はじまりの手紙。***03


その後はなんだかんだで雑談を交えながら普通に会話をして、夕飯をご馳走になった。
手紙の中の知識でシオンは料理ができると知ってはいたが本当に得意だった。クレアさんのお墨付きだ。
簡単に、といいながらカレーを作ってくれたのだが野菜がたくさん入っていて、とても美味しかった。
じゃがいもは切らずにただ皮をむいただけで一個そのままとか人参もでかくてゴロゴロと入っていたのは流石に驚いたが。
そして他愛もない会話。シオンとクレアさんは幼馴染みで小さい頃からの親しい友人だと知った。
相変わらずボクはシオンにぼろ糞に貶されてそれにツッコミを入れてクレアさんが隣でげらげらと笑っている。
三人でこうして話をするのは、結構楽しくてあっという間に時間は流れた。
…けれど、シオンもクレアさんも恋愛絡みの話は一切しなかった。触れられなかったのはボクの心情を察したのか
それとも別の意図があったのか、それは聞いてみなければわからないことだけれど、尋ねる勇気はなかった。

夜も更けてクレアさんに別れを告げ、ボクは静かな夜の住宅街を歩いていた。…シオンと二人きりで。
シオンとは近所なのでまあ必然的に帰る方向が同じになるのだから仕方がない。一緒に帰ることになるとは思わなかったけど。
正直二人きりとか気まずい。ボクは歩きながらふと空を見上げる。夜空は生憎雲で覆われて月も隠してしまっている。
けれど秋の季節は過ごしやすいから好きだ。柔らかく吹いた風が少し冷たくて丁度よかった。ボク等は無言で住宅街を歩いていた。
シオンは歩くのが早くてボクの方が早歩きになってしまっていたがそれに気がついて歩幅を合わせてくれて、
今はボクの隣、左側を歩いてくれている。さりげない優しさを見せられると変に意識してしまう。何か、話さなくてはと思う。
「よくオレと一緒に帰ろうとか思いましたね」
先に口を開いたのはシオンだった。
「どういう意味?だって同じ方向に帰るんだから、そうなるじゃん」
「お人好し」
呆れたようにぽつりと呟かれたそれに疑問が浮かぶ。何だ、何が言いたいんだ。
「二人きりになるなんて、どうぞ口説いて下さいと言っているようなもんですけど」
「はあ!?な、なんでそういう発想になるんだよ!?」
「説明しないとわからないんですか、相変わらず低能ですね」
「わ、わかるよそれくらい!」
「ふーん、へえーその頭でですか」
シオンは相変わらず人を馬鹿にしたようなものの言い方だ。こいつ本当にボクのことが好きなの?と疑いたくなるレベルだ。
だがそう油断しているとさっきのように突然「好き」の意思表示をしてくるからこっちは簡単に動揺させられる。
ボクは、そんな自分が嫌だ。だってそれは、ボクがシオンを意識している証拠だ。わかってる。意識しまくっているのはわかってる。
なんで、どうしてシオンはボクが好きなんだ。 疑問ばかりが浮かび上がる。
正直彼に好まれる理由が全く思い当たらないのだ。散々悩んで、また同じ壁にぶち当たる。
ボクは歩みを止めた。数歩先に歩いて、シオンも歩みを止めて、こちらを振り返る。ボクはシオンの隣まで歩いて彼を見上げた。いや、睨みつけた。
男の割にシオンより背が低いボクはどうしたって見上げる形になってしまう。それすら悔しさを感じる。
シオンは一瞬無表情になったと思ったら、す、と両目を細めてボクを見つめ返してきた。
「─……ねえ、どうしてボクに手紙を書いたの?」
やや間があって。
「なんです、突然」
「理由聞いたっていいじゃないか。ボクには知る権利がある」
「…話したくないです」
シオンに目を逸らされた。
「なんだよそれ、ちゃんと言わなきゃ伝わらないことだってあるだろ」
「……どうして」
ボクは短く息を吸って吐き出した。
「どうしてボクなんだよ…なんで、ボクなんか…」
好きになったんだ。
「それはオレが一番知りたい理由です」
「はあ?」
「だから一目惚れだと言ったでしょう」
シオンは苛立った口調ではあと大袈裟に溜め息を吐かれた。その直後、赤い瞳は真直ぐに向けられて。

