はじまりの手紙。***01


インターネットやSNSが発達したこの時代、文通をしている人はどれくらいいるだろうか。
きっとボクの友達や同年代に絞れば僅かに限られた人数だけだろう。でもボクはその限られた人数の内の一人に当てはまる。
そう、今ボクはある人物と数ヶ月前から文通をしている。その繋がりは一通の手紙から始まった。


はじまりの手紙


その手紙は宛名も差出人もなくポストに投函されていた。真っ白な洋封筒。
いつも届く手紙なんてダイレクトメールくらいで大体は母さんに渡して終わる。
捨ててしまおうかと脳裏を過ったが封を切り中を確認してからにしようと思った。
好奇心からか自分で中身を見てみたくなったのだ。開けてみると中にはシンプルな白一色の便箋が一枚。
拝啓アルバ様より始まり終わりは送り主の名前で締めくくられている。手書きでしっかりとした綺麗な文字だ。

『突然のお手紙失礼致します。実は私はこの近辺に最近越してきたものです。
単刀直入に言います。一目惚れでした。貴方を何度か見かけてずっと気になっていました。
気持ち悪い手紙だと十分理解しています。この手紙を最後に貴方に直接コンタクトを取るつもりはありません。
ですがもし、少しでも私に興味を持って頂けたらこちらにご連絡下さい。     シオン』

一目惚れ、の部分とシオンと書かれた名前を何度も交互に見る。ご丁寧に住所とメールアドレス、携帯の電話番号が書いてあった。
住所は本当にこの近所のものでボクも知っている。歩いて数分にある新築マンションだ。
手の込んだいたずらにしては出来過ぎている。でもいたずらじゃないんだとしたら……
「ラブレター…?」
学校の下駄箱に、というパターンなら聞いたことがあるが自宅に手紙。自宅にラブレターが届いた。ボク宛に。
自然と口元が緩む。シオン、ちゃんか。可愛い名前だな。確か花の名前だった気がする。
あ、でももし年上ならシオンさんか。年上のお姉さんだと考えると少しドキドキした。
普通だったら気持ち悪いの一言で手紙を破って捨ててしまうだろう。
けれど何を思ったのかボクはこの手紙から不信感を抱かなかった。

ぶっちゃけて言えば嬉しかったし浮かれていた。生まれて初めてラブレターをもらったせいもある。
悲しいかなこの十七年間一度も彼女ができたことすらない。ヴァレンタインデーで貰うのはいつも義理チョコだ。
常識から考えて家に手紙が届いた時点で警戒しなければならなかったのに。
丁寧な文面に騙されてはいけないと思ったけれど何故か悪意を感じることができなくて。
この手紙からは一生懸命な思いが伝わってくる、そんな気がした。
自意識過剰だよ!と自分で自分にツッコミたくなったけど。

ボクは返事を出そうかどうか三日間悩みに悩んだ。そうして悩みぬいた結果返事を出すことに決めた。
ボクは差出人に習い古風なやり方だが手紙で返事を返す事にした。手書きの手紙なんてとても久しぶりだ。
レターセットなんて生まれて初めて買ったかもしれない。あんなに種類が豊富にあるなんて驚いた。
とりあえず一番シンプルな白の便箋と封筒を買った。それを選んだのはあの白い手紙が頭の隅に残っていたせいかな、と
レターセットの入った白のビニール袋を左手に持ちながら思った。家に戻り自分の部屋の机に向かい真っ白な便箋とにらみ合う事数十分。

『突然のお手紙に本当に驚きました。お返事を書こうかとても迷いました。
でもこれも何かの縁です。まずは友達としてからは駄目ですか?』

何だこの文章。うーん、手紙ってこんなに難しかっただろうか。
くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げる。新しい便箋を一枚取り出す。一生懸命何度も悩み、考える。

『まずはお友達からスタートしてみませんか?』

うわ、これ上から目線過ぎない?

