はじまりの手紙。***06


シオンと両想いになってからあっという間に月日は流れ、冬が訪れた。十二月。コートとマフラーは手放せない季節だ。あれからシオンとはちょくちょく連絡は取り合っている。話すのは他愛もない日常会話ばかりだ。最近は仕事が忙しいのかかれこれもう二週間は口を聞いていないけれど。あの頃の、手紙がテレビ電話に変わったようなものだ。
シオンと話ができるのは嬉しい。でも、ボクはこの関係に不満を募らせていた。

両想い、恋人同士という関係。

けれどボク達は少々特殊な形で気持ちを確かめ合ったせいで普通の恋人同士とは違う。
出来る事と、出来ない事がある。それも出来ない事の方が圧倒的に多い。 ボク等はまだ。

抱擁もキスもその先も、何もない。

これが結構辛くて、堪えた。こんなに辛い思いをするとは思わなかった。毎日シオンの声が聞きたくなるし毎日会いたいと願う気持ちが日に日に強くなっていった。頭ではわかっていても通話ができる時間に長い間が生まれれば不安になり余計な事まで考えてしまう始末で。

浮気、とか。

だってシオンはあの容姿なんだ。絶対モテる。外国人相手だってモテそうだ。シオンの事は信じてる。でも、もし気持ちが離れていってしまうと思うと気が気じゃなかった。…クレアさんとレイクさんは「そんな事天地がひっくり返ったってありえないよ」って笑っていたけれど。会えない時間は寂しさと不安を生んだ。そんな寂しさに負けて何度も携帯やメールに連絡してしまい、自分でもやり過ぎだとわかっているのに止められなくて、シオンと口喧嘩をした事もあった。世の中の遠距離恋愛をしている人達は皆こんな辛い思いをしているのだろうか。それでも時間を作っては、一カ月、数カ月に一度は再会できるだろう。でもボク等の場合はそうはいかない。シオンは遠い海の向こう側にいる。

そんなボクは今近所の住宅街を一人ある目的地へ向かい歩いていた。それはルキの家にいるらしいクレアさんに会うためだ。会いに行く理由は例のクレアシオン物語の件について。クレアさんはこの数カ月の間に二冊クレアシオン物語を出版させた。「あきのおはなし」と「ふゆのおはなし」だ。クレアシオン物語の完結。ボクは前もって聞いていたボクをモデルとした登場人物がどんな風にこのお話に関わってくるのかワクワクドキドキしながら絵本を読み進めていった。そうして、全て読み終わり、何度も読み返した。読み終わった時の感想は感動というよりかは、じわじわと顔に熱が集まりクレアさんに速攻で抗議をするため電話を掛けた。抗議したくもなる。一言行ってやらないと気がすまない。だって、なんだあのラスト…!
「あ、もしもし!?クレアさん!」
『どーしたの、そんなに焦った声で』
「焦りたくもなりますよ!あのですね─」
『今ルキちゃんの家にいるんだ〜アルバ君も遊びにおいでよ〜』
とクレアさんは呑気に軽い声で言った。
「わかりました。今すぐそっちに行きます!」
という経緯だ。

「あきのおはなし」と「ふゆのおはなし」、共にクレアシオンはあの狐と共に旅を続けていた。ある時狐の少年が人の姿に変わって、それが自分をモデルにした少年だというのはすぐにわかった。そのイラストの少年の容姿は、オレンジのシャツにシルバーの胸当て装備しグリーンのズボンを着ていた。茶髪でクセ毛で真っ黒な瞳の少年。間違いなく自分だった。名前は「アルバ」。そう、本名のまま登場したのだ。ボクは本名を名前に当てる事を許可した。クレアさんも、仮の名前を付けたくなかったらしい。ボクの名前をボクとして使いたいのだと。それに、クレアシオンがシオンなら、その隣に必要な相手がボクというのなら、そうして欲しいなと思った。仮の名前ではない、アルバのままで彼の隣に立ちたかった。例えそれが絵本の中だとしても。でもそれはボクの勝手な我儘だけど。だけど、まずここで物申したい。少年のアルバが出てきたのはあきのおはなし。しかし「なつのおはなし」で既に狐は登場している。つまり、クレアさんは始めから許可を取る前にボクをモデルとしたキャラを登場させていたという事だ。この時点でもボクはクレアさんに抗議した。
「クレアさん!クレアシオンの親友になった狐の少年って…!!」
「うん!アルバ君がモデルだよ〜だってアルバ君って動物に例えると狐っぽいから」
「騙しましたね!?ボクに許可取る以前にもう勝手に狐を描いてるじゃないですか!!」
「えへへーごめーん」
で軽く済まされてしまった。


クレアシオンはとつぜんあらわれためのまえのしょうねんをみつめたまま、いいました。
ちゃぱつでくせげのある、えがおのにあうしょうねん。

「アルバ、なのか…?」
「うん。そうだよーひとのすがたにもなれるんだよ!」

アルバはクレアシオンにわらいかけました。おひさまのような、まぶしいえがおでした。


アルバは次第に冷えきっていたクレアシオンの心を徐々に溶かしていった。時には励まし合い、時には共に旅 を続ける仲間でもあり、相棒でもあり、戦友でもあった。少年アルバとクレアシオンは友達になった。一番の、友達に。
不器用でぶっきら棒な態度のクレアシオン。でも本当は誰よりも優しい人。口は悪いし相変わらず素っ気ないクレアシオン。誰よりも狐のアルバを大切にしている気持ちが伝わってきた。ただそれを上手く表に出せないだけ。本当に、どこまでもあいつにそっくりな、もう一人のシオンだった。それに、それにあきのおはなしのラストの時点でこの二人、仲睦ましいのだ、とても。友達、というよりかは下手をしたらほのぼのカップルに見えなくもない…
いやそれはボクがシオンと付き合っているからそう思えるのかもしれないけれど。でもまあ、そこまでならまだいい。問題はふゆのおはなしのラスト後半だ。


