はじまりの手紙。***04


──放課後 学校教室 ──


雨が降っていた。しとしとと雨が。ボクはぼんやりと教室の窓を見ていた。
「はあ………」
誰もいない教室に溜め息が漏れる。これで何度目だろう。早く帰らなければ。けれど重い足が動かない。今日も酷い一日だったな、と振り返る。いつかと同じように一日中シオンのことで頭がいっぱいだった。流石に今日は体育で鼻血を出すという惨事は回避できたけれど。


『じゃあな、アルバ』


じゃあな、と言った言葉が妙に引っ掛かった。いつもシオンは「それでは、また」と締めくくる。リアルでは、どうだったかな。ボクは逃げてばかりだったから。…手紙は、いつもそうだった。

─…参ったな、こんなにショックが大きいなんて。ぽっかりと心に穴が開いたみたいだ。
じゃあだからといって何ができる?シオンに会う?会ってどうする?ボクも貴方が好きでしたと自分の気持ちを伝えてしまうか?散々突っぱねてきて今更好きとかどの口が言えるんだ。でも、多分シオンはそんなボクでも受け入れてしまうんだろう。会いたい。でも、会いたくない。声が聞きたい。でも、聞きたくない。そんな繰り返し。このままじゃ、本当にシオンに何も言えないまま、シオンはアメリカに行ってしまう。
「よう」
ゆるゆると声がした教室のドアの方へ首を向ける。入口の前に、フォイフォイが立っていた。
「…フォイフォイ」
「ドゥーした?ここんとこずっと塞ぎこんでるじゃねえか」
変な喋り方にツッコム気にもならない。フォイフォイはボクの机の隣まで歩いて来た。
「…そうかな」
ボクはふと視線を目の前の自分の机に向けた。
「何があった?」
一応心配してくれるのか。
「─…ねえフォイフォイ。もし、もしさ、大切な誰かがどっか遠くに行っちゃうってなったらどうする?」
「はあ?」
「だからもしもの話だよ」
「んなこたあその時になってみなきゃわかんねーだろうが」
「そりゃそうだ」
フォイフォイに聞いたボクが馬鹿だった。


「追いかけるよ、私」


凛とした綺麗で高いヒメちゃんの声が、教室内に響いた。いつの間にか彼女の姿がそこにあった。
「ヒメちゃん…」
「私だったら例えそれがどんなに遠くに離れちゃうことになっても、追いかけるよ」
真直ぐで純粋な彼女の思いは間違いなくフォイフォイに向けられている。羨ましいぐらいだ。フォイフォイとヒメちゃんはお互いに顔を見合わせて、ヒメちゃんは頬を赤らめた。フォイフォイも視線を明後日の方向へ動かして。
「はいはい」
「んだよ、そのはいはいって」
「別に」
「…アルバ君の大切な人、どっか遠くにいっちゃうの?」
……大切な人、か。問いかけられた言葉が重い。
「……うん」
「そっか、それで最近元気なかったんだ」
「結構ショックでかくてさ。いなくなるなんて、考えてもいなかったから」
「無理もないよ、私だって……嫌だもの」
「おーい、お前さんたちまだ残ってたのか」
ヒメちゃんの言葉に続くように教室の入り口からルドルフさんが顔を出した。ルドルフさんはこの学校の用務員だ。元々はヒメちゃんのお父さんの下で働いていたらしく本当は幼稚園で働きたかったらしいが諸々の諸事情で高校の用務員になったらしい。…諸々の諸事情ってのはまあ察しはつく。
「あ、はい、帰ります」
ボクはギイ、と椅子を引いて立ち上がると机の左側に掛けて置いた自分のバッグを手に取った。
「ところでアルバ君。ルキたんとリンたんは元気にしているかい?いつになったら」
「紹介するわけないじゃないですか〜嫌だなあ」
悪い人ではないが、十二歳以上は愛せない恋のシンデレラと言ってしまうほど危険な一面もある。犯罪を犯さないだけまだマシだけど。ぶっちゃけいつか何か事件を起こすんじゃないかと恐怖すら感じるわ。実は意外とフォイフォイと仲が良いこのご老人にうっかり近所の小学生の話をしてしまったのが最後。しっかりとルキとリンの名前を覚えられてしまい、会わせろと催促されるのが恐ろしい。
「ジジイ、てめえいい加減にしろよ」
「もう、ルドルフさん!」
「そ、それじゃ、ボクはもう帰りますので、二人ともバイバイ!」
フォイフォイとヒメちゃんは何か言いたげだったがボクは三人をその場に残して足早に廊下を歩き一階へと続く階段を駆け降りた。正直、あまりシオンのことは話したくなかった。自分からフォイフォイに話を振ったくせに。昇降口まで来ると雨は、止んでいた。校舎を抜けて、校門の所に見かけない制服の女子がいた。黒髪のショートカットの女の子だ。紺のブレザーにグレーっぽい短めのスカート。見たこと無い制服だった。きっと誰かを待っているんだろう。同じ年ぐらいだろうか。彼女と目が合うと、ぱああと明るい笑顔になった。


