繋がり。***11



7月。夏も本格的に訪れ毎日うだるような暑さが続いた。
あれから、記憶を取り戻して二週間が過ぎた。
ボクとロスの関係も特に進展はない、というのは変か。

今まで通りと言えば今まで通りなのだが実はロスがそろそろ家を出てアパートを探しに行くと言い出したのだ。
父さんと母さんがまだここにいればいいと言ったものの、早々に不動産へ下見に行ってしまったと聞かされた時は流石に話して欲しかったと思った。
ボクとしてはもう少し、一緒にいたい。

記憶のごたごたがあったせいであれ以来ロスはボクに触ってこなくなった。
理由は…わからない。ハグもキスも、手を握る事すらない。ボクから触れようものなら殴られるか全力で拒否られて終わる。
この前なんてもの凄い顔して睨まれて近寄ることもできなかった。フォイフォイやヒメちゃんからは「喧嘩でもしたのか?」と言われる始末。
やっぱり一緒に寝よう事件のせいかなあ。落ち込む。

クレアともまだ会えていない。本当は直接会って色々と話がしたかったのだがなかなかお互いの都合がつかず、
結果的に電話で記憶が戻ったこと、幼い頃の話を報告した。クレアは特に驚きもしなかった。
そのことを不思議に感じて尋ねたらあっさりといつもの口調で
『だってオレはいつでもこういう日が来てもいいように心得てたし』と、返された。
『…どこまで思い出したの?』
続けてロスと同じ質問を投げかけられた時、心のどこかで寂しさを感じた。それでもボクはロスに話したように今ある記憶を一つ一つ話した。
『そっか、そっか…』
クレアは返答をしながらボクの話に耳を傾けてくれていた。
電話の向こうでうんうんと頷いているクレアの姿が想像できる。
『シーたんのこと、よろしくね。シーたんは本当にアルたんが大好きだから』
一通り話し終えた後クレアはそう言って昔の呼び名に懐かしくも恥ずかしくもなった。
「うん…ボクも、好き」
『うわっ惚気られた!それちゃんと本人にも言ってあげなよ〜?シーたん泣いて喜ぶから。アルたんに好きって言ってもらった!!って』
「か、からかうなよ!そ、それよりそのアルたんって恥ずかしいからやめてよ、今まで通りアルバでいいよ」
『あははごめんごめん!』
電話の向こうでクレアは笑っていた。
「…ねえクレア、ロスは…シオンがボクには事件の事を何も話してくれないのはさ…」
自分で「待つ」と言ったくせにこんな質問をクレアにするのは卑怯だとわかっている。
けれど聞かずにはいられなかった。だってロスはまだ、何も話してはくれない。
『──…ごめん、オレの口からは何も言えない』
やや間があって、クレアは言った。
「そうだよ、ね」
ロスが隠したがっているんだ。親友のクレアが口を開くわけがない。
『アルバ君はどうしたい?やっぱり知りたい?シーたんのパパさんが絡んでる事件の事』
「うん…もしかしたら、ボクはそれを、知っている気がする」
会話は途切れて沈黙が流れた。優しかったシオンのパパ。いつも笑顔でシオンに殴られては泣いて、
高所恐怖症なのに高い所に登って降りられなくなって騒いだりシオンに叱られたりと、大人なのに頼りなかった所もあったけれど。
ただ時折、その笑顔が怖いと思ったのは覚えている。
『もしアルバ君が本当に知りたいって願うなら、覚悟が必要だよ』
「覚悟…?」
『そう。シーたんの過去を一緒に背負っていくだけの覚悟。それと、アルバ君自身の…』
クレアは口を閉ざしてしまった。不安な気持ちが広がっていく。何を言いかけたのだろうか。
『─…ごめんね、やっぱりオレはこれ以上何も話してあげられない』