クレアシオンには、たいせつなともだちができました。
かれのためならがんばれます。じぶんをたすけて、ささせてくれる、たいせつなひと。
まもりたいとおもえるたいせつなともだち。かれと、こまっているひとたちのためならまおうだってまものだってなんだってこわくありません。
さあ、もうすぐまおうのおしろです。いちばんちかくにいてくれる、たいせつで、だいすきなあのこのためにもまおうをたおしにいかなければ。
「ボクもいっしょにいく!」
「だめだ」
「どうして!」
「オレがひとりでけっちゃくをつけなくちゃいけないんだ」
「クレアシオンはどうしてそんなにまおうにこだわるの?どうしてまおうをたいじしようとおもった の?」
クレアシオンはしんじつをはなしてよいものかとまよいました。しかし、アルバはいちばんのともだちです。
アルバにならはなしてもいい、とおもったクレアシオンははなしはじめました。

「まおうはオレの……ちちおやだからさ」

なんと。まおうはクレアシオンのちちおやだったのです。
「おやがわるいことをしたんだ。だからこどものオレが、せきにんをもってかたづけなくちゃいけないんだ」
「どうしても、たおさなくちゃいけないの?はなしあおうよ!きっとわかってくれる!だってクレアシオンのおとうさんだもの」
アルバはいいました。クレアシオンにわらいかけて、いいました。


それからアルバと共に魔王城に行くと言っていたが、実際にはクレアシオン一人で魔王城に向かっている。クレアシオンは一人で決着をつけるためにアルバに内緒で夜な夜な魔王城に向かった描写がされていた。アルバは一人クレアシオンの帰りを近くの街で待つ事になった。街のみんなは口々にクレアシオンを心配していた。旅の途中人助けをしていた二人の噂は広がり、いつの間にかクレアシオンの名は勇者と伝えられ、有名になっていたのだ。何故クレアシオンの名前だけが有名になったのかというとアルバは人の姿を大衆の前であまり晒さなかったのが一つの要因だった。狐の姿で行動する事も多々あり、宿代を一人分浮かせるために狐の姿になって毛皮の振 りをして けちったり、ある夜の野宿した日は狐の姿で寒い夜をしのぐ描写もあった。


やどやのしゅじんのむすめはアルバのあたまをなでました。
「おや、そのきつねは?」
りっぱなひげをはやしたやどやのしゅじんはむすめにいいました。
「クレアシオンさんのペットだよ」
アルバはペットじゃないよ!といいたいところですが、できません。いまはひとのすがたではなく、きつねのすがたをしているのです。
「えらいね。しゅじんのかえりをまっているの?はやくかえってくるといいね」
うん。しんじてるから。ボクはまってるよ。クレアシオンのかえりをまってる。アルバはこころのなかでねがいました。
クレアシオンのかえりをしんじて。まちました。


ここからは中略されていて、一冊目のお話の続きの物語が簡単に描かれていた。魔王とも友達になって街の皆と仲良くハッピーエンドの詳細が。父親と友達?と思ったがツッコンじゃ駄目な部分だ、うん。こうしてアルバの待つ街に戻ってきたクレアシオン。街はお祭り騒ぎで賑わっている。でも、その賑わいをこっそりとクレアシオンとアルバは抜け出して二人きりなっ た。アルバも人の姿の形をして。


「アルバ、これからもオレと…いっしょにいてほしい」
「それはこちらのせりふだよ」
アルバはわらいながら、いいました。
「クレアシオン、だいすきだよ」
「オレもだ」
「まけないよ!ボクのほうがもっともっともーと大すきなんだから!」
アルバは、てのひらをおおきくひろげて、わらいながらいいました。クレアシオンもわらいました。
クレアシオンのとなりにはいつまでもいつまでも、アルバのすがたがありまし た。クレアシオンもアルバもまおうも、まちのみんなもしあわせにくらしましたとさ。


おしまい。


どこからどう見ても完全に告白エンドである。つまりこれって二人で仲良く街に住んでるってことじゃないか!!


「さあクレアさん説明してもらいますよ!あれどういう事ですか!!」
ボクはルキの家に着いて挨拶もそこそにリビングに上がりこむとソファーに座っていたクレアさんに速攻で問いかけた。ルキもクレアさんの隣に座っている。
「ん?どういうことって?」
「どうしたの?アルバさん。そんなに顔真っ赤にして」
「真っ赤にもなるよ!なんなんですかあのクレアシオン物語のエンド!!」
「別におかしなところはないよ?勇者クレアシオンはアルバと共に幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
クレアさんは持ち前の明るさでにこにこと笑っている。
「ちっともめでたくないですよ!どう考えてもあれ完全にこ、告白エンドじゃないですか!!」
「え〜そんなことないよ〜親友と一緒に仲良く街で暮らしているだけだよ」
「だ、だったらせめて二人で旅に出るとか、そういう描写でも…!」
「駄目だよ。お話の中でもずっと一緒にいさせてあげなくちゃ。まあ流石に恋人、だと色々とまずいことになるから友達って表現してるけどね」
クレアさんはにやにやと笑ってボクを見た。
「あ、貴方って人は…!!」