「ダーリン!」
「え?」


ダーリン?辺りをきょろきょろと見回すが他に男子生徒はいない。ボクだけだ。明るい声に元気な印象を受けた。
「私、ギルティ・ジャスティス!!」
女の子はボクの所まで駆け寄ってくると両手をぎゅううっといきなり掴んで突然自己紹介をしてきた。結構力があるようで手が痛い。
「え?ああ、うん、ちょっと待って、色々と聞きたいことがありすぎなんだけど」
「あのね!この前貴方を見かけてかっこいいって思ったの!」
「なんで!?」
キラキラした眼差しでジャスティスと名乗った女の子は見つめてくる。なんだ。何なんだこの状況!?
「一目惚れってこと!」
一目惚れ。またそれか!!一瞬ふらりと目眩がした。頭が痛い。え、ちょっとマジでなんのイベントだこれ。
「ちょっと待って!だ、第一付き合うって決まったわけじゃな いしほら、 お互いのことよく知らないわけじゃん?もちろん付き合ってから愛が生まれるパターンも知ってるけどボクとしては付き合うならお互いをきっちり理解しあってからでありたいわけで、いや別に君のこときらいだとかそういうわけじゃないんだよ?ただ君とのこと知らなすぎるからボクとしてもどうしていいかわからないじゃん?」
「じゃあ今から私とデートしよう!」
「へ?」
「お互いを理解したいんでしょ?ほら、行こうよ」
ジャスティスはボクの右腕に自分の腕を絡むとぐいぐい腕を引かれる。
「え!?あ、ちょっと!!」
ボクが通う高校は都心にあるため十分程歩けばショッピングモールやカラオケ店、喫茶店など色々と遊べる場所はある。夕方、平日とはいえ繁華街は相変わらずすごい人混みだ。ボクと同じ制服に身を包んだ男女を数名見かけた。
「ねえ待って、本当に待ってよ!!ボクと君は初対面でしょ!?なんでいきなりこんな展開に、てか第一ボクの何を好きになったっていうんだよ!」
一瞬シオンの顔が脳裏を過る。
「暗そうなところ!」
「ええ!?」
どうしよう。全く意味が分からない。いや、ボクって暗いかな!?
「ね、ねえ!ちょっと!」
何度も声を掛けても引き留めても彼女は我が道を行く。ニコニコと笑顔でボクの腕をぐいぐい引っ張っていった。男のくせに情けない。意外と力があるのか彼女の腕を振り解けないことにまず驚いた。ボクははっきりと断ることもできないまま突如現れた謎の女子高生ジャスティスと名乗った女の子と二人で繁華街を歩いた。男と女。傍から見たらカップルに見えるだろうか。ふと、先日シオンと地元の商店街で会ったことを思い出して。シオンと二人で町を歩いていても、やっぱり友達同士にしか見られないよな。な、何を思い出しているんだ、ボクは。だけどこの状況はまずい。きちんと伝えなければ。ボクの、ボク自身の気持ちを。
「ね、ねえジャスティス、さん?あの、ボク話が…」
「あ!ねえねえあそこのお店見てみようよ!」
彼女が言ったそこはスポーツ用品店。ジャスティスはにこにこと笑っている。
「私、制服とか可愛い洋服とかよりもジャージの方が好きなんだよね」
「…まあ確かに動きやすいしね」
「でしょ?」
あ、笑った顔、可愛い。こうして見るとどこにでもいる、普通の女の子だ。
「行こうよ早く!」
「え、あ、ちょっと待って!」
それからはほとんど彼女に連れ回されるという形でぐいぐいと彼女はボクをリードした。
ゲームセンターでユーフォーキャッチャーをしながらふざけて笑ったり、プリクラとか恥かしいから私パス!とか今時の女子高生にしては珍しい発言をしたり、とにかく驚きの連続だったが明るくていい子だと思った。そうかと思っていたら通りの売店でクレープを食べたい!と言って普通の女の子のような発言をしたりと、二人で一緒に過ごした。その間ボクはずっと複雑な心境のままだった。本筋で話さなくてはいけないことがあるのになかなか伝えられない。そんな自分がもどかしかった。けれど彼女と色々な話をした。なんでボクを好きになったの?と聞けば暗いとこ!とまた即答されて。
「気がついたら好きになってたじゃ駄目なのかな?」
シオンと同じことを言われて、ちくりと胸が痛んだ。やっぱりこういうことは、いけない。ちゃんと、断らなければ。君の気持には答えられない、と。けれど先に口を開いたのはジャスティスの方だった。彼女は繁華街を二人で歩いていた時に多くの通行人と賑やかな騒音の中、歩きながらぽつりと言ったのだ。