気にはなったけれど、ボクもそれ以上踏み込んだ話を聞けなかった。


***


もやもやした気持ちが広がっていくのが日を重ねるごとに酷くなっていった。
「待つ」と決めたのは自分だ。何度も何度も心に言い聞かせてきた。「今は待つんだ」と。
けれど、ロスは口を開かない。何も言ってくれない。何も。

自分だけが何も知らない。ロスもクレアも2人だけが真実を知っている。
ボクは、二人の背中を見ている事しかできない。一緒に並んで歩くことができていない。
ボクにはクレアの言った「覚悟」がないのだろうか。その資格すらも。ボクはそんな悩みを抱えながら数日過ごしてきた。

けれどそれは突然何の前触れもなく訪れた。
─…あの日が、訪れたのだ。

その日は蒸し暑い夜だった。ボクは寝苦しくなかなか寝付けずにいた。寝る前にタイマーをかけたクーラーはとっくに止まっている。
じわりとかいた汗がシャツや足にはりついて気持ち悪い。咽も乾いた。水でも飲みにいくか。面倒だと思ったがボクはベッドから抜け出して
部屋を出た。1階へ降りていくと廊下に明りが洩れていた。リビングの明かりだ。階段を降りきったところで話声が耳に届いた。母さんとロスだ。
どうしたんだろう、こんな遅くに。
「記憶が戻りかけていると前にもお話しましたよね?」
ロスの声にボクの動きは止まった。
「ええ、そうね。でもね、私はそれはそれでいいと思っているの」
「どうしてですか!!自分の子供が辛い思いをしても平気だと言えるんですか!?」
切羽詰まった叫びにも近いロスの声。ボクはその場から動けずに階段に腰を降ろして2人の話に耳を傾けた。
一瞬何の事かと思ったがなんとなくボクの事を話している気がした。それに、このピリピリとした声の感じ、あの時と似ている。
あの喫茶店でロスがクレアと言い争いをしていた時と。


「貴方がいてくれるからよ、シオン君」


母さんの声はとても穏やかで優しかった。ボクは自分の吐息が、声が漏れてしまわない様に両手で口を抑えた。
シオン、母さんは今、ロスをはっきりとシオンと呼んだ。時間が止まったのではないかと錯覚するほど辺りは静寂に包まれた。
物音ひとつしない。母さんは、知っていたんだ。ロスが、シオンだってこと。
「大丈夫。アルバは強い子よ。それは貴方も知っているわよね?私が言わなくたって」
口を開いたのは母さんからだった。
「あんなことがあって、それでも貴方はアルバの側にいてくれる。あの子の心の支えになってくれている。違う?」
「オレは…」
待って。ちょっと待ってよ。二人は何を話しているの?
「それにね、親の私が言うのもなんだけどあの子には貴方がいないとダメなんだと思うの」
母さんの声にはどこか笑いが含まれていた気がした。笑顔で母さんがロスに言っている姿が容易に想像できた。
ロスの声は、続けて聞こえてはこなかった。
「だから私は同居を許したの。主人だって同じ気持ちよ」
それを聞いてボクはある違和感を唐突に思い出して気がついてしまった。そう、あの時ロスはおかしなことを口走った。
初めて母さんがロスにこの家に住めと話を持ちかけて父さんに許可を取ろうと電話をした時のことだ。
あの時電話でロスは父さんに『ご無沙汰しています』と言った。そもそもこの言葉がおかしい。だってそんなことはありえないんだ。

"あの時点でロスが父さんと会った事実は一度もなかった"

ロスが家に遊びに来た数なんてほんの数回だ。その時父さんと顔を会わせたことなんてない。
……過去に会っていたんだ。シオンだった時に、父さんと。そうすれば辻褄が合う。どうして今まで何も気がつかなかったんだボクは。

じゃあ、本当に何も知らなかったのはボクだけ、ボク独りだけ?