「クレアシオン物語って、シオンさんとアルバさんの事を描いたラブラブ絵本だよね」


追いうちを掛ける様にルキはぽつりと、零した。
「ル、ルキ!?なんてこと言うんだ!」
「だって。正確にはクレアシオンが大切な生涯のパートナーを見つけたって感じだけど、私はアルバさんとシオンさんの事良く知っているから余計にそう思っちゃうよ。あの絵本の中のクレアシオンも、狐のアルバさんもお互いを大切に思って、好き好きって言っている気持ちが伝わってくるもん」
「さっすがルキちゃん!お互いが思い合っている事はちゃんと描きたかったんだよね」
「で、でも!」
「それにさあアルバ君、オレ、言っただろ?いつかシーたんの好きな人がこの絵本を手に取ってくれればいいって」
「そ、それ、は、その…そう、ですけど…」
「ふふ、アルバさん、リンゴみたいに顔が真っ赤だよ」
ルキはボクの顔を見て、小さく笑った。
「早くシオンさん、帰ってくるといいね」
「う、うん…」
「健気だよねアルバ君、ずっと一途にあいつの事、好きでいてくれてさあ…オレ、オレ、もう本当に嬉しくて…!!」
「ちょ、クレアさん!?なんで涙ぐんでるんですか!?」
何故かお酒だって飲んでいない筈なのにクレアさんはう、う、と泣きだした。
困惑しているボクにルキは「嬉しいんだよ、アルバさんの気持ちが」とクレアさんにハンカチを渡しながら言った。


***


翌日、ボクは学校を終えてどこにも寄り道をせずに足早に家に向かっていた。昨日は昨日で色々あったがなんとか気持ちを切り替えた。だって今日はシオンと会話ができる、約束の日だからだ。こっちはまだ夕方だけど、向こうは夜中だ。夜の十時が今日の約束の時間。その時間帯なら向こうも朝だし、シオンの休みに合わせて話ができる。

