はじまりの手紙。***05


シオンに手紙を書いた。投函してから、今日で三日目。向こうへ手紙が届くのは一週間前後は掛るみたいなのでまだあの手紙はシオンの元には届いていないだろう。ボクは思い出していた。手紙の内容を。迷いはあった。けれど、自分で決めた事。そう吹っ切ってしまえば割と落ち着いたまま、ポストへ投函できた。そして今ボクはクレアさんの自宅兼事務所に来ている。リビングに通されてサイドテーブルに腰を下ろしていた。目の前には淹れ立てのコーヒーがある。鼻を通りいい香りだ。さっきクレアさんが淹れてくれたものだ。クレアさんは少し待っててね、と言い残し奥の仕事部屋に戻ってしまった。ここに来るのは久しぶりだ。明日は土曜日ともあって、忙しくないのかと遠慮したのだが、持ち前のクレアさんの明るさで「いいのいいの、大丈夫大丈夫」の一言で済んでしまった。どうやらボクに話があったみたいだ。シオンとの一件があって、ひょっとしたらクレアさんなりにボクを気に掛けてくれたのかな、と思ったら嬉しかった。あの日、ここでシオンと会った時の光景を思い出し、ちくりと胸が痛む。ボクはぼんやりとマグカップに入ったコーヒーを眺めた。
「こんばんは」
顔を上げる。声をかけてきたのはレイクさんだった。いつの間に仕事部屋から出てきたんだろう。気がつかなかった。会うのはあの時シオンのマンションの前で以来だ。そう、シオンの引き継ぎで今は全部レイクさんがクレアさんと仕事を組んでこな している。シオンと同様レイクさんとも幼馴染みだそうで、クレアさんとも仲はいいらしい。小さい頃は三人でよく遊んでいたそうだ。しかし一番驚いたのはこの三人の中でクレアさんが一番年上だったという事実。童顔とはいえ、シオンよりも三つ年上とか詐欺かと思った。
「こ、こんばんは」
まさかこの人がシオンの実のお兄さんだったなんて。少し緊張する。
「あの時以来だね、まさか君がシオンの恋人だったとは恐れいったけど」
危うく飲み物を口に含んでいたら吹き出すところだった。
「ちちちち違いますっ!!こ、恋人って…!!」
「あれ?そうなの?でも二人は両想いだって聞いたから」
タイミングよくがちゃりと仕事部屋のドアの開く音がして、ん〜っと両腕を伸ばしながら姿を 現わしたクレアさんをボクはじろりと睨んだ。
「犯人はクレアさんですね…」
「何が?」
「ボ、ボクがシオンの事を、その……」
クレアさんは口ごもってしまったボクを見て一瞬不思議そうな顔をしていたが、すぐに察したようだ。
「好きって事?えへへー話しちゃった」
「話しちゃったって!なんで話しちゃったんですか!」
「隠す事でもないと思ってさ」
クレアさんはそう言いながらキッチンの中へ入って行った。きっと飲み物を取りに行ったんだろう。
「そうそう。二人が結婚ってなったら、ボクとも親戚になるんだし。ああ、そうだ!アルバ君。今からボクの事をお義兄さんって呼んでもいいんだよ!」
「なにいきなりぶっとんだ事言ってるんですか!??呼びませんよ!!」
天然?シオンのお兄さんって天然なの!?