「貴方とクレア君がいなくなったあの日から、あの子を見ているのは本当に辛かった…」
悲しげな母さんの声。胸の奥が痛い。
「だからね、貴方がもう一度ここに来て、アルバに会いに来てくれた時は本当に嬉しかったのよ。本当に」
「どうして、どうしてそこまで同情してくれるんですか、あんな…ボクのせいで…」
「違うわ。同情なんかじゃない。誰のせいでもない。お願い、自分をそんな風に責めないで」
考える余裕すら与えられないまま2人の会話は続いていく。

「──…ボクはこれ以上アルバ君には何も話しません。話すつもりもありません。これからも、嘘を吐きとおします」

ドクリと心臓が嫌な音を立てた。
「シオン君…」
「言われました。あの事件の事を問い詰められて、それでも、待つって…
だけど、いつか何かのはずみでその記憶を思い出してしまうんじゃないかって」
苦しげに吐き出された言葉。ボク自身もズキズキと胸の痛みが増していく。
「それが…オレは、オレは…!」
怖い、と続くかと思った。苦しげな、辛そうな声で。
「もし思い出してしまったら、あいつは、アルバ君は向き合わなくてはならなくなるんですよ?あの忌まわしい真実と」
忌まわしい、真実……?
「……ありがとう、あの子を大切に想っていてくれて。優しい子ね」
2人はそれきり口を閉ざしてしまった。中がどんな状況なのかわかりもしない。

けれどボクはこれ以上聞けなかった。ここにいたくなかった。
物音を出来るだけ立てない様に、逃げる様に自分の部屋に戻った。
ドアを背にしてずるずるとその場にしゃがみ込む。涙くかと思ったが涙は出てこなかった。

浮かんでくる言葉はただ一つ。
裏切られた。ただ、それだけ。


***


翌朝。ベッドに横たわったままボクは天井を眺めていた。瞼が重い。ロクに眠る事すらできなかった。
鏡を覗けばきっと酷い顔をしているだろう。学校、行きたくない。ロスと顔を会わせたくない。母さんともだ。
こんなもやもやした気持ちのまま顔を合わせて昨夜の事を言わない自信なんてない。絶対に喧嘩になる。
昨夜の会話を思い出せばやり場のない悲しみと怒りが沸きだしてくる。汚い言葉で罵ってしまいそうだ。

色々と思う所はあるがどんな理由が後ろにあるにしろロスは始めからボクに話すつもりなんてなかったんだ。
それがどうしようもなく悲しくて、悔しくて、腹が立つ。

むかついて軽くベッドの脇の壁を蹴った。ボクは枕元に置いておいた携帯を手に取りある人物に電話を掛けていた。
誰かに話してしまいたかった。1人で考えるのは辛かった。今こんな話を聞いてもらえるのは、話せる相手は1人しかいない。
ワンコール鳴らした所でボクは我に返り慌てて電源を切った。何を考えているんだ。まだ朝の5時だ。迷惑にも程がある。
深く溜め息を吐き出した。けれどすぐに折り返しの電話が鳴ったのは流石に驚いた。ボクは急いで上半身を起こし電話に出た。
『どうしたのー?』
電話の相手、クレアの声はまだ寝起きで、あくびが聞こえてきそうだった。
「ご、ごめん、こんな早く……」
声が咽の奥ににつかえているみたいに、これ以上は言葉にできなくて。上手く話せない。僅かな沈黙が続いた。
『シーたんとなんかあった?』
ずばっと確信をついてくれる。ひゅ、と息を吸い込んだ音が答えの代わりに鳴った。
「ごめん、ホントごめん…今、あいつに会ったらボク、酷い事言っちゃいそうで、
でも、自分でもよくわからなくて…あはは本当、どうしていいかわからなくて…」
こんな事を突然話されてもクレアだって迷惑極まりないというのに。
「ごめんね、クレア。こんな、いきなり─」
『ねえ、今日は学校さぼっちゃおっか』
「え!?」
クレアは明るい声で突然突拍子もない事をさらっと言い放った。
『今から会おう。会って話そう。こっそり家出ちゃいなよ。もう電車も動いてる時間だし』
「で、でも」
『1人でいるより一緒にいるほうがいいよ。はい、けってーい!場所はそうだな〜アルバ君の最寄り駅の駅前、じゃあまずいか。
今から支度して家でたら1時間ぐらい掛っちゃうなあ、う〜ん、じゃあ丁度30分ぐらいの場所にしよう!着いたら電話するね。
あ、間違っても制服着てきちゃだめだよ!今日はオレに付き合ってもらうから!』
「え、あのちょっクレア!?」
ツーツーツーと電話は既に切れていた。すぐに掛け直しても反応はない。…マジかよ。
確かに万が一学校の、ボクを知っている生徒に見られる可能性を考えればその方が無難だけどていうか駅名言ってないよね!?と
1人突っ込みをしても仕方がない。ボクもベッドから抜け出して着替えて準備をした。この際ラフな格好でいいだろう。
適当にタンスから黒のハーフパンツと胸の辺りに英語の文字がプリントされているグリーンのTシャツを掴んで着ると
黒のショルダーバックの中に財布と携帯を入れてこっそりと家を出た。