早く声が聴きたい。その顔を見たい。話したい。色々な事、たくさん。

シオンは連絡を取る度に必ずと言って良い程真面目な顔して「浮気してませんよね?」って聞いて来るから心臓に悪い。それはこちらがいつも気にしている事だ。でもなんていうか、上手く説明できないけど言い回しや態度が可愛いのだ 。少し拗ねているみたいで。約束の時間まで、あと数時間。待ち遠しい。ボクは家に戻ってからもそわそわと一時間以上も前にパソコンの前に座ってネットをしたり携帯をいじったりしていても落着きがなかった。あともう少し、あと五分前。
「あーあー声変じゃないよね」
咳払いをして、発声練習をしてみる。それから髪型変じゃないかな、カメラに映るしでも手鏡なんて持ってないって女子かボクは!!自分にツッコンで向こうからのコールに慌ててヘッドセットを付けて応答に答えた。
「こ、ここんばんは!!」
モニター越しに映ったシオンはボクの顔を見た途端口元に手を当てて、哀しいものを見るような目をした。
『か、かわいそうに、ついにまともに話もできなくなってしまったなんて…!』
「ちゃんと話せるわ!!びっくりしたの!緊張してるの!!わかってよ!!」
ああもう、いきなりこのテンションか。
『ていうかこっち朝なんですけどね。こんばんはじゃないです』
「はいはい、そうですね。…ってだからその可哀相なものを見る目やめろってば!!」
相変わらずのシオンだが改めて見てみると、今日のシオンは黒いシャツにラフな服装している。
「えへへ」
駄目だ、シオンの顔を見れただけで顔がにやける。
『何にやけてるんですかきもいです』
「嬉しいんだからいいだろ別に!」
『……そうですか』
あ、照れた。惚れた弱みかそんなシオンが微笑ましくて、可愛いなあって思う。あのシオンを可愛いとか思う日が来ようとは。クレアさんの言葉じゃないけれど本当に恋や愛の力ってすごい。さて、これから何を話そうかとした時だ。シオンが何かに気を取られて首を横に向けた。
『あ、すみません。ちょっと待って下さい』
「うん、大丈夫だよ」
『誰か 来たようで…少し席を外します』
シオンはそう言うと席を立ってしまった。誰だろう。こんな朝早く。ボクは大人しくパソコンの前でシオンの戻りを待っていた。しばらくして。
『hello!!』
突然金髪の白人男性が画面に映りこんで現れたのだ!
「ハ、ハ、ハロー?」
歳はシオンと同じぐらいに見える。結構若い。カメラを覗き込んでくる青い瞳が印象的だった。
『You are Alba of the sweetheart of a ross! It is lovely!! (君がロスの恋人のアルバだね!可愛い!!)』
どうしよう。全く意味がわからない!英語の成績は壊滅的に悪い。ら、らぶりー?可愛いって言われた?するとシオンが横割りに入って、白人の男性をカメラ外の方へ押しやった。二人とも立っているのか、ここからではシオンの腰の辺りしか見えない。
『すみません、同じアパートに住んでいる奴なんです。突然押しかけてきて…』
「そ、そうなんだ」
マイクの音は拾ってくれているみたいだ。
『ross、Na's cute child(ロス、可愛い子だな)』
ロス、というのは確かシオンの愛称だというのは以前聞いた事がある。
『Cute? 'S is where(可愛い?どこがだよ)』
『I envy. Indeed, had kicked the invitation of Gina and Catherine Is this the reason. S your's serious(羨ましいね。成程、キャサリンやジーナの誘いを蹴ったのはこれが理由か。君は真面目だな)』
『…………』
『Just kidding. You say Na to face scary(冗談だよ。怖い顔するなって)』
意外と相手の声が大きいのかマイクで音は拾ってくれてはいるが、二人は英語で会話を続けているせいで内容はさっぱりわからない。
『I was come to invite you whether you Naoso drink from morning, nuisance is likely to be better that you flee(朝から飲みなおそうかと誘いに来たんだが、邪魔者は退散したほうがよさそうだ)』
『Oh, I do so』(ああ、そうしてくれ)』
白人の男性がカメラにドアップに映り込んで、少し身体を引いた。顔がはっきりと見える。
『Goodbye, Aruba!』
あ、今のはわかる。別れの挨拶だ。男性は明るく右手をひらひらと左右に動かして、カメラの視界からいなくなった。シオンが溜め息を吐いた音を拾い、カメラ前に姿を映した。
「ねえ、なに話してたの?ボクの事?」
『ええ。アルバさんは愚図で馬鹿で脳みそが入っていない可哀相な人だって紹介してあげていたんです』
「酷過ぎるよ!?」
『冗談ですよ』
「冗談に聞こえないからお前の場合!…まったく。でも向こうの人って結構気さくな人が多いんだね」
『そうでもないですけどね』
「仲、いいの?さっきの人と」
『ええ、たまに飲んだりしますよ』
「ふーん…」
少々妬ける。そりゃシオンにだってボク以外の人と、大人の付き合いとかあるだろうけどさ。
『言っておきますけど、ただのアパートの隣人ですからね。それ以下でもそれ以上でもないです』
「わ、わかってるよ!でも心配になるの!」
『へえ、やきもち妬いてくれたんですか?』
シオンは頬杖をついて、にやりと口元を上げて笑った。
「当たり前だろ!だってシオンは、シオンはボクの……」
ものなのに、なんて言えるか。
「ああもう、わかってるくせに!」
『さて、邪魔者もいなくなった事ですし、話でもしますか』
「華麗に無視するなよお前…まあもういいや。そうそう、聞こうと思ってたんだけど、もう12月入ったでしょ?それでお正月とかどうするの?帰ってくるの?」
『いえ、帰国の予定はありません。こっちにいます』
「そっか……」
残念。少しは期待していたのに。お正月ぐらい帰国してくれるんじゃないかって。
「会いたかったな、シオンに」
落ち込むボクにシオンはくすりと笑った。なんだろう、今日のシオンはよく笑う。
「な、なに?」
『…いえ、随分素直になったなと思いまして。思い出していたんです。会ったばかりの頃の貴方を』
「あの頃はその…色々悩んでたんだよ!でもさあ、やっぱり会いたいよ。生身のシオンに」
いつも通話で終わる関係。お互いに好きだと告白して数カ月。恋人とは名ばかりな関係だ。シオンはチッと舌打ちをして視線を逸らした。モニター越しじゃよくわからないけど多分照れてるんだろう。もっと顔の色とか鮮明に分かる様になればいいのに。赤くなったシオンとか見てみたい。もっと、ずっと近くで。
『寂しいですか?』
「寂しいよ」
このやりとりも何度もしてきた。
「いつもそれ聞くね、シオン」
『嬉しいんですよね、貴方がオレを想って一人寂しくしているのかと思うと』
今度はボクの顔がかあ、と熱くなった。
「お、おまえなあ…」
普段が普段なだけに、突然爆弾投下してくるからシャレにならない。ボクはふと視線を動かしシオンの唇を見つめた。
キスだって、まだ一度もした事がない。

「キス、したい」

ぽつりと零れてしまったそれにシオンは大きく目を見開いた。今更訂正などできない。
「うわあああああ!!!ご、ごめん!!あ、あの、そのあのですね!?」
『…………』
「そ、その、えっと」
無言で見られると逆にいたたまれない。
『もう少し、待っていてください』
「ご、ごめん…」
『帰ったら覚悟しておいてください。色々と』
「ど、どういう意味だよ!?」

『我慢しているのは、貴方だけではないんですよ?』

ドキリと心臓が飛び跳ねて。咄嗟に俯いてしまった。じわじわと顔に熱が集まってくる。う、うわあ。やばい、恥ずかしい。シオンの顔、まともに見れない。ボクは小さくこくりと頷くのが精一杯だった。ゆっくりと顔をあげて、ちらりとモニター越しの彼を見る。真っ赤な彼の赤い瞳を見つめて、本当に目が合ったような気がした。なんだか凄く、熱い。
「お、おかしいな!?なんか熱くて!部屋の暖房効き過ぎてるのかなー!あはははは!」
完全に声が裏返っていて、相手に動揺しているのが悟られているのがまるわかりだ。ドキドキと高鳴る心臓の音。うるさい。シオンは何か言いたげにボクを睨むように見ている。しかしものの数秒で小さく息を吐き出すと『そーなんじゃないんですか』と答えてきた。やや投げやりのような声にも聞こえた。
『─…所で話変わりますけど、オレの所にも送られてきたんですよね、例の絵本』
「あーああ!うん!あれ、さ、その、読んだんだ、シオンも…」
『ええ』
立て続けにまさか絵本の話題が出てくるとは思わず、益々恥かしい気持ちになった。やばい、何一人で動揺しているんだボクは。落ち着け。落ち着け。
『帰ったらクレアにはたっぷりお礼をしてあげないといけませんね。物理という名の』
「物騒な発言しないで!?」
『でも実際あいつからはオレ達がああ見えているって事なんでしょうね』
今さらりとすごい事言われた気がする。絵本の中のクレアシオンとアルバは、いつの間にかお互いの存在がかけがえのない大切な存在になっていた。しかも絵本の中のあの二人は本当に見てるこっちが恥ずかしくなるほどのラブラブっぷりだ。クレアシオンの気持ちはイコールシオンの気持ち。クレアさんからの視点だとしても、そう考えると凄く、嬉しいのだが、流石にああやって本という形になってしまうと照れくさいよりも恥かしさの方が勝っていた。