「私のこと見てないね」

一瞬、何を言われたのかすぐに理解できなかった。
「え?」
「ずっと上の空って感じ」
「あ、いやそんなことはないよ?」
「嘘。本当は他に気になる人いるんでしょ?」
ドキリと心臓が高鳴る。ボクは何も、言い返せなかった。
「まあ強引に誘っちゃったのは私の方だしね。君のこと、もっと知りたいって思ったのは本当だし。でも中途半端な気持ちはさ─」


「失礼だよ。その人にも、私にも」


「…ごめん」
ボクは彼女の顔を、表情を見れなかった。視線を逸らしぎゅ、と両手を握り拳を作った。
言わなければ。ちゃんと。そして顔を上げて、しっかりと正面からジャスティスと向き合った。


「好きな人が、いるんだ」


「そっか。やっぱりそうなんだ」
ジャスティスは悲しそうな顔して、苦笑いを零した。
「ごめん…ちゃんとすぐに言わなかったボクもいけなかったんだ」
「ううん。私の方こそごめんね」
彼女は明るく笑顔で答えた。
「あーあ!どっかにもっと暗くて影のある男いないかな!」
「え?それどういう意味!?」
「ふふ、私影のある男が好きなんだ!それでもっと暗かったら最高!」
にこにこと笑いながら凄いことをさらっと言ったぞこの子。
「でも、今日は楽しかったよ。ありがとう」
ジャスティスはまた笑った。胸に痛みが走る。ボクが彼女と同じ立場だったら泣きそうなくらい辛い。それなのに、彼女は笑顔だった。
「ううん、えっと、ボクの方こそ…」
「それじゃ、この辺でバイバイしよっか!あ、私先に行くね!」
たた、っと彼女は前に走り出して。
「じゃーね!!また縁があったら遊ぼうねー!今度は友達として!」
ジャスティスは右手をブンブン左右に振ると嵐のように去っていった。突然姿を現して突然消えてしまった。台風のような子だった。きっと思ったらこう!と突き進んでしまうタイプの子なんだろうな。明るくて、元気な女の子だった。
ボクも止まっていた足を動かして駅へ向かう。周りの騒音がやけに耳に届いてうるさいと思った。

生まれて初めて女の子から告白された。
ドキドキした。素直に嬉しかった。
……でも、その気持ちに応えてあげることはできなかった。

…ボクって今モテ期、なの?なんて馬鹿な考えが浮かんだがとても浮かれる気持ちにはなれなかった。あれくらい素直な気持ちでシオンと接することができれば何か変わっていたんだろうか。

[newpage]