『突然のお手紙本当に驚きました。返事を書こうかどうか、本当に迷いました。
正直一目惚れとかよくわからないです。ごめんなさい。それ以前にボクはまだシオンさんの事何も知りません。
だからまずはシオンさんの事を教えて下さい。宜しくお願いします。』

「よしっ」
何度も書き直して読み直した。ボクは素直に思った事を手紙に書いた。顔も知らない相手。まずは、彼女の事を知りたい。
翌日学校へ行く途中近所の郵便ポストの中に手紙を投函した。なんだかドキドキした。
──…シオンさんからは四日後、返事の手紙が届いた。真っ白な封筒に今度はちゃんと切手が貼られて宛名も住所も明記してある。

『お返事ありがとうございます。とても嬉しいです』

素直な感想に心が弾む。そこから、シオンさんがどういう人なのか書き続いていた。
シオンさんはボクより年上で二十代、社会人らしい。友人二人と会社を立ち上げたばかりで
一日中事務作業をしたり外回りをしたり色々忙しいようだ。すごいな、会社を立ち上げるなんて。単純に頭のいい人なんだなって思った。

『私にも、アルバさんのこと、もっと教えてくれますか?』

手紙の最後の一行。控えめな、けれど本当は知りたい気持ちが込められている文。
もう、ボクの心は決まっていた。ボクももっとシオンさんを知りたいと思った。だからボクはもう一度、ペンを握った。

こうして、ボク等の文通は始まった。早い時は一週間前後で返事が来る。遅い時は二週間前後間が空いた。
謝罪の言葉と仕事が忙しくてなかなか返事が書けないと言っていた。ボクと言えば学校の話題しかない。
友達の事、勉強の事、好きなアニメや漫画の事、ガキっぽいかな、つまらないかな?
と素直に聞いてみたら『漫画読んだりしますし、学校の話は面白いですよ』と返信がきてとても嬉しかった。

こんなにわくわくした気持ちは久しぶりだった。決して普段の日常に退屈して不満があるわけでもない。
けれどボクだってこんな経験は初めてだったのだ。だってこんな映画や物語のような出来事そうはない。
映画だったらこの後二人は出会って恋に落ちるんだろう。にやけた自分の顔にはっとして、我に返る。流石に気持ち悪い。

いつの間にかボクの中でシオンさんがとても気になる存在になっていった。
もしかしたら近所でシオンさんとすれ違ったりしたのかな?と若い大人の女性を見るたびドキドキした。
会ってみたい。一度だけ勇気を振り絞って会わないかとボクから提案してみた。
けれど仕事が忙しいことを理由に断られてしまった。彼女から手紙をくれたのに、会うのはまだ恥かしくて怖いと言う。
シャイな女性(ひと)なんだなと年上なのに可愛いなと思ってしまう。近所に住んでいるのに手紙のやり取り。
一方的にボクだけメールアドレスは知っている。なのにあえて文通をする奇妙な関係。
でもこういうの、なんかいいなって思っていた。メールを送れば確かに返信は早いだろう。
送信履歴だって残る。早く返事が欲しいと焦ってメールを送りそうになった時もあった。
でも、手紙という形で増えていくシオンさんとのやりとりが嬉しくて楽しくてこのままでもいいかな、と思って手紙を出し続けた。
一度シオンさんから『私と文通なんて時代遅れのこと、アルバさんはまだ若いですし、本当に楽しいですか?』と聞かれてドキリとしたけれど。
『味があるから手紙のやり取り楽しいです。だからこのままでもいいかなって思うんです』と送ったら、一週間後の手紙の返事で
『生意気ですね、でも、ありがとう』と書かれていて妄想の中の彼女が微笑んだ気がした。

そんな関係が三カ月程続き、季節は廻り秋になっていた。いつの間にか毎日朝と夕方にポストを見る習慣がついた。
そして、ついにある提案が彼女の方から出されたのだ。いつものように最近の日常の出来事の後に、一言。