「気がついたら好きになっていた、ではいけませんか」
「…っ!」

ドクンと心臓が大きく飛び跳ねる。シオンの視線に耐えられず逸らしてしまった。くっそ、心は複雑なのに身体が素直に反応してしまうのは本気で困る。今日で何度目だ。
そんなボクの戸惑いなんてお構いなしにシオンに距離を詰められて、ボクは目を見開いた。伸ばされた右腕が、その指先が頬に触れそうになる。
ボクは顔を引いて咄嗟に数歩後ろへ距離を取った。微妙な空気が生まれ、シン、と辺りも静まり返る。
「ボクは、シオンがわからない」
「は?」
「なんで、どうしてボクなんだよ…その理由が全く思い浮かばない」
オウム返しのように同じ言葉を繰り返す。
「…わかんないよ、……」
「…なら、どうしてそんなに顔が赤いんですか?」
「…っ」
何も言い返すことも出来ず話せないまま黙っているボクをシオンは見ていたが、睨んでいるようにも見える。
「そんなに自分の気持ちを認めてしまうのが嫌ですか?」
ボクは違うと言いかけて、言葉を飲み込んだ。否定してどうする。
視線を下に落とし自分の両足とコンクリートを見つめたまま更に数歩、後ろに下がった。

「ごめん」

踵を返し、ボクは駆けだした。大きく両腕を振ってただ真直ぐに駅へと全力疾走した。何も考えずにひたすら走った。
後ろからシオンが追いかけてくる気配は感じない。シオンはボクを、追いかけてはこなかった。

ボクはまた、シオンから逃げた。



***



──アルバ自宅 リビング──


あれから、一週間。ボクはシオンに告白の返事もせず曖昧な態度をしたまま、一週間が過ぎた。
シオンは何も言ってこなかった。メールも電話もない。…手紙も途絶えたままだ。近所に住んでいるとはいえ、顔を会わせることもなかった。
初対面の時はあれ程強気な発言をしていたのに、何も言ってこなくなったし、連絡もない。
なのに、今ボクは苛々している 。何に対してだ。自分自身に?それとも何も言ってくれないシオンに?
あんな別れ方をして後悔がないわけじゃない。…別れ際、一瞬呆けた顔からすぐに眉間に皺を寄せて、複雑な表情をしたシオンの顔が忘れられない。
ボクの方から連絡を取ろうと携帯のメール欄を開いては閉じる行為を何度繰り返したことか。
でも、結局送れなかった。何を話せばいいって言うんだ。
………わかっている。本当は気が付かないふりをしているだけだ。
認めたくない。否定したい。ボクは、何に対して拘っているんだ。
「アルバさん」
シオンが男だから?同性だから?嘘を吐いていたから?
「アルバさんってば!!」
「え!?あ、ごめん何!?」
ボクは慌てて考えごとを中断した。目の前の少女、ルキは不満げに頬を膨らませている。
ルキは時々平日の夕方、もしくは休日に家に遊びに来る。今日は宿題の算数を教えてあげる約束をしていた。
小学生の宿題くらいならボクにだって教えてあげられる。
「どうしたの?さっきっからずっと上の空だよ?」
「えっと、ごめん…どこまで教えたっけ」
「もう終わったよ!」
ボクはルキの目の前に広げてあった算数のドリルを手に取るときちんと全部の問題は記入してあって、終わっていた。
「うん、じゃあ採点するね」
ルキはシャープペンを置くと手元にあったココアの入ったマグカップを手に 取りこくこくと飲み始めた。
ボクもそれにつられて自分のマグカップに口に付けた。中身は同じくココアだ。もう冷めてしまっている。

「シオンさんに好きって告白された?」

ボクは口に含んでいたココアを吹き出した。思いっきり。それはもう漫画に出てくる動揺したあの一コマのように。
「汚いなあもう」
と言いながらテーブルを冷静に布きんで拭くルキ。幸いルキに吹き出したものがかからなかったものの、
算数のドリルの端にココアの点が数点ついてしまったが気にする余裕なんてあるわけがなかった。
「はああああああああ!??」
「あ、その反応、やっぱりそうなんだ」
ルキは驚くどころか動揺のどの字もなく、普通に話してくる。
「ちょっとルキどういうこと!?」
「だってアルバさんの名前とか色々シオンさんに教えたの私だし」
「え…?」
ちょっと待って。落ち着けボク。落ち着くんだ。
「ま、ま、待って!ルキとクレアさんが知り合いで、シオンとも知り合いだったのはこの前知ったけど
それとこれとは別で!なんでシオンがボクのことを、その、好きだって知ってるの!?」
好き、の部分が小声になってしまった。
「だってシオンさんから直接聞いたようなものだし」
何だそれ。
「じゃ、じゃあ…ボクが文通をしている相手も……」
「うん、シオンさんだって知ってたけど、私が口を挟んじゃいけないかなあって…ここ最近アルバさんも楽しそうだったし」
「何で今まで黙ってたんだ!ルキ!」
「言ったよー!手紙もらってアルバさんが浮かれてた直後に!そしたらアルバさん全然信じてくれなかったんだよ!」
「へ…」