帰り道、最寄駅に着いた頃には辺りは真っ暗になっていた。ボクの足は自然とある場所へと向かっていた。住所も、場所も知っていた。自宅への帰り道を少し変えればそこに辿り着ける。本当は、時折その場所を通るだけでドキドキした。今は、どうだろう。別の意味でドキドキして胸が痛い。…ボクは今シオンの住んでいるマンションの前にいた。今日、びっくりするほど驚くことがあったんだ。ボクのことが好きだって女の子が現れたんだ。それを知ったらシオンはどんな風に思うのかな?…やきもち、やいたりするのかな。そこまで考えて我に帰る。ああ、これはもう、完全にあいつのことを好きだと意識している証拠だ。いなくなる。シオンがいなくなってしまう。ただそれを心の中で唱えるだけで胸が痛い。ボクは溜め息が漏れた。しばらく忙しいと言っていた。だから多分シオンは家にいないかもしれない。
いや、いたらいたでなんて顔したらいいかわからないし。でも、会いたい。会いたくない。何しにわざわざここまで来たんだろう。ボクは何をやっているんだろう。と、悩みに悩んでいたその時だ。マンションの自動ドアが開き中からスーツ姿のシオンがマンションから出てきたのだ!!
「シ、シオン!?」
が、口にしてから気が付いた。違う、シオンではない。似ていたが別人だった。男性はとても驚いた顔をしていた。恥ずかしい。
「ご、ごめんなさい!人違いでした!」
「待って」
慌ててその場から去ろうとしていたボクの右腕を男性は掴んだ。その男性に呼び止められたのだ。近くで見れば見るほど本当にシオンに似てる。シオンをもう少し柔らかくした感じの優男だ。黒髪に彼と似ている赤い瞳。けれどシオンより明るめな朱色っぽい。
「君、シオンの知り合い?」
その発言に今度はボクが驚かされた。もしかして親戚なのかな。
「あ、は、はい、そう、です」
「シオンに会いに来たんでしょう?ボクも会いに来たんだけど、今留守みたいだよ」
「そ、そうなんですか…」
男性はにこにこと微笑んでいる。
「…あ、あの、もしかしてシオン、さんのご親戚か何かですか?」
「うん、まあ、そんなところ」
男性はいたずらっぽく笑った。あ、笑った顔もシオンに何処となく似ている。
そして男性に上から下まで見られて。…なぜだろう。もの凄く視線を感じる。見られてる。
「あ、あの?」
「ああ、ごめんね。いや、珍しいと思って。シオンを呼び捨てにできる子がいるなんて。高校生だよね?仲良いんだね」
「えっと、その…はい…」
はい、と答えてしまって少し罪悪感が生まれた。シオンとボクは決して友達、という関係ではない。
「これからもあいつと仲良くしてやってね。それじゃ、また」
男性はそう告げるとボクに背を向けて駅方面の道へ歩いて行ってしまった。ボクはしばらくその男性の姿が見えなくなるまで見ていた。本人には会えなかったがまさか親戚の人と遭遇するとは。シオンに似ていなかったら気が付かなかったかもしれない。わざわざ自宅まで来るということはもしかしたらシオンと親しい人なのかもしれない。シオンをあいつ呼ばわりしたり、顔も似てたし。…まあ、これ以上考えても仕方がないか。ボクも帰ろう。
──……帰宅後、いつもの習慣でポストを開ける。何も入っていない。空だった。