『来週の日曜日、会いませんか?』

来た。正直ボクもまた、いつ切り出そうか迷っていた。一度断られてしまったし、また会いたいと誘うに誘えなかった。
ボクは自分の携帯、オレンジカラーのスマホを持ってメールを送る送信欄を開いた。過去に彼女にメールを送ろうとして登録はしてある。
ここにきて、初めてメールを送るなんておかしな話だ。送るのさえ躊躇う。だけど早く返事をしたい気持ちの方が強かった。
ボクは勇気を振り絞りシオンさんのメールアドレスにメールを送った。
『手紙、読みました。すみません、どうしてもすぐにお返事したくて。メールしました。もちろん、OKです』
ドキドキする。受信したと知らせが届くのはわかりきっているのにそれでも何度も何度も携帯を見てしまう。
そして数時間後、メールの返信が来た。急いで携帯を確認する。
『メール、初めてですね。ありがとうござます』
シンプルな文字だけのメール。
『あの、会う前にシオンさんの特徴とか聞いてもいいですか?』
今度は数十分で返信が届いた。
『そうですね、髪は黒です。よく肌が白いって言われます。あ、ちなみに細い細いと心配されます。
普通だと思うんですけどもっと食べろって友人からはうるさく言われるんですよ』
黒髪で肌が白くて…細い…なんて素敵なんだ。
『ボクの事はご存知なんですよね?なんだかドキドキするな。ずるいよシオンさんばっかり』
『会うまでのお楽しみです』



***



そうしてついにやってきた日曜日。はっきり言って寝不足です。全然寝付けなかった。
彼女が指定してきたのは近所にあるオシャレなカフェだ。カフェなんてあまり入ったことないけれど
白のテラコッタタイルに白い壁、無垢なカウンターと自然素材に包まれ素朴に囲まれた暖かさのあるカフェだ。
ほんわかした雰囲気を感じる。女性が好みそうな場所だ。一人で入るには一瞬躊躇うけれど中に入るとお店の人に
「ああ、シオンさんのお客様だね」と言われ、窓際の席を案内された。どうやら常連のようだ。そんなに大きな店ではない。多分二十席もないくらいかな。
ざっと辺りを見回しても圧倒的に女性のお客様が多い。男はボク一人だ。メニュー用紙も手作りなのか可愛らしい文字でドリンク名や金額が書かれている。
シオンさんはまだ来ない。もうすぐ指定した時間になる。相手はボクを知っているのですぐに見つけられると言っていた。けれどボクは知らない。
なので思い切って写真を送ってくれないかと聞いてみたがいたずらが好きなのか彼女は最後の最後まで
『駄目です。会うまでのお楽しみです』と教えてくれなかった。やばい、緊張してきた。

しばらくしてカフェのドアが開き一人の男性が入ってきた。皆彼に視線を向けている。そりゃそうだろう。
何せその男は黒シャツにジーパンとラフな服装をしているが長身で整った顔立ちに黒髪の色白、真っ赤な瞳に文句を言うまでもなくイケメンというやつだった。
目で追っていたらきょろきょろと辺りを見回していたその人と目が合って、思わず背筋を伸ばしてしまった。そしてボクの座っている席の前まで来たのだ。
近くで見れば見るほど赤い瞳が印象的で、思わず息を飲んだ。
「…アルバさん?」
「え!?」
突然名前を呼ばれ驚いた。男はにこりと微笑んで。

「どーも。初めまして、シオンです」

男と見つめ合うこと数秒。

は………?

「こうしてお話するのは初めてですね」
硬直するボクを気にすることもなく男は目の前の席に座る。呑気に店員にブレンドコーヒーを注文して。
「…シオン、さん…?」
「はい」
ガラガラと音を立てて可憐なシオンさんのイメージが崩れる。
「お、お、お、」
顔が引き攣る。ボクはプルプルと人差し指を目の前の男に向けた。人を指差してはいけませんどころの騒ぎではない。