『えへへ〜シオンちゃんってどんな子だろう、手紙なんて出してくるなんて、きっとシャイな子なんだ!』
『アルバさん。あのね、シオンさんって男の人なんだよ。それでね、シオンさんとクレアシオンの絵本の作者、クレアさんとは幼馴染みで友達同士なんだよ』
『あははは!そっかーシオンさんは男の人なのかー!しかもクレアさんと友達なのか―!すごいなー!』
『それでね、シオンさんはアルバさんとまずはお近づきになりたくて、でもシオンさんはアルバさんと接点がないから、
どうしようって悩んだ挙句、アルバさんに手紙を出したみたいで、返事が返 ってきたってびっくりしていたのはシオンさんも同じでね…それでね!』
『ルキ、一度受けたからってボケを掘り下げたらいけないよ』
ルキは何故か驚愕した眼差しでボクを見ていて。
『せっかくのボケの瞬発力が死んじゃうだろ?』


まざまざと蘇る衝撃の記憶。言った。確かにルキははっきりと言った。その時ルキは呆然としていた。ボクの発言のせいで。
「…ギャグだと思ってた………」
信じてなかった。これっぽっちも。ていうか今の今まですっかり忘れていた。にこにことルキは笑っている。笑顔が怖い。
「ごめん、ホンットごめん…!」
「ううん、大丈夫だよちょっとイラッとしただけだから!二度と話してやるかってそのまま勘違いしたままでいいやって思っただけだよ! 」
「結構気にしてる!?……あの、ごめん、できればその、どうしてルキがシオンがボクのことを好きだって知っているのか教えて下さいお願いします…」
「しょうがないなあ」
ルキには呆れた顔をされたが彼女はぽつりぽつりと語り始めた。



ここからは、ルキが話してくれたことに遡る。
元々ルキのお父さんとシオンは親交があり、ある日の夕方、ルキの家へシオンが尋ねに来たそうだ。
その時ルキは思った。これは自分に何か用件があるな、と。シオンは普段父親に会いに来るためにわざわざ家に来たりはしない。
引越しの挨拶と言っていたがそれはついでだろう。ルキはリビングのソファーに座りながらテレビを見ていた。
しばらくしてシオンが部屋に入って来て、側に両親がいないのを見計らって声を掛けた。
「シオンさん、私に用があるんじゃないの?」
「 ああ、聞きたいことがあってな」
「何?」
しかしシオンはすぐに口を開かない。彼の中で何か躊躇いがあるようにも見えた。不思議に思ったけれどルキはシオンの言葉を大人しく待っていた。
「………お前、あの人と知り合いなのか?」
「あの人?」
ルキは小首を傾げた。
「ふわふわとしたクセ毛で茶髪の高校生。この前一緒にこの辺歩いていただろ」
ルキは思考を巡らせてああ、と小さく呟いた。きっとアルバさんのことだ。他に思い当たる人物はいない。
この時ルキは思った。珍しい、と。シオンは普段他人に興味を示さない。このルックスでもてる筈なのに浮いた話は聞いたことがなかった。
クレアから聞いた話ではその手の話はバッサリとお断りしているそうだ。別段好きな相手が他にいるわけでもないらしいが、 本当にただ興味がないらしい。
そんな彼がアルバに興味を示したのだ。ルキにとって純粋に疑問が浮かんだのと同時に好奇心も生まれた。
「えーどうしようかなー」
「ファンピー奢ってやる」
「もうひとつ!」
ルキはちらりとシオンの顔を伺うと彼は腕を組んで舌打ちをした。
「二つまでだ」
ぼそりと呟かれたそれにルキはにこりと微笑んだ。
「アルバ・フリューリングさんですっ!ご近所さんなんだけど私が小さい頃から仲良くしてくれてるんだ。
他に思い当たる人いないから多分当たってると思うよ!」
「…アルバ……アルバ、っていうのか……春の暁とはまたシャレた名前だな」
ふむ、とシオンは何か考え込んでいるようだ。
「でも、どうして?どうしてアルバさんのことを?」
「別に。深い意味はねーよ」
「珍しいね、シオンさんが他人に興味を示すなんて」
「…ああ、そうだな」
ルキは内心驚いた。そしてそれは更なる好奇心を与えた。面白い。彼が素直に肯定の返事をするなんて。
シオンは不機嫌そうに眉間に皺を寄せたまま、まだ何か考えているようで。ルキはシオンから色々と聞きだしたくてたまらなかった。
「ねえどうして?」
「やけに食いついてくるなお前…」
「だって珍しいんだもん!」
クレアが相手ならば容赦なく拳が飛んでくるが相手はルキだ。なんだかんだでシオンはルキに甘い。ルキもそれを知っているからこそぶつけられる質問だ。

