの愚図野郎」
「え、ちょ、」
ばさっと掛け布団を投げつけられて、頭から被ってしまった掛け布団を取り除くとロスは部屋を出る所だった。
「頭冷やしてきます」
「ま、待って!戻って─」
ぎろりと睨まれてしまったのでボクは慌てて口を閉じた。でも大事な事だ。
「…戻ってくる?」
もう一度聞いたが返事はなく、そのまま部屋を出て行ってしまった。
呆然と1人部屋に取り残されて。 もしかして、照れた?ロスが?
それとも実はちゃんと考えてくれていて、ボクと同じように勢いではしたくなかったのだろうか。
でもそれはロス本人に聞いてみなければわからない事だがそんな自殺行為はしたくはない。
確実にもう一発腹にパンチを食らうだろう。

どうしよう。もう戻ってこないのかな。ありえる。でも1人で寝るのは嫌だ。とりあえずロスが使っている布団に寝るのはまずい。
ボクは自分の部屋から掛け布団と枕を持ってくるとカーペットの上に寝転んだ。この際布団はなくても寝ようと思えば寝れるだろう。
瞳を閉じてしばらくじっとしていたらドアの開く音がして人が入ってくる気配を感じた。
ボクは目を閉じたまま身構えた。ドサッと隣に身体を横たわる気配がして。
よかった、戻って来てくれた。お互いに背中合わせで寝ることになってしまったけれど。
できればぎゅってしてもらいたいんだけど、そんな事をお願いしたら何をされるか罵倒されるかわかったもんじゃない。今は我慢しよう。
さっきまで話していたのに室内は静寂に包まれていた。
「──……あの時さ、電話で話してたらね、 ロスがいなくなっちゃうと思った、だから会って、とにかく会いたくて、捕まえなくちゃって」
返事はない。いつぞやの夜の日みたいだ。アパートが火事になってしまい家にロスが初めて泊ったあの日の夜みたいにボクは語り出した。
「怖いんだ。ロスがいなくなっちゃうのが、どうしようもなく。自分でもどうしてそう思うのかわからなくて」
沈黙が続く。また泣いてしまうかと思ったがもう涙は浮かんでは来なかった。
「………覚えていますか?オレの父親の事」
ロスがぽつりと呟いた。
「うん…少しだけ」
「あの人のせいでオレの人生は狂いました。それはもう滅茶苦茶に。名前を改名しなければならないほどに」
「ロス…」
名前を改名するなんて余程の事だ。それは、”シオン”を捨てて”ロス”という新しい人間として生きてきた意味を現している。
駄目だ。あんなことがあったばかりなのに込み上げてくる胸の痛みに我慢なんてできるわけがない。
ボクは後ろを振り向くとロスの布団の中に潜り込んで彼の背中に腕を伸ばし頭を摺り寄せた。
拒絶されるかと身構えたが意外なことに彼も身体の向きをこちらに向けてボクを抱き寄せたのだ。
その行為に驚きを感じつつも素直にロスの胸に頭を摺り寄せた。心地よい心臓の音が一定の間隔で鳴っている。
「待つよ」
「…………」
「ロスが話してくれるまでちゃんと、待つよ。だってあの時ロスは時間をくれって言ってくれた。ボクを、拒絶しなかった」
「アルバさん…」
囁かれたボクの名前が鼓膜に届いて伝わってくる。
「そりゃ 正直言ったら納得できないよ。でも、もう決めたことだから」
それに、もしかしたらボク自身思い出せるかもしれない。忘れてしまっているもう一つの記憶を。
いつになるかはわからない。けれど、ボクは自分の過去と向き合いたい。例えロスがそれを隠したくても。
ボクはロスに頼ってもらいたい。「頼れよ」ってかっこよく言ってやりたい。
ロスが優しく後ろ髪に触れて、頭を撫でてくれる。密着している体温。その温もりにひどく安心してボクは瞳を閉じた。


***


翌朝。ゆっくりと目を開けて至近距離にあったロスの寝顔に悲鳴を上げそうになって両手で口を抑えた。
そうだ、結局あのまま寝ちゃったんだ。本当に普通に何もなく、ただ寝ただけだった。
ロス、昨夜はボクを押し倒してきたくせに結局手出して来なかった。
ボクはまじまじとロスの顔を見た。こんな至近距離でちゃんと見たことってなかったと思う。
てかロスって肌白いよな。ニキビとか全然ないし、まつ毛も長い。整った顔してるし…
「…………」
それにしてもその場の勢いって怖い。昨夜の自分のセリフを思い出して羞恥心でいっぱいになった。
「いいよ」ってなんだよ「いいよ」って!マジありえないだろ昨日のボクはどうかしてた。
でも、やっぱり勢いでそういう事はしたくないなって思う。怖いのもあるけれどちゃんと準備ってものがあるだろ普通。
あのままもし 、ロスとそういう事になっていたらと思うと…ってうわああああ朝っぱらから何考えてんだボクは!

──…だけどロスがシオンだってわかった。
大好きだったシオンとクレア。いつも3人で一緒にいた。
ちゃんとクレアとも話がしたい。しなくちゃいけないんだ。
だけど今はクレアには悪いけれどシオンを独り占めしたい。

キスくらい、いいよね。
ゆっくりと顔を近づける。ボクも瞳を閉じる寸前でロスの瞳がぱちっと開いた。
「のわああああ!??」
驚いてボクは身体を仰け反らした。
「………………」
ロスは上半身をゆっくりと起こすとものすごく不機嫌そうな顔でこっちを見ている。
「お、おはよう?」
返事すら返ってこない。ロスはがしがしと右手で乱暴に頭を掻いた。不機嫌全開で眠そうだ。
おまけに目の下にはうっすらと隈ができている。まさか…
「あの…ごめん、その、ひょっとして眠れなかった?」
返事の代わりに強烈なパンチを腹にお見舞いされたのは言うまでもない。

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