「男おおおおおおおおおお!??」


大きな声で叫んでしまい、周りが何事かと見ていたがそんなこと気にする余裕なんてなかった。
「お、お兄さんとか!?」
「現実から目を逸らしてはいけませんよ?アルバさん」
「嘘だ!!シオンさんがお、男とかっ!!」
「オレは一言も女と言った記憶はありませんが」
「へ?」
ふと手紙の内容を思い返してみる。いや待て待て待て。ちゃんとそれらしい文章だったはずだ。
「あんなに丁寧な口調で一人称私って書けば女の人だって思いますよね!?」
シオンと名乗った男は口元に手を添えてくくく、と楽しそうに笑っている。まさか。いや、そうは考えたくない。
もしかして、わざと…?ボクが誤解しているって気がついていて、わざと男だって言わなかったのか…!?
「まさか本当にあの手紙に返事をくれるとは思ってもいなかったんで、オレもかなり驚いたんですけど貴方も相当な変わり者ですよね」
開いた口が塞がらない。ボクは呆然と話を耳に通しているだけだった。
「あんな気持ち悪い手紙普通返事なんて出さないのに」
「自分で言っちゃう!?」
ブフーと思いっきり笑われて。勢いよくツッコミをしてしまった。
「でも、一目惚れの話は本当です」
「!」
真直ぐに見つめれられドクンと心臓が大きく飛び跳ねる。ってドクンじゃないだろドクンじゃ!!相手は男だぞ!!
「無理です!ごめんなさい!ボク男には興味ありません!」
「偏見はないと言っていましたよね?」
確かに手紙で恋に関する話もした。だけど。
「そ、それは、そうだけどそれとこれとは…」
「好きな人もいないといいましたよね?」
言葉に詰まり、咄嗟に視線を逸らしてしまった。正確には「女性」のシオンさんがとっても気になる存在になっていたんだけど。いたんだけど!
「なら、これからオレを好きになればいい」
「なんだよそれ!?横暴だ!!」
ボクはシオンさんを睨みつけた。パニックになる寸前だ。だが彼はにこりと口元を緩めて。

「全力で落としにいきますのでそのつもりで」


ど、どうしてこうなった!!





詐欺だ。横暴だ。ボクの純情な気持ちを返せ。怒りを通り越して驚きの方が勝っていた。
けれどシオンさんは何食わぬ顔で動揺一つせずブレンドコーヒーを飲んでいる。
後から自分一人大騒ぎをしてしまってじわじわと現れる羞恥心に心がいっぱいになった。
ボクはその気持ちを誤魔化すように目の前にあるオレンジジュースの入ったグラスを左手にとってストローを口に銜え一気に飲んだ。ずずずと飲みきった音がする。
先程から斜め後ろの席、ちらちらと女性客がシオンさんを見ている。そりゃそうだろう。これだけ整った顔立ちそうはいない。
「─……あの、シオンさん」
「シオンでいいです。その敬語気持ち悪いですから崩していいですよ」
「え、シオンさんボクより年上ですよね?シオンさんの方こそ敬語で話さなくても…」
「オレはいいんです」
「で、でも…」
「何度も言わせないで下さい。馬鹿ですか」
シオンさん、もといシオンは冷やかな目で見てくる。うわあ、なんだこれ性格違い過ぎるだろう。文章だとあんなに素直なのにこんなに口が悪いのか。
「は!ま、まさかシオンって名前も…!!」
「いえ、本名ですよ」
シオンは証拠と言ってはなんだがジーンズのポケットからブラウンの長財布を取り出すと運転免許書を取り出して見せてくれた。本当に本名なんだ。男のくせに女みたいな名前。
「今男のくせに女みたいな名前って思ったでしょ」
「お、思ってないよ!」
「むかついたんで殴っていいですか?」
「嫌だよ!!」
だが既に拳が構えられている。ここが人前で助かった。人前じゃなかったら間違いなく殴られていた気がしないでもない。
「で、何を言いかけていたんです?」
「……あの、ごめんなさいボク今すごく混乱してます」
「でしょうね」
今さらっと言い放った。さらっと。
「でしょうね!?でしょうねじゃないよね!?大体もしボクが手紙の返事しなかったらどうするつもりだったわけ!?」
「そりゃもちろん会いに行くつもりでしたよ。まあオレは時々近所で貴方を見かけていましたし、わざわざ声かけなくてもいいかなと」
「何それ怖い!!ていうか普通に声かければいいだろ!!」
「駅前の、いつものポストの前で一喜一憂する貴方が面白くてつい」
シオンはくすりと楽しそうに微笑んだ。じわじわと顔に熱が集まる。だって本当に楽しそうに笑うから。目を奪われた。
おかしいだろ、ちょっと待って。普通ここは怒る所だろ。うるさい沈まれ心臓の音!絶対に気付かれたくない。
「何顔赤くしてるんですか気持ち悪い」
「酷い罵り直球で来た!!」
「さて、オレは午後から仕事なので今日はこれでお開きにしますが、また来週会いましょう」
「え!?このタイミングでそれ言っちゃうの!?」
シオンはぎい、と椅子を引くと立ち上がった。
「学生の貴方と違ってこっちは忙しいんですよ、大人なので」
忙しいの部分を強く強調して言われた。
「い、嫌だって言ったら…?」
「拒否する権利が貴方にあるとでも思っているんですか?」
「なっ!」
ボクは座ってシオンを見上げているせいで上から見下ろされている気分だ。迫力があって怖い。
「あの恥かしい手紙の内容ばらされたくなかったら大人しく従ったほうが身のためですけど」
シオンはにやにやと笑っている。
「最悪だ!最低だ!大人のくせに!」
「それでは、また」
そう言ってシオンはさっさとカフェを出て行ってしまった。ボクはしばらく呆然と彼が出て行った扉を見ていた。