「……ある人のことを考えると心臓が早くなって毎日あの人のことばかり考えて頭から離れないから、気になっただけだ」

それって、どう考えてもあれだ。あれしかない。
「シオンさん、それって─」
「…ああいい、言うな。自分でもわかってる。はっきり言ってオレが一番自分に驚いてるんだ」
認めた。普段滅多に自分の本心を語らず、素直になれないあのシオンさんがあっさりと認めた。これは一大事だ。

しかもよりにもよってアルバに″恋″をした。

ルキは アルバのことも大好きだが同時にシオンをのことも嫌いではなかった。寧ろ好きな部類に入る。
ルキが今よりも小さい頃からクレアとシオンのことは知っている。二人は歳の離れた兄のような存在だった。
ルキは思い出していた。あれは、ルキがまだ六歳になったばかりの頃だ。
両親が生まれたばかりの妹のリンに手一杯で寂しい思いを感じていた時、いつも側にいてくれたのはクレアとシオンだった。
クレアはルキが寂しくならないように、ルキメデス家にちょくちょく顔を出し、いつも明るく陽気で、遊んでくれて
絵本をたくさん読んで聞かせてくれた。その傍らには時々シオンの姿もあった。
シオンもシオンでぶっきら棒な者の言い方で誤解されやすいタイプだがなんだかんだで面倒見も良く
優しい一面も持ち合わせていることをルキはちゃんと知っている。

妹のリンはルキも大好きだ。今では仲良し姉妹と近所では定評がある。
それでも、あの頃は本当に寂しかった。我慢できなくて、パパとママに我が侭を言って
「どうしてリンばっかり構うの!」と泣いてしまったルキにパパは「そんなことはないよ。でもルキはお姉ちゃんなんだから、
ガマンしなさい」とお決まりな台詞を言った。それからかな、「私はお姉ちゃんなんだから、しっかりしなくちゃ」と思うようになった気がする。
クレアが遊びに来れない時は、決まってシオンがルキに会いに来てくれた。
「近くまで来たからついでに寄った」とか「おじさんに用があったんだよ」と色々理由を付けて。
でもその優しさが幼い頃のルキにとって何度も救われたの事実だ。
「知りたい?アルバさんのこともうちょっと詳しく。ファンピーもう一つ追加でどう?」
「チッ。ちゃっかりしてるな…」
「どーする?」
ルキはシオンの顔色を窺いながらにやりと笑う。
「よし、乗った」
「交渉成立だね!」
ルキはこれからシオンがアルバに対してどう接していくのかとても興味を惹いたけれど、シオンの好きにさせてあげればいいと思っていた。
シオンがアルバのことを知りたければ教えてあげればいい。今、自分がこの青年にしてあげられるのはそのくらいだ。
寂しくも感じたけれど、今後シオンとアルバがどんな関係を築いていくのか予想も付かないけれど、シオンの恋路を見守ろうと思った。