夏の朝は清涼感があって気持ちがいい。ボクは駅に向かう道中もう一度クレアに電話をするがやっぱり出ない。
もうこっちに向かっているのだろうか。ていうか何処に向かっているんだ。簡単にメールで「何駅前?」と打って送信した。
電車に乗る前には連絡付くといいけど。そう思いながらボクは駅へと足を進めた。

歩きながら考える。正直クレアの誘いは助かった。学校には行きたくなかったし、
かといってもしあのまま家に居ればロスに間違いなく様子がおかしい事を勘付かれて問い詰められてしまう。
学校には後で連絡を入れておくとして、母さんに嘘を吐くのは心が痛むが仕方がない。
ロスには…話を合わせてもらいたい所だが正直連絡はしたくない。でもしなかったらしなかったで後が怖いのでとりあえずメールしておこう。
何て送ろうか。素直にクレアと会う?いやいやそれはまずいよね。「ごめん、今日は先に家を出るよ。どうしても行きたい所があるから学校も休む」で、いいだろうか。
でもこんな文面送ったら連絡が来るかな。いや、間違いなく来る。でも他に嘘も吐きようがないし、いいや。今は携帯の電源をOFFにするわけにはいかない。

そこまで考えてクレアからメールの着信が入った。『ごめ〜ん!』と件名が記されていてようやく目的地が判明した。
ここから丁度30分前後で行ける場所だ。
とりあえず、ロス宛のメールは電車に乗ってから送信しよう。