な、なんて人だ……!!





家に着くなり部屋に掛け込みボクは自分のベッドにうつ伏せにダイブした。疲れた。ものすごく疲れた。
シオンさん。あれが、あのシオンさん?丁寧な文章でいつも年下のボクにでさえ控えめな感じだったのに、なんだあれは。二重人格か。
ああ綺麗な人だったよ、本当に。そこだけはボクの妄想当たってた。………男だとは思わなかったけど。確かに黒髪で色白で細かったわチクショウ!!
盛大な溜め息をついて枕に顔を埋める。あんな人がボクを好きとかマジありえない。第一なんだよ、なんでボクなんだ。

「……けど、一番の問題は、気持ち悪いって思わなかったんだよなあああああ」

ない。絶対にありえない。彼女とか出来た経験はないけれど、気になる相手はいつも女の子だった。
男が男を好きになる。この行為に関して偏見はないがボクはできれば女の子の方がいい。断じて男相手ではない。
その証拠に本当に、最近まで…ずっと、シオンが……ああもう!今になってすげー腹立ってきた!と同時に情けなくて悔しくて泣きたくなる。
こんなことなら会わなきゃよかった。そしたら綺麗な理想のまま真実を知らないまま続けられたのに。でも…
ボクは頭を上げてレターボックスが置いてある棚の上を見た。机の横にあるタンスの上に置いている。

文通、楽しいですよ。
嬉しいです。
ありがとうございます。

あの手紙には優しさが溢れてる。三カ月も文通していたんだ。それも途切れることなくこまめに。
あんな性格してるけどただボクの反応を楽しんでわざと女性のふりをしていたとは思えない。
あれがシオンの本心なら……ああ駄目だ考えれば考えるほどあいつの本心がわからない。