でもボクはもう一つ、ずっと、心に引っかかっていた事があった。

十代の頃に、シオンが荒れていた時期があったと聞いたあの言葉を。その理由を聞くに聞けなくて、今までずっとうやむやのままにしていた事だった。ずっとひっかかっていた。ずっとひとりぼっちで冷たいクレアシオン。荒れていた頃のシオンとリンクさせていたんじゃないかって。
『アルバさん、流石にそう黙られるとオレも反応に困るんですけど。ツッコミのないアルバさんなんて─』
「言わせねえからな!!」
は、しまった。つい、ツッコンでしまった。
「─……あの、さ、聞きたい事があって」
『?』
「前に聞いちゃったんだ。クレアさんに…昔色々あって、荒れてたって…」
「ああ、その事ですか」
「理由とか、聞いたらまずいかな?」
ボクはシオンの顔色を伺いながら尋ねた。
『ああ、 まあそうですね、アルバさんになら話しても問題はないですが…ただ、長くなりますしかなりヘビーな内容になりますが、大丈夫ですか?』
重い、話。わざわざ確認を取ってくるという事は覚悟のいる話だという事だ。
「…うん」
ボクはごくりと息を飲んで、背筋を伸ばした。
「大丈夫」
例えどんな内容の話だったとしても、知りたい。
「知っておきたいんだ。シオンの事は、全部」
モニター越しのシオンの視線がボクを見ているように見えた。沈黙が続く。シオンはなかなか口を開かない。何か考えている。…しかしその沈黙は破られた。シオンはゆっくりと口を開いた。
『──…わかりました』


『監禁されていたんですよ。子供の頃に実の母親から』


「え」
冗談を言われているのかと思った。
『あ、言っておきますけど冗談ではありません。ガチです。レイクにでも聞いてやればわかると思いますが』
「…………」
『オレの母親は子供に対する愛情が異常だったんです。可愛がってもらっていました。時には厳しく、優しい母でした 。けど、物心ついた頃から外には遊びに行かせて貰えませんでした。それこそ幼稚園や保育園、小学校も通っていませんでした。低学年までは。ただ、それが当たり前だとオレも兄も思っていたので何も不思議には感じなかったんです。家の中で過している毎日。それが当たり前の日常だった。けれどある時、好奇心から兄と二人で母親の目を盗んで外に出た事があったんです。その出来事で母親は狂ったように泣き叫びました。包丁をオレに付き付けて「もう、勝手にお外に出ちゃ駄目よ?」っと笑顔で言った母の言葉は今でも耳の裏側に貼りついて忘れる事はできません。子供心に悟りました。ああ、この人の側にはオレ 達がいてやらなくちゃダメなんだなって』
シオンは淡々とショッキングな内容を冷静に話してはいるが、ボクはただ、ただ、聞いている事しかできなかった。
『大丈夫ですか?顔色悪いですよ。なんなら』
ボクは、真っ直ぐにモニター越しのシオンの目を見た。シオンからしたら、目線が合っていないボクが映っているかもしれないけれど。
「…ううん、続けて。ちゃんと最後まで聞きたいんだ」
『わかりました。そうですね、父親は仕事で殆ど家を空けていましたから、子育てなんて放置に近かった。家の異変に気がついたのは周りの大人達でした。近所の通報や児童施設が入り、まあ色々あってオレと兄は両親の手から離れ施設で別々に暮らし始めました。クレアに出会ったのはその頃です。あいつ、両親いないんで。施設ではクレアは皆の兄貴変わりみたいな奴だったんですよ。ま、オレが十代の頃に荒れた原因はそれです。馬鹿ですよね、あの頃のオレはクレアもレイクもいたのに自分は一人きりで、誰の助けも借りず一人で生きていこうと思いこんでいましたから…まあ、ガキでしたからね、オレも』
ボロボロと涙が零れていた。止まらずに 、その涙は流れ続けた。シオンはそんなボクを見て困ったように笑って。
『どうして貴方が泣くんですか?』
「ば、馬鹿!どうしてそんな平然と…お前!こんな、こんな…」
胸の中がいっぱいで、上手く言葉にできない。今でこそこうして話してくれたが、憶測に過ぎないが当時は想像も絶するほど辛い経験だったんだろう。それは当事者にしかわからない、きっと、ボクなんかじゃわからないほどたくさん苦労してきたんだ。ボクは左腕の長袖で涙を拭った。
『馬鹿ですね、オレのために泣くなんて』
その声は、どこか優しくて。一層と涙を誘った。
「シオン…」
『…母は、父が側にいなかったせいで愛情の矛先がオレ達兄弟に向けられたんだと思います。間違った愛情の仕方が。不器用だったんですよ、母は。あの頃のあの人は…』
囁くように言ったシオンの声が、酷く悲しく聞こえた。
「シオンのお母さんは今、どうしているの?」
『ああ、心配しないで下さい。大丈夫です。父親と仲良くやってますよ。今は実家にも定期的に連絡はしていますから。オレが自由に色々と出来るのは兄が、レイクが実家暮らしでいてくれるのもあるんですけど、昔のように突然発狂するようなことはないですし。しばらく連絡を怠ると過剰に心配して連絡を寄越してきて過保護過ぎてうざいって思いますが、まあそれは子供の特権ですよね』
嘘だ。うざいだなんて。シオンは優しいから、きっとお母さんの事も大切に思っている。重い空気が二人の間を包み込み、沈黙が続いた。ボクはずず、と鼻を啜った。
『せっかくの通話だったのに、暗い話になっちゃいましたね』
「茶化すなよ。ボクは、ちゃんと聞けて良かった」
『………』
「話してくれて、ありがとう」
そんなボクを見て、シオンはまた困ったように笑った。
『本当に邪魔ですね、このモニター』
シオンの右手が、正面から向かって右手が伸びてきて。
『今すぐ貴方を抱きしめたい』
「馬鹿。それはボクの台詞だよ」