「──で、私は思ったの。シオンさんの恋路を見守ろうって」
えっへん!と得意気に話すルキ。何この子。なんでこんなに出来た子なの。達観過ぎるだろう。
幼女すごい。ていうか女の子すごい。ませてるってレベルじゃない。
いや待てよ?これならシオンがどうしてボクの家を知っていたのか辻褄が合う。
そうだよそうだ!おまけに一番初めの手紙で「拝啓アルバ様」で、手紙を出してきたんだった…!!!…何で今まで気がつかなかった!!
「…………」
「アルバさん、私、余計なことしちゃった…?」
ルキはボクの様子を伺いながら不安げに聞いてきた。
「ううん、そんなことはないよ。ただ、少しびっくりしただけ」
「ホント?」
「本当だよ。うん、それにボクは楽しかったから。…シオンとの文通。まあ男だって知って驚きはしたけどシオンはシオンだし
本当に、ルキがいなかったら今頃手紙なんて送って来なかったかもしれないし」
嘘ではない。本当に、あの数ヶ月間のやり取りはボクにとってとても充実した日々だった。
「アルバさんはシオンさんのこと、どう思っているの?」
クレアさんと同じ質問ときたか。先週のシオンとの出来事が脳裏に浮かび、本心を口にしてしまっていいものかと迷いが生まれる。
シオンの微笑んだ顔を思い出して、ドキドキと高鳴る鼓動、頬が熱くなる自分がもう答えそのものだというのに。
「アルバさん、もしかして、アルバさんもシオンさんのこと…」
ルキはボクの反応に何か察したようだ。女の子はこういう恋愛絡みのことは敏感らしいと聞いたことがある。ボクは苦笑いしか出てこなかった。
「─……あいつには内緒な?てかクレアさんにも誰にも言わないで?ボクだって正直、かなりまだ、戸惑ってるんだ…」
「うん。わかった」
「ありがとう」
ふう、とボクは小さく息を吐いた。自分の気持ちと向き合うのってこんなに難しいことだったっけ。
そんな気持ちを誤魔化すようにまだカップに残っていた冷めたココアを一気に飲み干した。
「あのね、アルバさん。シオンさんがアルバさんに告白したってことは、もうそれ自体すごいことなんだよ」
「あーそれクレアさんにも似たようなこと言われたな」
「うん。アルバさんもシオンさんの性格わかってきてると思うけど、本当に素直じゃない人だから」
「うん、結構、不器用な人だよね」
生身のシオンと出会ってから気付かされたのだが、彼はドSで口は悪いし自分が男だと会うまで隠していたとか
最低最悪の行動を平気でやってのけてしまうほど、いい性格をしている。気に食わないことがあるとすぐに人を殴るし。
その反動なのか手紙やメールになるととても素直だ。そんな彼はルキの話の中でもあるように時折優しさを覗かせる。
ボクもそれは経験済みだ。だが、普段その素直さを表に出すことはまずない。そんな彼がボクに好きだと告白してきた。
それも何度も好きだと口にして、アピールまでしてくる。ルキもクレアさんもその行為自体が驚きの連続だと言う。
ボクはまだシオンと出会って、日が浅いから彼の全てを把握できているわけではないけれど、二人だけがシオンのことを
理解していることが、なんだか少し歯がゆかった。何か理由があるのだろうか、急いで告白する理由が。いや、そんなわけないか。
あの性格だし、好きと口にされる度に悲しいかな、動揺してしまうボクの反応を見て楽しんでる所もありそうだし。
そんな時だ。テーブルの上に置いてあったボクの携帯がバイブの振動で揺れたのは。
メールだ。送り主の名前を見た途端僅かに眉間に皺が寄る。よりにもよってあの男からメールが届いた。
届いたのはシンプルで短いメール。
『明日、会えませんか?』
ああ、なんでこういうタイミングで送ってくるんだろう、こいつ。
「シオンさん?」
「うん…明日会えないかって」
「わあ!本当に積極的だね」
「でも、ここのところ全然連絡なかったし、別にそういう訳じゃ…」
ボクは話しながら返信のボタンを押した。
「連絡、待ってたんだ」
「ち、違うよ!?そういうわけじゃないからね!?」
「ふーん」
ルキは慌てふためくボクをにやにやと笑って見ていた。