『一目惚れというのは、本当ですよ』

よく、わからない。それが一番の感想だ。お互い気になる存在で両想いが実ったら最高だなって思ってた。
だけど相手が男となれば話は別だ。別の、はずなのに。


シオンの顔が、声が、ずっと頭から離れない。



***



夕方、近所の小学生ルキが家に来ていた。ピンクの長い髪にお気に入りの羽飾りのカチューシャ。
彼女がまだ三歳の頃から知っているので昔からよく遊んだりしていた。そんなルキももうすぐ11歳になる。
「お、いらっしゃいルキ」
「どうしたの?アルバさんなんか疲れた顔してる」
ボクを見た途端可愛らしい顔に少し眉間に皺が寄る。
「あはは…ちょっと、うん…疲れてたのかな?でも大丈夫。さっきまで昼寝してたし」
シオンのことをルキに話すわけにもいかないし。ルキはボクが文通をしているのを知っている。
今度会うんだ〜とまで話してしまっている。いつかは話すつもりだが今は話したい気分にはなれなかった。
「本当に?」
「うん」
ルキはそれ以上深く聞いてはこなかった。少しだけホッとした。
「あ!そうだ、後これヤヌアさんの所のトマトだよ!いっぱい収穫できたからアルバさんの所にもおすそわけで持ってきた!
ヤヌアさん、さっきアルバさんのお家にも行ったみたいなんだけど留守だったから預かってたの」
彼女はにこりと笑いポリ袋をボクに手渡してきた。何個か大きめのトマトが数個ゴロゴロ入っている。
ヤヌアさんもこの近所の顔なじみで知り合いの男性なのだが忍者にハマりござる口調を無理やり話したりと何かと面白い人だ。
そんな彼は現在家庭菜園にはまっているらしく今トマトを作っているらしい。
「あ〜ごめん、ボク寝てて気がつかなかったかも…悪い事しちゃったなあ。
でもありがとう!ヤヌアさんのとこのトマト甘くて美味しいんだよね!うちの家族みんな好きでさ」
ヤヌアさんに後でお礼の電話を入れておこう。
「あと、例のあの絵本、もうすぐなつのおはなしが描き終わるから早くて冬には店頭に並ぶんじゃないかって」
「本当に!?うわあ楽しみだな!」
ある絵本の話題にボクは嬉しくなって声が弾んだ。
「冬に夏の絵本だなんて季節感台無しだろ!って偉い人に怒られたらしいけど、人気の作品だから来年の夏まで待たずに出すみたい」
「へえ」

あの絵本。実はボクには好きな絵本がある。
高校生のボクが絵本を読んでいるなんて変かもしれないけれど、好きなものは好きなのだから仕方がない。

『勇者クレアシオンのおはなし』

それは児童向けに描かれた一冊の絵本だった。その絵本を知ったきっかけはルキ。
彼女の知り合いが絵本作家をしていてその作品だそうだ。何気なくその話を聞いていて
二年ほど前に本屋で見かけたのがその絵本との出会いだった。それは、ある勇者のお話だった。

むかしむかしあるところに、わるさばかりするまおうがいました。
まおうはいろいろなまちのみんなにいじわるをしてみんなこまっています。
そんなまおうをたおそうとひとりのわかものがあらわれました。
そのわかもののなまえはクレアシオン。さあ、クレアシオンのぼうけんのはじまりです。

この絵本は勇者クレアシオンが魔王を倒す旅に出て最終的には魔王と友達になり魔王が町の皆に「いじわるをしてごめんなさい」をして皆仲良しハッピーエンド。
強くてかっこよくて優しさと正義感を持ち合わせているクレアシオン。男の子なら憧れの対象だ。ほんわかした可愛らしい絵柄とその内容に人気のある作品らしい。

でも、この絵本には空白の期間がある。クレアシオンが旅をしている期間がごっそりと抜け落ちているのだ。
「ぼうけんのはじまりです」と始まっているのにいきなり魔王城に乗り込んでいる。
「クレアシオンはながいながいたびをへて、ついにまおうのしろにたどりつきました」と一文で片付けられてしまっているのだ。
始めは児童向けの絵本だしそんなことは気にも留めていなかった。それにまだこの時は、好きになるほどでもなかった。だってどこにでもある普通の絵本だったから。
けれど最近になってその空白の期間が発売されたのだ。季節を選び、はるのおはなし、なつのおはなし、あきのおはなし、ふゆのおはなし、と出る予定らしい。