冷たい心を持っていた、それでも優しさを持ち合わせているもう一人のシオン、ク レアシオン。クレアさんはボクのおかげでシオンはたくさん笑うようになったって言うけれど、そうじゃないと思う。きっとそれはクレアさんのような優しい親友とお兄さんであるレイクさんがシオンの側に居てくれたから、シオンは一人ぼっちじゃなかったから今のシオンがあるんだと思う。

でも、少しでもボクのおかげでその心が癒せていたら、嬉しい。


***


── 数ヵ月後 ──


ボクは今、成田空港の第二ターミナルの国際線到着ロビーに来ていた。たくさんの人が騒がしく忙しなく行き来している。右腕にしている腕時計を見れば時刻はまだ昼前だ。ボクはゆっくり深呼吸をして、吐き出した。すごく緊張する。緊張しすぎて昨夜はほとんど眠れなかったし朝からそわそわしていたせいか到着時間よりも三十分以上早く着いてしまった。彼を乗せた飛行機はもうすぐ到着する。もうしばらくすればゲートを潜り姿を現す筈だ。

今日、シオンが帰って くる。
あれから一年。シオンが旅立ってから、一年の月日が流れた。

お互いに連絡を取り合ってはいたけれど会うのは実に一年ぶりだ。でも、やっと会える。電話でもメールでもない。シオンに。会ったらどんな顔したらいいかな。お帰り、って声掛けてあげればいいかな。でも、会ったら会ったでどうしていいかわからなくなりそう。よし、とりあえずどこか適当な場所に座ってシオンを待っていようと思ったその時だった。

「あれ?アルバさん」

振り返ればシオンが目の前にいた。うん、シオンがいる。スーツ着てる。お互いに見つめ合う事数秒。
「ぎゃああああああああああ!!?」
ボクは突然現れたシオンの登場によって悲鳴をあげてしまった。周りにじろじろと見られ、恥かしさで顔に熱が集まった。
「やっほやほ〜」
「軽っ!!ってそうじゃなくて!!」
「なんだ、意外と早く来てたんですね」
呑気に目の前の男は言い放った。
「はあああああ!?おま!?え、シオン!?なんで!?だって、まだ時間─」
「うわあ!アルバさんがでけえ!気持ち悪い!!」
驚くボクを無視しまくって、まさかの腹パンを食らうなど誰が予想できたであろう。抱擁どころではない。一瞬にして一年振りの再会は感動の再会とは無縁のものとなった。
「お…おま…なん……」
ボクはよろよろと一歩、二歩と後ろに後退した。こんな人目が付くところで膝を付くわけには、いや殴ってきたこいつにも十分問題ある…ってかうう、地味に痛い。なんだよこの再会の仕方。
「いきなりなんで殴るんだよ!普通こういうのはもっとこう!感動の再会で見つめ合ったり抱きしめ合ったりするもんじゃないの!?」
「え…公衆の面前で抱きしめ合うとか…マジ引くんですけど」
「その反応ものすごく傷つくう!!」
「恥ずかしい上にきもいです。女じゃあるまいし、あ、近寄らないでください。知り合いだって思われたくないので」
「微妙に距離を取りつつ不審者を見るような目をしないで!!」
くっそ、シオンの奴すっかりいつものペースだ。
「…いや、それにしてもアルバさんがでけえ…何ですか。なにいきなり身長追いついてるん ですか。十年くらいタイムスリップでもしたんですか」
「まだ一年しか経ってないから!ボクはボクだから!!」
先程からシオンはシオンでボクの身長が気になるのか、一年でボクの成長に本当に驚いているようだった。
確かにシオンが日本を発ってから身体を定期的に鍛えたりしているし、筋肉も付いて背も伸びた。ボクは腹を撫でながら背筋を伸ばす。うん。一年前はシオンを見上げていた目線が今では同じくらいになっている。こればっかりは会ってみなけば、テレビ電話では流石にわからない事だ。出会った頃よりも伸びた身長が少し誇らしかった。
「結構身長伸びたんだ。ほら、シオンと殆ど変らない。そのうち追い越しちゃうかもね」
左手を頭の上の辺りまで持っていき、身長の高さを表現したら、シオンは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「アルバさんのくせに何生意気な事言ってるんですか」
「あ、待ってよ!」
シオンはボクを横切ってガラガラと大きな黒のキャリーバッグを引きながらさっさと先に行ってしまったので慌ててその後ろを追いかけた。ボクとしては身長が伸びたのは成長期だし嬉しいんだけど、なんでシオンが不機嫌になるんだ?あ、もしかして悔しいのかな、ボクの背が追いついたの。意外と子供っぽい所を見せるんだよなあ、シオンって。でも、そんなシオンも含めて彼が好きだ。これって完全に惚れた弱みだよね。一年前のボクだったら想像もつかない。ボクはシオンに追いついて彼の左側を歩いた。