──二日後、ボクは意外な形で先日の男性の正体を知ることとなった。今日は土曜日でルキからクレアさんが家に来ているよと連絡をもらいボクは気分転換もかねてルキの家に遊びに行った時のことだ。シオンがこの場にいないことが少し寂しくて、でも、ほっとした自分がいた。
「はい」
クレアさんは挨拶もそこそこにボクがルキの家のリビングに入った途端、A4程の茶色い紙袋を手渡してくれた。
「あ、あの?」
「いいからいいから」
ボクはクレアさんに促されるままルキの家のリビングにあるソファーに座らされる。ボクの右隣にクレアさん、左にはルキが座った。ここから見えるキッチンではルキのママさんがいて、しばらくして温かいココアを淹れてくれて、手作りのクッキーを持ってきてくれた。丸いクッキーの中にいびつなクッキーもあって、それはルキ作らしい。お菓子は後で頂くとしてボクは紙袋の中身を出した。それは一冊の絵本。その絵本の表紙にはいつか見たクレアシオンとことりの絵で「なつのおはなし」と描かれていてボクは両目を大きく見開いた。
「え!?あの、これ!!」
「そう、まだ店頭にだって並んでいない。出来上がったから特別に持ってきたんだ」
「…でも」
「こーいうときはコネを使うのもありだよアルバさん!」
ルキはファンピーを飲みながらウインクした。
「何処でそんな言葉を覚えて来たんだよルキ…」
「一度断られちゃったけど、やっぱり読んでもらいたかったからね。持って来ちゃった!遠慮せずに貰って欲しいな」
「あ、ありがとうございます…!!本当に…後で読ませて頂きますね」
自然と顔が綻ぶ。本当にいいのかな、と思ったが気になっていないわけじゃなかったしやっぱり嬉しいものは嬉しい。ボクは大切に紙袋の中に絵本をしまった。
「うん!」
クレアさんも嬉しそうにふわりと微笑んだ。そして、ボクはある話題を持ち出したのだ。
「あ、そういえばこの前シオンの親戚の人に会ったんです」
「親戚?」
クレアさんは言った。
「はい。とてもシオンに似ていて、始めはボクもシオンとその人を間違えてしまって」
するとクレアさんは口元に右手を添えて、何か考えことをするようなポーズを取りながら言葉を続けた。
「………多分その人レイクさんだよ」
「レイクさん?」


「シーたんのお兄さん」


「え!?シオンの!?」
驚きのあまりつい大きな声を出してしまった。どうりで似ているわけだ!シオンに出会ってからというもの、クレアさんのことといい、ルキとクレアさんの繋がりといい、今度はシオンのお兄さんときた。なんだかボクは驚かされてばかりだ。
「どうりで!!というかシオンってお兄さんいたんですね!」
「うん。そっか、アルバ君知らなかったんだね。レイクさんいい人だよ。顔そっくりなのにこれまた性格が全然違うんだよね〜兄弟だからシーたんに似ている所もあるけどドSじゃないよ。仕事だってもうシーたんなんかより数倍優しく色々教えてくれてさ!何より殴らない!ここ重要!」
「あ…そっか、シオンの後任って…お兄さんのことだったんですね」
あのシオンが安心して任せられる相手と言った時、どんな人なんだろうとは気になったけれど成程、お兄さんだったのか。
「そっか、やっとシーたんアルバ君に話たんだ」
「はい…アメリカ行きの件、聞きました……」
ボクは俯いて、両膝の上でぎゅ、っと両手を握った。
「アルバさん…」
ルキが不安げな表情をしている。ボクは彼女に笑いかけた。
「…いなくなるって、思っていなかったから、自分でも、こんなに落ち込むなんて思っていなくて…」
「自覚したんだね、自分の気持ちに」
クレアさんの言葉に、ボクはこくりと頷いた。ルキはボクの気持ちを知っている。
だからなのか、彼女は何も言わず大人しくボクの横に座っていた。
「でも…ボク、まだシオンに伝えていなくて…」
「え!?まだ伝えてないの!?」
クレアさんの言葉にルキが突然ソファーから身体を斜めにさせてクレアさんの顔色を伺った。
クレアさんとルキはお互いに顔を見合わせている。なんでそんなに二人とも驚いているんだろう。
「…あの、どうしたんですか?」
「だってシーたんは─」
「まってクレアさん」
ルキが、割って入る。
「アルバさん、本当に何も知らないの?」
「え?何が?」
「最後にシオンさんと会ったのは、連絡したのはいつ?」
「えっと…三日、四日前ぐらいだったかな?近所の商店街で一緒にご飯食べて…その時にあと一カ月ぐらいでアメリカ行きの件は聞いたけど…」
その瞬間クレアさんとルキの表情に陰りを見せた。
「アルバさん……」
「アルバ君……」
「?」
ルキの表情は陰りを見せたままで。そしてまた、クレアさんと目を見合わせて。なんだ?
「何?二人ともどうしたの?」
「…アルバ君、今すぐ帰った方がいい」
「え?」
「あいつ、手紙を書いていたんだ。この前」
「へえ、久しぶりですね!手紙なんて。ここの所会うかメールのやりとりでしたから。あ、でもまだ読んでないんですけど」
「うん。そうだと思う。変だと思ったんだ。今の君の態度に少し違和感を感じて気に掛っていたんだけど…すぐに手紙を確認したほうがいい」
クレアさんの真剣な表情、低い声になんだかいつもの優しいクレアさんのイメージから逸れて少し、怖い。
「クレアさん?どうしたんですかそんな、真面目な顔して」
「アルバさん、私もそうした方がいいと思う」
「ルキまで?」
ルキはそのまま俯いて黙ってしまった。何、なんだこの空気。やけに重い。
「……わかりました。今日は帰ります」
「うん…」
「アルバ君、またね」
ボクはクレアさんとルキ、ルキのママさんに別れを告げてルキの家を出た。腑に落ちない。二人はボクに何かを伝えようとした。でもそれをしなかった。急に変わったあの態度、まず間違いなくシオンのことだろう。
ルキの家からボクの家は徒歩数分足らずだが、自然と早歩きになっていた。