***



──地元駅前改札口前──

夕方、ボクは学校が終わり最寄り駅の改札を出た辺りでシオンを待っていた。他にも数名待ち合わせをしているのか、同じ年頃の女子高校生や
大人の女性、サラリーマンと何人か誰かを待っているようだった。何処で会うのかメールで尋ねたら地元で会いましょうと言ってくれたのは、
シオンなりの気遣いなのだろうか。時刻は夕方の六時を過ぎた所だった。今日は晴れ。不自然なほど明るい空だ。シオンからはさっきもうすぐ駅に着くと
メールがあった。遠くで踏切の鳴る音がして、しばらくしてホームに電車が入ってくる。続けてたくさんの人が改札を通り降りてきた。
丁度帰宅ラッシュの時間帯なのか結構降りてくる人が多い。この人混みの中にシオンもいるのかな。ああ、なんか、緊張する。
会うのはあんな別れ方したきりだし。そう思っていたら人混みの中に紛れてスーツ姿のシオンを見つけた。彼もボクに気がついて。側にやってきた。
「お待たせしました」
「ううん、大丈夫。ボクもさっき来たばかりだから」
「あ、なんだか今の会話恋人っぽくていいですね」
「ば、馬鹿なこと言うなよ!」
ああもうなんですぐこういう冗談を口にするんだ。
「うるさいですね、あんまり生意気な発言ばかりしているとこれ、今この場で音読しますよ」
シオンがす、っと胸ポケットから出したのは一枚の洋封筒。それは紛れもなくボクがシオン宛に出した手紙で。
「うわちょ、なんでそんなの持ち歩いてるの!?」
「脅して羞恥心に染まり困り果てるアルバさんの顔が見たくて!」
「キラキラしたものすごくいい笑顔で話すんじゃねえ!!」
シオンは思いっきりチッと舌打ちをした。
「まあこれ以上アバラさん相手にしてても周りに迷惑ですから移動しましょうか」
「ア・ル・バ!ボクの名前はアルバだよ!」
「さっさと行きますよゴミ山さん」
「もっと酷くなってる!!」
シオンはすたすたと先に歩いて行ってしまうのでボクは慌てて彼の背中を追いかけた。
「何が食べたいですか?」
「お前本当に唐突に話題変えるのやめろよ…」
「ファーストフードとか止めて下さいよ。昼に食べたので。あ、オレ和食か中華がいいです」
「リクエストする意味あるの!?」
「さっさと話せっつってんだろうが」
ドスッと右脇腹に鈍い痛みが走った。殴られた。かなり痛い。しかし周囲の人は気がつかないのか普通に通り過ぎていく。
素早く殴られたのか、しかも周りに気付かれずに!こいつ、できる。って馬鹿なことを考えている場合じゃねえ。地味に痛い。
「うおおっ…」
「え?もう一発食らいたいんですか?しょうがないなあ」
「結構です!!え、えっと、うーん……じゃあラーメン!」
「オレ洋食食いたいって言ったのに華麗に無視しやがりましたね」
「言ってない!!一言も言ってないよね!?ラーメン中華じゃん!!いいじゃん!!」
思いっきりツッコンでやれば何故か周囲の通行人にくすくす笑われて。通りすがりの母と子供が一言。
「ママーあの人達芸人さん?」
「しっ笑っちゃだめよ!」
とか言いつつ、しっかり口元笑っていますお母さん。むかつくことにシオンはそんなこと気にも留めず
さっさと一人で歩いて行ってしまったのでボクもそれに続いてトボトボと付いていった。
駅前から少し歩いた先には商店街がある。下町風情の商店街は飲み屋もあるし飲食店もそれなりに立ち並んでいる。
ボクがラーメンと一応リクエストしたので、商店街の中にある一件の中華屋さんに入った。店内は赤を基調とした壁一色で包まれていて
入口から斜め右上にはテレビが設置されて夕方のニュースが流れている。テーブル席はそんなに多くはないのだが夕飯時ともあり、結構混んでいた。
家族連れ、会社帰りの人々、様々だ。カタコトの日本語で店員さんが「イラッシャイマセー」と挨拶をする。ボク等は待たずに案内されたテーブルに着いた。
注文するのはもちろんラーメンと餃子のセット!ここのお店のラーメン餃子セットは結構美味いので時々家族で食べに来たりする。食べざかりのボクは本当はご飯もつけたい所だけどさすがに止めた。シオンは適当に五目そばしか注文しなかった。
「それしか食べないの?」
「ええ、元々そんなに食べませんので。ああ、いいですよ遠慮しないで好きなものを頼んで下さい。誘ったのはオレですから今日は奢ります」
「え、いいの!やった!あ、ビールとか頼まないの?」
「馬鹿じゃないですか高校生目の前にしてオレだけ酒飲むわけにもいかないでしょう。アルバさん頭弱いですから間違って飲んだら大変ですし」
「それぐらいわかるわ!!」
ったく、本当に素直じゃない。飲まないなら飲まないと言えばいいのに。ボクはメニューを見ながら店員さんに声を掛けた。