***


そこは初めて降りた駅だったがビルが多く、オフィス街が多い所だった。しかし時刻はまだ朝の6時過ぎ。
時間が時間なので人がほとんどいなくぽつぽつとサラリーマンの男性が歩いている。きっと後2、3時間ほどでこの駅も多くの人でごった返すだろう。
とりあえず適当に北口前の改札口前で待っているとクレアにメールした。ロスからまだ返事はない。ホッした。それからほんの5分程度だろうか。
待ち人は姿を現した。
「アールーバーくーん!!」
朝だというのに元気いっぱいで笑顔全開のクレア。その笑顔を見れて少しだけ気持ちが穏やかになった。
だだだだと効果音が付きそうな勢いで改札を通り走って来て思いっきり正面から抱きつかれてしまった。
それからすぐに離れるとじっとクレアはボクの顔を覗きこんできて。彼にしては珍しく眉間に皺を寄 せた。
「酷い顔してる 」
「そ、そんなことないよ?」
「嘘は良くないよ嘘は」
じと目で見つめてくる視線が痛い。
「うう…ごめん」
「ま、それはオレも同じか」
「え?」
「じゃあ行こうか、あそこの店でいいよね」
クレアが指差したのは正面のチェーン店のワクドナルドだ。24時間営業なので唯一そこだけが早く開いていた。
店内はガラガラだ。奥に携帯をいじって座っている若い男性が1人と若い女性といってもボクよりは年上だと思うけど奥に1人いた。
ボクらは適当にドリンクを注文して奥の二人掛けの席に着いた。
「さ、どうぞ。何があったのか思う存分話しちゃって」
ボクは、昨夜の出来事を含め洗いざらいクレアに吐き出した。もう愚痴を吐き出す勢いだ。申し訳ないと思いつつも吐き出さずにはいられなかった。
クレアは聞き上手だ。うん、うん、そっか、と話を真剣に聞いてくれている。一通り話し終えるとボクはドリンクを一気飲みした。中身はもう空だ。
前回の教訓を得て今日はウーロン茶だ。
「─…で、つまりアルバ君は知りたいんだよね、シーたんの過去を。自分自身の忘れちゃっている記憶も」
「うん。ちゃんとボクは自分の過去と向き合いたい」
ボクは背筋を伸ばし、真っ直ぐにクレアの目を見た。クレアは一度その視線を外し目を瞑るとそれきり黙りこんでしまった。
ボクは大人しく次の言葉を待った。店内に流れる賑やかなJ-POPの曲がやけにうるさく感じた。
「クレアは全部知っているんでしょ?」
わかっていて、ボクは改めて口にした。
「知ってるよ」
再び間があって、クレアはボクを見てこう言った。
「覚悟が必要だよ」
その言葉を聞くのはこれで二度目だ。
「覚悟の上だよ。何があろうと引き下がりたくない」
怖くないと言えば嘘になる。だけど、それ以上にボクの決意も揺るぎたくはなかった。

″本当にいいの?耐えられるの?″

その心の中の声はまるでボクがボクに問いかけてきたようだった。けれど、もう迷いたくはない。
「うーん。どうしたもんかな……」
クレアは悩みながらずずず、とドリンクを飲んだ。
「─…本当はね、シーたんの考えって反対なんだよねオレ」
「え?」
「シーたんはアルバ君が思い出さないままでいいならそれでいいって考え方してるから」
「っ!なんだよ、それ…」
ボクの気持ちなんてお構いなしかよ。
「シーたんの考えている事にも一理あるよ。でもオレはそうは思わない。だってさ、一番はアルバ君自身がどうしたいか、ってことでしょ?
シーたんのパパさんの事は別としてさ。記憶は誰のものでもない。忘れちゃっていても、その記憶はアルバ君のものだ。
アルバ君が思い出したくないならそれでいいのかもしれない。でも現実は記憶を取り戻したがっている。ちゃんと、シーたんと向き合おうとしてる」
「クレア…」
クレアは苦笑いを零した。
「実はね、シーたんからアルバ君の記憶が戻りかけていることは聞いてたんだ。アルバ君がオレに話してくれる前に。
その時も事件について聞かれても絶対に話すな黙ってろって口酸っぱく言われていたし、何より、もし事件の事を話すのであれば
それはあいつの役目だって思ってたからオレの口からは言えなかった。けど、」
一呼吸間をおいて。
「あいつに話す気がないなら話は別だ。─…あの事件はアルバ君も大きく関わっているから」
「やっぱり、そう、なんだ…」
何となくそうなんじゃないかと思っていた。母さんやロスの会話、態度を知れば尚更だ。
「そう。もう薄々感づいてると思うんだけどさ、シーたんは怖いんだよ。全てを知られるのが。全部知って、思い出して、アルバ君を傷つけてしまうのが」
「でも、このまま何も進展しないのは嫌だよ!」
「もう一度聞くよ。本当にいいの?」
クレアは真剣な表情で最終確認とでも言うようなはっきりとした口調だった。ボクはゆっくりと大きく頷いた。
「わかった。あ、ちょっとごめんね」
するとクレアは徐に携帯を取り出して何処かに電話をかけ始めた。
「あ、もしもし、シーたん?」
ボクは思わずクレアの顔を凝視した。しーとクレアは人差し指を口元に当てる。
「うん…うん、そう、今会ってる。──もう、覚悟を決めなくちゃいけない時が来たんだよ」
何やら電話の向こうでロスの声が聞こえたがおかまいなしにクレアは電話を切ってしまった。そして携帯を握りしめたまま一言。
「後で2人で一緒に殴られよう!!」
「嫌だよ!!てかやっぱり殴られる前提!?」
しまった。ついいつものノリで突っ込んでしまった。
「大丈夫!きっと半殺しで済むよ!」
「駄目だから!半殺しも駄目だから!!」
「もう無理だよ。シーたんむちゃくちゃ怒ってたし」
「ああ…その姿が容易に想像できる…」
「さて、と。冗談はここまでにして、そろそろ行っか。連れて行きたい所があるんだ」
クレアは空になったドリンクの入れ物を持つとギーと椅子を引いて立ち上がった。
「あ、携帯の電源切っておいた方がいいよ。ガンガン連絡入るとうっとーしいからね」
ボクのマナーモードにしていた携帯には既に着信が8件メールが5件と届いていた。差出人は間違いなく1人しかいない。
悪いなとは思いつつもボクは携帯の電源を切ってクレアに続いた。