二人の表情はとても真剣で、でも、怖いくらいで。
何よりもシオンが書いていたという手紙の内容が気掛かりだった。嫌な、胸騒ぎがした。

数分後自宅前、急いで郵便受けを開けた。そこには、ダイレクトメールの他に、一枚の白い洋封筒があった。それがシオンからの手紙だとすぐに気がついた。手紙を手に取って見るとやはりシオンからのものだ。しかしその手紙には速達のスタンプ印。嫌な予感が益々強くなる。ボクはいますぐ中身を確認するためその場で封筒をビリビリに破いて手紙を取り出した。数枚の便箋。冒頭には簡単な挨拶と、そして。
『前に貴方は聞きましたね、どうして一番初めに手紙を送ったのかと』
ごくりと喉が動いた。
『こんな機会でなければ話すことはないかもしれません。だから白状します』
ボクはゆっくりと文章を読み進めて行った。
『話が、してみたかったんです。本当は声だって掛けたかった。でも、できなかった。ルキに紹介してもらうのも一つの手でしたが、それは頼りたくない選択でした。貴方のことをルキから色々と聞いていたくせに、自分でなんとかしたかった。我ながら面倒な性格をしていると思います。臆病な自分に腹が立ちました。けれど手紙なら、文章ならば口にできないことでも形にすることができる。だから捨て身を覚悟で手紙を書いたんです。返事何て期待していなかった。でももし、返事が届いたら…そう思うと毎日気が気じゃありませんでした。けれど、貴方はそんなオレに返事を書いて寄越してきた。ああ、なんて素直で馬鹿な人だと思いました。……けれど、嬉しかったです。本当に。返事なんてもらえないって覚悟していたのに文通を通して貴方を知れば知るほど欲張りな自分がいました。もっと知りたい。もっと話がしたい。こんなこと、みっともなくて口に出して言えるわけがないでしょう?』


胸の奥が詰まる。手紙を持つ左手が震える。



『明日、日本を発ちます』



え………?

何度も何度も「日本を経ちます」を目で追いかける。嘘だ、だって、会ったのは、ほんの数日前なのに。
なんで。どうして。どうして。

『正直焦りはありました。貴方と手紙のやり取りをしていた頃にはもうアメリカ行きは決まっていましたから。最後に会ったあの日、本当は伝えなければいけなかった。けど、言えなかった。オレは嘘を吐きました。同じなんですよ、結局オレも逃げたんです。貴方から。貴方がこれを読んでいる頃には、もう空の上でしょうね。…本当は、離れる前に貴方から、きちんとした返事が欲しかった』


溢れてくる感情の波に、涙が滲む。視界がぼやける。


『男ですみません』


ぽたり、ぽたりと手紙に涙が落ちて。インクが滲む。
シオンに謝らせてしまった。
ボクはシオンに伝えられなかった。
違う。ボクは、ボクは…


『好きです、アルバ』


涙は、止まらなかった。
手の中の手紙はぐしゃぐしゃのしわしわになった。


[newpage]


ずるいと思った。
こんな別れ方は汚いと思った。

ずるいよ、シオン。言いたいことだけ手紙に書いて送って、自分だけいなくなってしまうなんて。でも、これは罰だ。ちゃんとシオンと向き合わずに逃げてばかりいたボクにバチが当たったんだ。焦って、告白してきた理由はちゃんとあった。旅だってしまうから、時間がなかったから。だからシオンは焦っていたんだ。それなのに、それなのに文通なんかしちゃって、最近になってやっと会って話ができるようになったばかりなのに。