…うん。シオンがいる。
今、ボクの隣にいて、一緒に歩いてくれている。
それを意識した途端、 猛烈にシオンに触れたい衝動に駆られた。

「一人で来たんですか?」
「う、うん…その、二人きりの再会の邪魔をするわけにはいかないってクレアさん達が気を効かせてくれて…」
「へえ、クレアのくせに珍しく機転効かせましたね」
他愛もない会話中でもボクの頭の中は別の事でいっぱいだった。
「これからどうするの?一度家に帰るんでしょ?」
「ええ、そうですね。この荷物なので、できればタクシーで移動したいんですけど」
シオンはキャリーバッグの他にお土産だろうか、大きめな白い紙袋を数点右腕に掛けて持っていた。
「荷物持つよ。手に持ってるその紙袋とかだけでもさ」
「平気ですよ、これくらい」
今すぐにでも抱きつきたい。キスしたい。触って欲しい。もっとボクを見て欲しい。
会えなかった時間を埋める様に気持ちばかりが急いでいく。でも、流石にこの場所では…無理だ。通りすがりの若い男女のカップルが手を繋いで目の前を歩いている。自然と目で追っていた。慌てて視線を外し首を動かすと、シオンとばちりと目が合ってしまった。
「シオン」
ボクは立ち止まって、無言で彼の赤い瞳をじ、っと見つめた。目で、訴えたのだ。するとシオンはす、と視線を逸らして前を向いた。
「わかっていますから」
「…!」
「ちゃんとわかっていますよ」
二度も言われてしまった。
「う、うん…」
何が、なんて聞くだけ野暮だ。シオンも、同じ気持ちなのかな。嬉しい。でも、恥ずかしい。すぐ近くでガラガラとキャリーバッグを引く音がして、ボクは俯きながらシオンの後に続いた。それからボク達は他愛もない会話を続けながらタクシー乗り場へ向かった。色々と話す事はあったので話題に困る事はなかった。荷物を積み込み二人でタクシーの後ろに乗り込んで、奥にボクが、左側にシオンが座る。ようやく二人きりなれた小さな空間。どちらかが言うまでもなく、ボク等はそっと手を繋いだ。シオンの手、温かい。ドキドキする。左手から伝わってくる温もりに嬉しさと、緊張が走る。ちらりとシオンの方を見たが、彼は反対側の窓の方を向いていた。


この瞬間、ボク等は初めて恋人らしい事をした。





タクシーから降りて着いた目的地は空港からほど近い、ホテルだった。え。ホテル?しかも結構立派な大きなホテルだ。何階建てだろうか。十階以上はあるよな、でもビジネスホテルって感じでもない。家に戻らないのかとそこまで考えてホテルから連想される行動に思い当たり一気に顔に熱が集まった。
え、嘘。まさか、だって、何考えてるんだ。帰って来たばっかりだぞついさっき。若干顔が引きつりつつもボクは、シオンに問いかけた。
「シ、シオンさん…?なんでホテルなんですか?」
しかもまだ日は高い。
「連れ込む為に決まってるじゃないですか」
「はあ!??」
なんとなく予想はついていたが、ボクの心臓は簡単に大きく飛び跳ねてしまった。
「家まで待てるわけないでしょう」
ボクは言葉に詰まり、魚のようにパクパクと口を開きながらシオンを凝視した。顔は言うまでもなく真っ赤になっているだろう。
「ほら、行きますよ」
シオンはまたさっさと一人で歩きだしてホテルの中に向かってしまい、ボクは慌てて彼の後を追いかけた。シオンを追いかけるの、今日で何回目だ。フロントで受付を済まし、部屋へと移動する。お互いにほとんど口を開かないまま、部屋のある階まで来てしまった。部屋へ向かう廊下に出れば、そこに人気はなかった。 シオンと、ボクの二人きり。ボクはシオンより一歩後ろを歩いていた。つい、と動かした視線の先にあるのはシオンの空いている左手。右手には大きなキャリーバッグを引いている。