衝撃を受けたのはその「はるのおはなし」だった。
今年の春に発売された「はるのおはなし」は先に発売されている絵本とまるで違った。
今までのクレアシオンのイメージをがらりと変えて、話題にもなったらしい。
この絵本のクレアシオンはひとりぼっちだった。ずっとひとりぼっちで旅をしているのだ。
誰にも頼らずひとりぼっちの旅。悪い魔物に恐怖し困っている人達に助けを求められても「知るか」と冷たくあしらい旅時を急ぐ。冷たい勇者。
いや、この時点で彼を勇者と呼ぶものはいないのだ。「なんてひどいやつだ」「力をもっているくせに」「わるいやつだ」そんな言葉すらクレアシオンにぶつけられる。
桜の木と花たちだけがそんなクレアシオンを見つめている。児童向け、というかボクが読んでも続きが気になる展開だった。というかこれでは子供達は混乱するんじゃないか?
と思っていたのだが意外とそうでもなく、中には「クレアシオンは優しい勇者だもん!こんなのクレアシオンじゃない!」と泣いてしまった子もいたらしいのだが
お話の続きが読みたいと言っている子供達も多いそうだ。
「アルバさん、あの絵本好きだよね」
「うん、あのお話の続きがどうなるのか気になって」
「最後はハッピーエンドでしょ?」
「うん、そうなんだけどね」
ハッピーエンド。確かにラストはハッピーエンドだ。一番初めに出版された絵本のクレアシオンは本当に勇者様!って感じのクレアシオンで
けれど旅の始まりのクレアシオンはまるで別人のようだ。始めから、彼は勇者ではなかった。そんな彼がどのように変わっていき、
あのハッピーエンドを迎えるのか気になっているのかもしれない。
「新しい情報が入ったらまた教えてあげるね!どんな内容かはなんとか契約っていうのがあって誰にも話しちゃいけないんだって」
「守秘義務があるからね」
でもルキに発売日の話ををしてしまっている辺り、本当はいけない気がするがそこはツッコンだらいけないな、と心の中に仕舞っておこう、うん。





翌日、月曜日。ボクは高校に通うため通学には電車を使っている。家から高校まではドアツードアで30〜40分等だ。
毎日の満員電車は結構堪えるが仕方がない。あ〜…二日連続寝不足のせいでふらふらする。ボクはよろよろと吊革に捕まった。
いつもとおなじくぎゅうぎゅう詰めの満員電車。でも今日はいつもと何かが違った。ボクの真後ろ、丁度尻の辺りに何かが当たった。
始めは鞄が当たっているのかと思って気にしていなかった。だけどそれが男の手の形だとはっきりとわかりザワリと悪寒が走る。
え、ちょっと待って。ボク男だよ!?ありえないありえない。男に痴漢とかありえない。何度も何度も心の中で言い聞かせる。
ただ混んでいるせいで手が当たってしまっているだけだ。ちらりと後ろを見れば四十代、ぐらいの男性だった。普通の人だ。
けれど次第にその手の動きがなんかおかしい。掌がざわり、と尻を撫でたのだ。
「…!!」
う、嘘でしょ!?何これ何これありえない!!気のせいではない。揉みしだくように強く力を込められている。
身体をよじりたくても満員電車の中、身動きが取れない。ましてや男が男に痴漢されているなんて恥かしくて声も出せなかった。
気持ち悪い、嫌だ。もはやパニックになる寸前だった。じわりと涙が浮かびあがる。男のくせにこんなところで泣いてたまるかと必死に耐えた。
睨みつけてやると男はボクが何も言わない事を良い事に平然とした顔をしていた。嫌だ、誰か、誰か、助けて。気持ち悪い、早く次の駅に着いて…!!
前に手が伸びてきた瞬間サーと血の気が引く。が、その手が触れられる事はなかった。