「そっかあ、残念だなあ」
何が残念なんだ。この人、心臓に悪い。
「でもなんとなくシオンが君に恋をした理由がわかる気がするよ」
「え?」
「アルバ君、いいなって思うし。可愛いよね」
レイクさんに優しく微笑まれてドキリと心臓が高鳴った。同時に罪悪感が生まれ咄嗟に視線を逸らしてしまった。シオンに顔が似ているせいか、複雑ば気分だ。それに可愛いってなんだ。可愛いは嬉しくない。余計だ。
「すごく構いたくなる。シオンとまだ付き合っていないならボクも恋人候補として立候補しちゃおうかな」
「な、な、な!?」
「レーたん、冗談でもそれ言ったら確実にシーたんに消されるよ」
レーたん。前はレイクさんって呼んでいたのにいつの間にかレーたん 呼びになってる。いや、これが 本来の呼び方だったのかもしれない。いつの日かと同じように右手に空色のマグカップを持ってクレアさんはキッチンの奥から出てきた。マグカップからは湯気が上っている。
「もう釘刺されたよ。この前シオンに同じこと言ったらにっこり笑顔で微笑まれた」
「うわあ…」
クレアさんが顔をひきつらせている。どうしてだろう。そしてボクの視線に気がついて。
「シーたん、マジギレすると爽やか好青年並みのキラキラ笑顔になるから覚えておいた方がいいよ」
「そ、そうなんですか、覚えておきます」
「いや〜なんか頭鈍器のようなもので殴られて、額から血が出たと思ったら一瞬三途の川が見えたよ」
「呑気に笑って言ってる場合じゃないですねそれ!?あいつ、お兄さん相手でも容赦ないんですね…」
呆れたように言ったボクにレイクさんははっとした表情をして。数回瞬きをして、ボクを凝視した。
「…いい!お義兄さん呼び!!でもアルバ君にお義兄さんって呼ばれると危ない響きにも聞こえ─」
「違いますから!漢字の意味違いますから!!」
それ以上は言わせないつもりで即効ツッコンだ。
「も〜レーたんはあっちいってて!今日はアルバ君に話があって来てもらったのにこれじゃちっとも話せないよ!」
クレアさんは両手でぐいぐいとレイクさんの背中を押した。
「はいはい、わかったよ。じゃ、アルバ君。ゆっくりしていってね」
「は、はい」
レイクさんは特に文句ひとつ言わず、奥の仕事場へ戻っていった。
「ごめんね」
申し訳なさそうに謝りな がらクレアさんはボクの向かいの席に腰を掛けた。そして目の前にどさりと、キャンパスノートを数冊置いた。よく見ると重なったノートから少しだけ覗かせている表紙がくたびれて古いものから新しいものまである。あれ、さっきまでこんなの持っていたっけ。
「い、いえ…その、あの、流石シオンのお兄さんだけあるなあと」
「でも殴らないよ!ここ重要!!」
そこはボクも大きく頷いた。手が出ないだけマシだと当たり前な事なのに、殴られる事が日常化している方が恐ろしい。
「それであの、ボクに話って…」
そう言いながら、そのノートの一番上のタイトルにボクは僅かに目を見開いた。クレアシオン物語、と書かれていたのだ。ボクは顔を上げてクレアさんを見た。彼はただ、にっこりと 笑ってこう続けた。
「そう、これはクレアシオン物語のプロットだよ」
「え!?」
「これには、クレアシオンの物語が全部詰め込まれている。始めの物語から今後の展開まで全て」
一瞬脳が働かなかった。今さらりと凄い事言わなかったか?クレアさんは確か今、あきのおはなしを描いている筈だ。
「それでね、ここに、アルバ君を登場人物の一人として参加させてもらえないかなって」
クレアさんはトントン、と右手の人差指でノートをつつきながら微笑んでいる。
「は!?え!?」
「お願い!ていうかもうアルバ君モデルで話も殆ど作っちゃってるんだ!ぶっちゃけ嫌なんて言わせないつもりで言っちゃってるんだけどさ!」
クレアさんは両手を顔の前で合わせてお願い のポーズをした。マジでぶっちゃけすぎる。ていうかその言い方ではこちらに拒否権なんてないようなものだ。