むしゃくしゃして落ち込んでいつの間にか眠っていたのか時刻はもう深夜だった。部屋の中は真っ暗だ。しわくちゃになった手紙は机の上に放り投げたままだ。ボクはゆっくりと顔を伏せていた枕から顔を離し、ベッドから起き上がって机の上に充電器と繋がれたままの携帯を持った。クレアさんに、メールを送るために。クレアさんの連絡先は前に会った時に聞いていた。勿論内容は、シオンに関すること以外のなにものでもない。深夜に送ってしまうのは申し訳ない気がしたが今すぐ送りたかった。だってボクはまだ何も伝えてない。


『シオンの現住所、居場所を教えて下さい』、と。


翌朝、八時頃だろうかクレアさんの電話がアラーム代わりに目が覚めて。枕元に置いておい携帯電話に出ようとして切れてしまい、ボクは慌てて折り返しの電話を掛けた。
「も、もしもし!」
『あ、ごめんね、こんな朝早くに』
「いいえ、そんな、大丈夫です」
やや間が合って。
『……アルバ君、あの、大丈夫、なわけないよね』
「………いえ、その、だいぶ落ち着きました。昨夜は一人で落ち込みまくってましたけど」
あはは、と乾いた笑いが零れて。でも、クレアさんは何も言わない。
「ボク、あいつに嘘を吐かれました。まだこっちにいると思っていたから…」
『………』
クレアさんの言葉が詰まったような、息遣いが聞こえた。
「……手紙、書こうと思うんです。あいつに」
『そっか』
「あいつ、ずるいです。ずるくて汚くて、こっちの気持ち引っ掻き回すだけ引っ掻き回していなく、なって…!」
悲しみと腹立しい感情が沸き上がって、涙声になるのを必死に堪えた。
『だよね。ほーんと、肝心な時に逃げるんだから』
「はい」
ボクはごしごしと目に溜った涙がこぼれ落ちる前に右手で拭った。
「まだ、間に合いますよね?」
『アルバ君…』
間に合うって言って欲しい。
「間に合わなくても返事よこして来なくてもボクは手紙を出し続けますけど」
『それに今は海外にいても電話やメールだって送れる。無料で使えるインターネット電話サービスがあるのは知ってる?』
「あ、はい。使ったことはないですけど聞いたことはあります」
『シーたんのID教えてあげるよ』
クレアさんの言葉にボクはドキリとした。
「え、あの、いいんでしょうか。ボクが勝手に知ってしまって」
『いいのいいの!嘘吐いて勝手に海外行っちゃうシーたんなんかもっと悪質だよ!あ、ちなみにこれチャットとかも送れるから。後でオレのIDも送っておくから試しに後で通話してみよう〜!ってああ、そうだ!これ専用のマイクとか必要なんだった』
「あ、あの、ありがとうございます!でもその、あいつのことだからいきなり連絡したら拒否られるかもしれないのでここはまず、手紙を出してみることにします」
『あ〜…確かに。シーたんならやりかねない…』
「でしょう?」
自然と苦笑いが出てくる。
『頑張って』
「はい」
ありがとう、クレアさん。話したせいか少し胸につかえていたものがすっきりした。
『それじゃ、後で送るね』
「はい、宜しくお願いします」
電話を切って数分後、シオンのアメリカの現住所とIDがメールで送られてきた。
いくつかの数字の羅列と英語のID文字の中に名前らしきものがあった。『ross』だって。
恐らくシオンが使っているハンドルネームだろう。

…さっきも口にしたがやはり直接話すのは流石に勇気がいる。拒否られる可能性も大だ。だから、手紙を選んだ。あの時のように、はじまりの手紙のように。ボクはシオンに宛てた手紙を書くことにした。書く内容はもう決まっている。さて、と。ふと、部屋の中を見回して、机の上に置きっぱなしの絵本が目に入った。そういえば、まだ、読んでいなかったな。ボクは机の前に移動して座り、「なつのおはなし」をぱらぱらと少しずつ読み始めた。