「何してるんだ、この痴漢野郎」

ざわっと騒然となる車内。聞き覚えのある声だった。知っている男が男の手を掴み捻っていた。
シオンだ。昨日会ったばかりの、シオンがスーツ姿で男を拘束している。なんで、どうしてこの人が、ここにいるんだ。
「おじさん、犯罪ですよ?いくら可愛いからってさあ、触るとか」
「何を言っているんだ!俺は何もしていない!!」
「へえ、何もしていない」
シオンはギリリと男の手首をつかむ。
「い、いたたたたたたた!!!」
シオンは男の手首を掴んだままにっこり笑っているがものすごく怖い!なぜかその笑顔には迫力があった。
男にもそれが伝わったのだろう。サーと顔色が青くなった。電車はほどなくして次の駅に到着した。乗客が続々と降り始める。
男はシオンから逃げようと暴れたがびくともしない。なんて力だ。見た目と反して意外と力があるのか。
「おい!言いがかりを付けるのはいい加減にしろ!」
男は怒鳴りシオンに掴みかかる勢いだ。
「はあ?」
あ、やばい。直感的にそう思った。シオンの目が笑ってない。拳が振り上がる寸での腕をボクががしりと両腕で掴んだ。
「シオン!もういい、もういいから!!」
「何がですか!こいつを警察に引き渡すまでは─」
「いいから!!」
「ですが!!」
男が男に痴漢されたなんて恥かし過ぎて騒ぎを大きくしたくない。ボクは必死にシオンの腕にしがみ付いた。周りもちらちらとこちらを見ている。
ボクの思いが伝わったのかシオンは舌打ちをすると渋々男の手首を離した。男は逃げる様に人混みの中に紛れて数メートル先の階段を降りて行った。
はあ…次から車両を変えないと。ボクが深々と溜め息を吐き出すとそれを見ていたシオンはボクに詰め寄ってきて。てか顔がち、近い。
「あんた馬鹿じゃないですか、何黙って平気で触られてるんですか、一回死ななきゃ駄目ですかね?」
「酷い!!」
「…オレだって……のに…」
「?」
シオンの声が小さくて、よく聞こえない。
「オレだってまだ触ってないのに何あんな痴漢野郎に触らせてるんですか!」
「ばっ!ばっかじゃないの!??」
ボクは顔を真っ赤にして叫んだ。恥かしくてシオンに背を向けて数歩歩きだすが、ぴたりと足を止める。
けれど助けてくれたのは事実だ。ちゃんとお礼を言わなければ。ボクは後ろを振り返り、自分から彼に歩み寄った。
「……あ、ありが、とう…」
「……どういたしまして」
ああ、それにしても寄りにも寄って、この人に助けられるなんて。なんでまた会っちゃうかな。昨日といい今日といい、ショックだ。ダブルパンチだ。
「シーたん!どうしたの?びっくりしたよ!いきなり混んでる人掻き分けて前に行っちゃうからさあ!」
後方から明るい声でシオンに話しかけてきたのは茶髪の青年だった。シーたん、とツッコミたくなったが今はそんな気にもならない。
シオンと同じく紺のスーツを着ているが幼い顔立ちのせいか、初対面なのに申し訳ないが似合ってない。スーツに着せられている感が漂っていた。
「この子シーたんの知り合い?顔色悪いみたいだけど大丈夫?」
お願いだから何も言わないでとシオンに目で訴えた。
「ああ、具合が悪くなったみたいでな、無理やり降ろした」
あ…
「そっかあ、オレ達も側に付いていてあげたいけどもうすぐ打ち合わせの時間だし…」
茶髪の青年は左腕の腕時計を見ながら申し訳なさそうに言った。ああ、ひょっとして彼がシオンの友達だろうか?一緒に会社を立ち上げたっていう…
「あ、そうだ!今度遊びにおいで!会社の事務所って言ってもオレの自宅なんだけどさ。オレクレアって言うの!宜しく!はい、これめーし」
すごい、ポップというか派手で可愛らしい名刺だ。派手な水色で大きくクレアと名前が書かれている。
「可愛いでしょ〜知り合いの女の子に手伝ってもらって作ったんだ!インパクトをお客様に与えるのにいいって!」
「は、はい、あの、ありがとう、ございます」
「…本当に一人で大丈夫ですか?」
「うん、平気。少し休んで、学校に行くよ」
「……………」
「シーたん急いで急いで〜!」
クレアさんが階段の付近から手を振っている。
「うるさいわかってる!」
シオンはこちらをちらりと見てすぐにクレアさんに続いて階段を降りて行った。
二人の姿が完全に見えなくなってよろよろとボクは近くの空いているベンチに座った。
うう、気持ち悪い。思い出すだけで鳥肌もんだ。結構ダメージでかいかも。
………でも、シオンかっこよかったな…って、どこの乙女だボクは。ないない。ありえない。
心臓がドキドキ高鳴っているのは変な事に巻き込まれて動揺しているせいだ。

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