***


驚いたことにクレアがボクを連れてきたのはなんとロスのバイト先でもあるルキのパパとママが経営する喫茶店だった。
今は朝の9時を過ぎた所だ。通学時間帯ではないにしろ、できれば地元には戻って来たくはなかったのだがクレアは何の躊躇いもなく店の中に入っていった。
「おはようございますマスター!」
時間帯的に店内はサラリーマンが多く混雑していて空席もない。ママさんがカウンターの中でせかせかと動いている。忙しそうだ。
「はいおはよう。話は聞いているよ。2人とも暑かっただろう。後でアイスコーヒー持って行ってあげるから今は上を使いなさい」
マスターもといルキのパパさんは優しく微笑んでくれた。
「うわ〜ありがとうございます!頂きます!あ!マスター上にあるパソコンも借りていい?」
「ああ、いいよ」
「ほら、上に行こうよ」
「え、ああ、うん…」
困惑したままボクはクレアに続いて2階へと続く階段を上った。いつの間にお店に連絡を入れたんだろう。
それにしてもここに来るのは久しぶりだ。クレアと再会したあの日以来だ。そして休憩室にもなっている2階の部屋に入った。
2階は洋室になっており真ん中に四角い大きめな6人掛けのテーブルと、パイプ椅子やら使い古された木製の丸い椅子が1,2つある。
奥には仕切りがあってその向こうがロッカールームだ。僕らは適当にテーブルの前のパイプ椅子に座った。
「ね、ねえどうしてわざわざこの店に?返ってまずくない?」
「大丈夫大丈夫。灯台もと暗しってね。意外と見つからないもんだよ。それにここなら万が一何かあっても対処できるから」
「それってどういうこと?」
「そのうちわかるよ」
クレアは元々テーブルの上にあった全体的にブラックのデザインをしたノートパソコンを開いた。電源は入っている。
挿入されているUSBメモリーがチカチカと光っていた。
「口で説明するよりまずは手っ取り早くパソコンで検索して読んでもらった方が早いからね」
クレアはマウスを握り、インターネットのトップページを開いた。ネットなんて携帯で見ることもできるのに
わざわざこの店に来てまであえてそうしなかったのはクレアなりの理由があるのかもしれない。ふとクレアはパソコンから目を離し、
真っ直ぐにボクを見た。ボクも見つめ返す。とても真剣な顔つきをしていた。
「……本当にさ、この役目はシーたんがするべきなんだよ」
「クレア…」
「ずるいよね、あいつ。いざって時には怖気づいて逃げてちゃんと向き合おうとしない。
あんな性格しておいて実はメンタル弱いとか信じられないよ。さっきアルバ君の話聞いててさ、
何でちゃんと話してやらねーんだよコンチクショウ!おたんこなす!ハゲ!バリサン!!って言って殴ってやりたくなった。
まあ確実にオレ10倍返しされてぼっこぼっこにされるけど」
クレアはあははと笑いながらキーボードを打ち込んでいく。検索ワードは十年前、──病院、事件。そう、当時ボクが入院していたあの病院だ。
ボクはごくりと唾を飲み込んだ。これからクレアがボクに見せようとしているのは恐らく、例の事件の事だろう。一度はボクも調べようとした。
けれどできなかった。でも、これでようやく真実に辿り着ける。
「これからオレが見せるのは、シーたんのパパさんの事件の事だよ」
「うん」
「これが最後の確認。しつこいって突っ込まれちゃうかな。……本当にいいんだね?」
「大丈夫」
思っていたよりも緊張感はない。冷静に声も振えずにきちんと話す事ができた。
そんなボクの態度に何か感じ取ったのかクレアはノートパソコンをボクの前にずらした。
「まずは、これを読んで」
そのページにはとある事件の内容が書かれていた。それは、十年前とある病院で起きた殺人事件だった。
ボクはその見出しに、内容に、凍りついた。