なつのおはなし。


あついあついなつのきせつがやってきました。
まいにちまいにちつよいひざしがクレアシオンのたいりょくをうばっていきます。
それでもクレアシオンはたびをつづけました。あしをとめるわけにはいきません。
なぜならクレアシオンにはまおうをたおすしめいがあったからです。

そんなあるひクレアシオンのもとにいちわのちゃいろいことりがやってきました。
はじめはクレアシオンもあいてにしていませんでしたが、ことりはクレアシオンのそばをはなれません。
きょりをとってついてきます。「あっちへいけ!」「ついてくるな!」
いくらクレアシオンがおいはらってもおいはらってもついてきます。

まいにちまいにちあついひがつづいているのに、それでもついてきます。
「どうしてついてくるんだ」クレアシオンはたずねました。 ことりはなにもいいません。
ぴーぴーないているだけです。でも、やはりクレアシオンのそばをはなれませんでした。
ふしぎなことにこのことり、そらをとべないのです。
はねをいためているのか、そうではないようですが、とぶことなくついてきます。

そんなあるひ、おおきなまものがクレアシオンのまえにあらわれました。
なにをおもったのか、ことりがものすごいいきおいでまものへたちむかっていきました。
しぬつもりか!クレアシオンは思いました。しかしことりはおおきなとらのすがたをしていかくしたのです。
へんげをしたことりに、おどろきをかくせなかったクレアシオン。
ですが、ことりだったとらはまものにかなうはずもなく、まもののこうげきがあたり、
ふたたびすがたをかえたのはいっぴきのきつねでした。そのすきにクレアシオンはまものをたおしてしまいました。

まものをたおしても、きつねはまだよこたわったままです。ぴくりともうごきません。
そう、このきつねこそ、ことりのしょうたいだったのです。
きつねはことりのすがたをかりてクレアシオンのそばにいたのです。
「どうしてとりになんかへんしんしていたんだ」クレアシオンはたずねました。きつねはゆっくりとあたまをあげて、いいました。
「クレアシオンとおなじめせんで、おなじせかいをみてみたかったんだ」
とべなかったけれど、ときつねはわらいながらいいました。
そのときクレアシオンのむねのなかに、ちいさなあたたかなひかりがやどりました。
けれど、かれにはそのあたたかいものがなんなのか、りかいできませんでした。
ふしぎにおもいつつもクレアシオンはそのきもちをこころのおくそこにおいやってしまいました。そんなふうにおもいながらクレアシオンはきつねをだきあげてあげました。「ほら、これでみえるだろ」だきあげて、きつねにおなじめせんでおなじせかいをみせる。ひろいひろいそうげんといわやまとまっさおなそらがみえました。きれいでした。
クレアシオンはどうしてか、そうしてあげたいとおもいました。
こぎつねはちいさく、よろこびのこえでなきました。「ありがとう」と。

きつねはことりのすがたにはなりませんでした。きつねのすがたのまま、クレアシオンのあとをついてきます。
クレアシオンはきつねをおいはらいませんでした。こうしてクレアシオンときつね。クレアシオンにちいさなともだちができたのです。


今回のお話はクレアシオンと狐の話だった。動物が友達、仲間になるって展開に桃太郎を思い出したけれどこれはこれで先が気になる展開だった。はるのおはなしはクレアシオンの冷たい所ばかり描かれていたけれどこのお話には彼の優しさが少し、見えた気がした。

そういえば、クレアシオンの容姿って シオンに似ている。黒髪で赤い瞳。頭の上には力の源である青い炎。実はシオンがモデルだったりして。ありえる。ボクは本を机の上に置いて、ふう、と一息ついた。クレアさんはどんな思いでこのお話を描いているんだろう。クレアシオンは、何を求めて旅をしているんだろう。鬼退治ならぬ魔王退治への旅か。魔王…。でもラストは魔王と仲良しになって友達になるんだよな。何か理由があるのだろうか。クレアシオンが魔王を退治しなくてはいけない理由が。どうして彼は魔王を倒すと自ら名乗り出たのだろう。

ああでも今は、お話の続きや考察はまた今度にしよう。優先してやらなければいけないことがある。そんなことを考えながら、ボクは久しぶりに右側の引き出しにしまっておいたレターセットを取り出して、便箋を一枚取り出した。

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