手、繋ぎたい。

ボクはシオンの左腕、長袖をくん、と引っ張った。ちらりとシオンの顔を覗き込むとシオンもこちらを向いて、すぐに前を向いてしまったがボクの手を握ってくれた。うわ、これ、結構嬉しいかも。
「えへへ」
「何きもい声出してるんですか」
「だって、嬉しいよ」
もの凄い力でぎゅうぎゅうと力強く握りしめられた。
「痛い痛い痛い!!!」
「これぐらいで丁度いいんですよ、貴方には」
早歩きで部屋の前に辿り着き ピ、とカードキーを差し込み、部屋のドアが開いて中に入ったその瞬間、腕を強く惹かれ抱き寄せられた。どさりと荷物が倒れる音。ボクもシオンの背に腕を回す。強く、強く、抱きしめてくる。それに応えるにボクもシオンに抱きついた。ドキドキと心臓の音が高鳴っている。ボクはシオンに甘えるように彼の肩口に顔を摺り寄せた。いい匂い。シオンの匂いがする。何か香水とか使ってるのかな、銘柄とか全然わかんないけど。でも今はそんな事よりも。
「シオン、ずっと、こうしたかった…」
「それはこちらの台詞ですよ」
お互いに見つめ合う。綺麗な赤い瞳が真っ直ぐにボクを見ている。ボクだけを。ボクだけが、独り占めしている。
「…緊張しますね」
額と額が合わさって、驚くほど顔が近い。吐息がかかりそうだ。
「シオンでも?」
「ええ」
「そっか…」
目を閉じて、唇が重ねた。重なった瞬間ビクリと驚いて思わず顎を引いてしまい、僅かに唇が離れたがシオンは再び唇を合わせてきた。そしてすぐに離れる。まずは触れるだけのキス。唇が離れて見つめ合う行為がひどくリアルでかあ 、と頬に熱が集まる。まだ、全然足りない。ボクは自分からシオンの唇に押し付けるようにキスをしたら、大きくその瞳が見開いて、答えてくれた。何度も角度を変えてキスをする。ボクにとっての初めてのキス。流れに任せて必死にキスに応えた。舌が口内に入ってきた瞬間驚いて逃げるようにひっこめた舌はあっさりと絡み取られて心臓がどくりと大きく鳴った。ざらりとした舌の感触、息苦しさにとうとう値を上げて本気で背中を強く叩けばようやく唇が離れ解放してくれた。
「はあ、はあ…お、おま…いき、な…はあ、はあ」
ボクは必死に呼吸を整えようした。ドキドキと心臓がうるさくて、口から飛び出してくるんじゃないかと思うほどうるさくて、呼吸も荒くなりなかなか声が出てこない。ファーストキスだったのに、いきなりハードルが上がり過ぎだ…!!
「我慢していたのは、あんただけじゃないんですよ」
「…っ」
もう一度、唇に軽いキスを落される。心臓に悪い。胸が痛い。
「さて、と」
次の瞬間視界がぐるりと反転したと思ったら、シオンはボクの膝の内側に腕を滑り込んできた。軽々と横抱きをされてしまったのだ。
「え、ちょ、うわ!!何!?離せよ!重いって!!」
「そうでもないですよ、軽くはないですけど」
強がりではない。シオンは本当に平然とした顔をしている。お世辞にもボクは女性のように軽々と持ち上げられるような体重ではない。この細い腕のどこにそんな力があるんだ。
「この馬鹿力!!」
「はいはいあんまり暴れると本当に落しますよ」
「え、あ、」
シオンがすたすたと寝室に直行している。
「待って、シオン待って待って!」
だが止まらない。どさりと落とされたのはベッドの上で。ぎしりとスプリングの音が鳴る。上半身を起こす間もなく、シオンはボクの上に跨ってきた。上着を脱いでネクタイを解いて、乱暴に放り投げたしぐさに胸が痛くなった。ドキドキと心臓の音が凄い。シオンは上からボクを見下ろしている。
「ちょ、ちょっと待ってシオン!!」
「聞けませんね、こっちは一年も待ったんですから」
ボクの頭の横、左右にシオンの両手が付いて、足と足の間にシオンの足が割って上へ、上へと上がってくる。服越しだが密着する体温に今すぐ逃げ出したい衝動に駆られた。待って。待って。待って。
「シ、シオン…」
やばい、涙声になってる。
「誘ってるようにしか見えないんですけど」
首筋にキスを落とされビクリと身体は反応した。
「だ、だからって、その、…い、いきなりすぎる、よ…」
「前に言いましたよね?色々と覚悟しておけって」
ドクリと心臓が飛び跳ねて、胸を締め付ける。
「本気で嫌なら止めますけど?」
シオンは不敵に笑う。その言い方はずるい。答えなんてとっくにわかっているくせに。
「………嫌じゃ、ないよ」
だって、ボクだってずっと会いたかった。ずっと、シオンに触れて欲しかった。
「会いたかった」
声が震える。ボクはそっと左手を動かして、シオンの頬に触れた。頬も耳も、熱い。
「ずっと、ずっと会いたかった」
「オレだって同じです」
「うん…だからかな」
言葉を区切り、一呼吸おいて。
「もっとシオンに触ってもらいたい。触りたい、独占したい、シオンが今見ているのはボクだけだって」
「…っ」
あ、固まった。見事に固まった。シオンは驚いたように目を丸めている。
「シオン…おかえりなさい」
「このタイミングでそれ言うんですか。貴方ってやっぱり馬鹿ですね」
「馬鹿って言うなよ…」
いつものツッコミは弱弱しいもので。
「だってまだ言ってなかったし」
シオンは呆れたように睨むような視線を送っていたがすぐに笑ってくれた。でもどこか照れくさそうで、それでも、嬉しそうに笑ってくれる。
ああその笑顔、ずるいなあ。ボクの好きな顔だ。シオンには、笑顔が似合う。
「ただいま、です」
「うん、おかえりなさい」
ボクはシオンの首周りに腕を回し、何度目かのキスをした。





END

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