「──で、今日は何?ただご飯奢ってくれるだけじゃないんでしょ?」
雑談を交えながら一通り食べ終わった後、ボクは話を切り出した。本当にただの雑談でお互いに先週のことは一切触れていない。
「アルバさんにしては珍しく気がつきましたね」
「馬鹿にしてるだろ…」
「はい!」
相変わらずいい笑顔でいい返事をしてくれる。でも改めてなんの話があるんだろう。やはりこの前のことだろうか。
緊張が走り、背筋を伸ばした。


「近いうち日本を離れるんです、オレ」


「え…?」
今、何て言った……?
「何、え、え?」
離れる?日本を?
「もう一度言わなければわかりませんか?日本を離れると言ったんです」
シオンはさらりと言った。おまけに皿に残っていた一口程のそばを箸を使って平らげている。
とても大事なことを、普通の会話の流れで言いやがったのだ。
「え、え、ええええええ!?」
「うるさい」
す、っとシオンの右拳が上がる。
「食べた直後に殴るのだけは勘弁して下さい!!」
シオンは上げた拳を降ろしてくれた。ほっと胸を撫で下ろす。いや、今はそれどころではない。
「……離れる、って、…どこに?」
「アメリカ、ニューヨークへ」
ドクンと心臓が大きく鳴った。益々驚きが隠せない。アメリカ。アメリカ…
「ま、また、ビッグな街に行くんだね…旅行とかじゃ、ないんだよね?」
動揺を悟られないように、必死に冷静を装う。ドクンドクンと心臓の音が驚くほど耳に届いた。
「ええ、一年程。元々語学留学には興味があったんですけど、昔の親の知り合いをつてに前々から来ないかと誘われていたんです。仕事の手伝いも付いてきますけど」
シオンは手元の水の入ったコップを掴んで水を飲んだ。
「いち、ねん…クレアさんも?だって、会社だって立ち上げたばかりだって…」
「いえ、あいつはこっちに残りますよ。今貴方が言った通り会社のこともありますし、まあそっちはオレの後任がいるので大丈夫です。
安心して任せられる相手ですし、今徹底的に教え込んでいますから。オレはもう少しこっちの仕事が落ち着いてから行くつもりでしたが、
あの馬鹿がさっさと行け行けうるさい後押しもありましたけど」
「…………」
いなくなる、シオンが。もう、会えなくなる。
「なんですか、寂しいんですか?」
「寂しいよ!」
シオンは目を見開いてボクを凝視した。相当驚いたのだろう。ボクの反応が予想外だったに違いない。こんな顔をしたシオンを初めて見た。
けれど何よりも咄嗟に出た言葉に一番驚いたのはボク自身だった。俯いて下唇を噛んで、空の器を見つめる。駄目だ、落ち着け。動揺するな。
「……そうですか」
それきり、ボク等は口を開かなかった。早々に店を出てもボクは何も言えなかった。
あまりにも突然のことで実感が沸いてこない。先程の発言をただの冗談だ、嘘だと笑い飛ばしてくれたならボクもツッコミが入れられるのに。
店の前で、ボクが歩けずにそのまま突っ立っていると異変に気がついたシオンは他の客の邪魔にならないようにボクの腕を引いて少し店から離れた。
シオンは先に一人歩いて行ってしまう。どんどん遠ざかっていく背中に不安が過り、ボクはシオンの背中を見つめたまま小走りに走って、咄嗟に彼の右腕を掴んだ。
驚いてシオンは振り向いて。彼の赤い瞳とぶつかった。
「アルバさん?」
「あ、ご、ごめん、なんでもない…」
すぐに腕を離して、ボク等は商店街を抜け、別の小さな路地を二人で歩いた。こっちの方が家まで近道なのだ。
明るい賑やかな商店街とは反対で真っ暗な夜道。シオンとボク以外誰もいない。すぐ近くの街灯の蛍光灯が今にも切れかかってチカチカしていた。
やり場のない気持ちが込み上げてくる。きゅう、と胸が締めつけられて、苛立ちと不安が入り混じってかなり複雑な気持ちだった。
「──……いつ、出発するの?」
「来月の頭には」
「後一カ月しかないじゃないか!」
「ええ、ですから準備や仕事で忙しくなるので会いに来たんです」
歩きながらシオンはちらりとボクを見て。
「しばらく会えなくなりますから」
ドクンと心臓が一つ、嫌な音がした。
「アルバさん」
シオンが足を止めて、ボクもその歩みを止めた。
「さっきの言葉、本当ですか?」
「あ…えっと、あれは……」
言葉が喉につかえて出てこない。そんなの、ボクだって驚いたんだ。あんな言葉が出てくるなんて。寂しい、なんて。
しかしボクの返答を待つ前にいつの間にかシオンがボクの目の前に立っていた。左頬に手が触れる。シオンの手だ。
身体がビクリと反応して顔を上げた。真直ぐに赤い瞳がこちらを見ている。
「今度は逃げないんですね」
「……………」
ボクは目が離せなかった。逸らすことも出来なかった。シオンはにこりと、口元を緩めて笑ってくれて。
ほら、そうやってただ笑っただけなのに、たったそれだけのことなのに簡単にボクは動揺してしまう。胸の奥が痛くてざわざわしている。
「…お前、ずるいよ」
「はい」
「言いたいことだけ勝手に言って、ボクは、振り回されてばっかり、で」
駄目だ、声が震える。そんなボクにシオンは困ったように笑う。ああ、そんな顔もできるんだ。やっぱりずるい。
「質問の答えになっていませんよ」
じり、とシオンの顔が近づいて、額と額が触れる。目の前の赤い瞳とぶつかって、綺麗だ。今にも唇と唇が触れ合いそうでとても近い。
頬に触れていた親指が、唇に触れる。ボクは、シオンの背中に腕をそっと回した。彼のスーツを少し引っ張るように握る。
僅かに赤い瞳が見開かれて、細められる。左頬にもシオンの手が触れた。ボクは目を閉じかけて、シオンは顔を引いて、