「え……?」



ボクはクレアの顔を見る。彼は小さく頷いた。再びボクは記事に目を通していった。

○月×日の夜11時頃、───病院に刃物を持った不審者が小児病棟に乱入。
子供達の悲鳴に病院内は騒然となり駆け付けた警備員や夜勤の医師、看護師によると、病室で刺された子供達が血まみれ状態で倒れていた。
犯人の男はその場で拘束。子供達はすぐに治療が行われたが死者2名、重症者3名、内、軽傷1名もの被 害を出し小児病棟は惨劇となった。

マウスを持つ右手が震える。嫌な汗が額から頬へと伝う。スクロールしていくと、その後の事件の報道、子供たちへのケア、
病院の警備状況はどうなっているのか被害者遺族の訴えなど様々なことが書かれていて、文章の最後には実行犯とは別に首謀者がいることが判明。
研究員Aを逮捕した。残虐な行為を行った理由について「人間の悲しみや憎悪は莫大な魔力を手に入れる材料になる」などと不可解な発言。
これにより精神の異常が認められ精神鑑定を依頼。宗教団体との関連がないか調べを進めている。と記述されていた。
首謀者の男の名前は伏せられていたが男の家族構成に息子が一人いると書かれており、当時7歳だったその息子も被害者の一人、と。

「まさ、か……」
「うん、オレ達はあの日、この場所にいたんだ。この、小児病棟に」
「あ…ああ…」
カチリ、と何かが頭の中で音がした気がした。
場面場面が一つ一つ頭の中に浮かんでくる。



夜、病室。目の前にはシオンのパパさんと、知らない男の人がいて。
『後は頼みますよ、ディツェンバー』
『はい』
男は、頷いた。



テレビの砂嵐のように場面が切り替わっていく。



『クレ…ア……?』
血まみれになって、うつ伏せで横たわるクレア。動かない。悲鳴があちらこちらで聞こえてくる。
『次はそっちの子だ』
『やめろ!!!!!』
シオンが叫ぶ。男が、ボクを見た。にやりと笑って、ナイフを持って、ボクを。
『逃げろ!!!』
ドン、と身体に男がぶつかって、離れると、ぬるりとした血がお腹のあたりからじわりじわりと白いシャツを染めていく。
痛い、痛い、痛い。視界が反転して、顔が頭が床にくっついた。身体が、動かない。



また次の場面に切り替わる。



シオンが、泣いていた。真っ赤に、その両手は真っ赤に染まっていて。服も真っ赤に染まっていて。
カラン、と何か光るものが両手から滑り落ちた。ナイフだった。血が、たくさんついている。



また次の場面に切り替わる。



シオンが、クレアが、倒れている。2人とも、ぴくりとも動かない。






「アルバ君!?真っ青だよ!?」
クレアの声が、遠くに聞こえるような気がした。
「……違う、これは、こんな…こんな記事は、嘘だ…」



「″こんな事実は知らない"」



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