思いっきり頭突きされた。ゴッとかなりいい音がした。

「ったああああ!!!何するんだよ!?」
マジで結構痛い。じわりと涙が滲んで、ひりひりする額をボクは左手で撫でた。
「餃子味のキスはちょっと」
なんて、シオンは口元を右手で隠している。ボクは一瞬にして顔が真っ赤に染まった。
今、ボク、シオンと、雰囲気の流れでキス、しようとした……!??
「お、おま、い、いいいいま!!」
暗がりでよく見えないがシオンの耳がほんのりと赤いのは気のせいだと思いたい。
「…まあいいです。少しは進展できましたから」
動揺するボクなんて気にも留めずにシオンは一人で先に歩いてしまい、ボクは慌ててシオンの背中を追いかけた。
「べ、別にボクはまだ!」
「素直じゃないですね」
「お前に言われたくないわ!!」
歩きながら話していたら丁度T路地に差し掛かり、ボク等は足を止めた。そうだ、シオンの家に行くには右側の道を。ボクの家へは左側の道だ。
「アルバさん」
「な、なんだよ…」
シオンは何か、言いたげな顔をしている。
「ありがとうございました」
「へ?」
「今日は会えて嬉しかったです。元気な馬鹿面を拝めて」
「お前なあ!!」
シオンはくすくすと笑いながら右側の道へ数歩歩いて、振り返った。

「じゃあな、アルバ」

え。今、アルバって呼び捨てで。
「え、あ、うん、またな!」
シオンはシオンですぐに前を向いて再び歩き出してしまったため、ボクにはシオンの表情がよく見えなかった。
笑っていたようにも見えた気がしたけれど、違うかもしれない。彼の背がどんどん小さくなって暗闇の中に溶けていく。
頭の中で「シオン!」と声を掛ける自分の心の声が反響した。呼び止めたい、けど呼び止めてどうするんだ。
ボクは、真直ぐに歩いていくシオンの背中を見つめていた。彼の姿がその先の曲がり角で消えるまで、見ていた。
「…………はあ」
一人その場に残されて。ボクはすぐその場からすぐに動けなかった。ボクは自分で自分の口元を左手で覆った。
はあ、と息を吐きだしたら餃子の匂いがしそうだ。……餃子、食べてなかったらキス、してたのかな。


『日本を離れるんです、オレ』


シオンは、はっきりとそう言った。
まだ、実感が沸かない。でも、明らかにショックを受けている。

シオンが、いなくなる。
シオンと、もう会えなくなる。
シオンと、話しもできなくなる。

「なんで、だよ…」

言えなかった。呼び止められなかった。
”いかないで”と喉の奥から出そうになって、心が震えた。
なんで、このタイミングなんだ。重く圧し掛かってくる現実に、胸が痛い。

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