「そ、そんな、あの、…なんでボクなんか!?」
「駄目なの…?」
うっ。思わず悲しそうなクレアさんの表情にたじろいだ。
「い、いえ、そんな!驚きすぎて訳わかんないんですけど駄目とかそういうレベルではなくてですね!?」
「じゃあいいんだね!!」
ぱあっと明るい笑顔になるクレアさんに思わず言葉を詰まらせた。
「いや、その、はい、それはいいんですが…」
でもどうして、なんで。混乱している頭はそんな疑問しか思い浮かばなかった。
「やったあ!うんうん、完成して本として形になったら真っ先にアルバ君に知らせるからね!」
「ボクの話ももちゃんと聞いて下さい!ていうかどんな内容にするつもりなんですか!?逆に気になりますよ!」
「それは出来てか らのお楽しみ!」
クレアさんは明らかになにか企んでいるようで悪戯っぽく笑われた。クレアシオン物語。本当に意味がわからない。オウム返しのように何度も何度も疑問ばかりが生まれてくる。どうしてクレアさんは突拍子もない事を突然言い出したんだ。そこまで考えて、はっとする。もしかしたらと一つの答えが心の中に浮かんだからだ。もしクレアシオンのモデルがシオンなら…でもそれは、余りにも身勝手で自己中な思い込みだった。
「─……あの、クレアさんはどうしてこのお話を描いたんですか?」
「どうして?オレは子供達に向けて絵本を描いただけだよ。人のぬくもりと優しさ、そして友達を思いやる心を大切にする思いが少しでも伝わればいいなって」
本当に、そうなのだろうか。少 なくとも今の回 答は一冊目のハッピーエンドの物語のみなら、納得できる。でも、続編の話を知ってしまったあとでは首を傾げてしまう返答だった。続編の彼は人を寄せ付けない冷たい部分を持ち合わせている。けれど…
「クレアシオンは本当は、優しい勇者ですよね」
「うん。優しくて、不器用で、臆病な勇者」
「臆病?」
「うん、脆いんだよ本当は」
ボクの脳裏に一人の男が思い浮かぶ。
「何処かの誰かさんにそっくりですね」
ボクは自然と口元が緩み笑みを作った。クレアさんもそれにつられる様に笑って。
「ふふ、さすがアルバ君。気がついてたんだね。クレアシオンはシーたんだって」
「…はい、なんとなく、そうなんじゃないかと思いました。クレアシオンの容姿は勿論の事、冷たい面を持ち 合わせつつも優しさも持っているクレアシオンは…」
嫌味ったらしく笑うあいつに、手紙だけ残して勝 手に旅立ってしまったあいつに、よく似ている。
「だから必要なんだよ。クレアシオンの隣には、君が」
「え?」
「あのね、アルバ君。作者のオレが言うのもなんだけど、ぶっちゃけクレアシオン物語はあの一番初めの物語で完結させていたんだよ。幸せの、ハッピーエンドの物語。でも思っていた以上に反響があって、続編の依頼があったけど何度も断った。それでも、オレが続きを描く気になったのは、あるきっかけがあったからなんだ」
「きっかけ?」


「シーたんが君に恋をした」


ドキリと心臓が飛び跳ねた。
「アルバ君も知っていると思うけど、シーたんってホンット不器用だからね、超がつくほど面倒な性格しているしおまけに素直じゃない」
「は、はい…」
流石 幼馴染。よくわかっている。シオンがこの場にいたら間違いなくボコられ物件だ。きっと、ボクよりもクレアさんの方がずっとシオンの事、詳しいと思う。それが少しだけ、羨ましかった。
「だからシーたんの背中を後押ししてあげようと思って。シーたんがどういう人物なのか、本当はこんな性格の持ち主で、こんな思いを抱いているってこの本の中に込めてしまおうって思ってたの。せっかく続編描くんだったら好きなように描いたってバチは当たらないよ」
なんて横暴な。世の子供達が知ったらどう思うだろう。知らなくてもいい、大人の勝手な都合だ。でも、親友のために何かを形に残したいっていう考えはなんだかクレアさんらしい。でもちょっと待って?ボクがこの絵本の続編が出たのを知ったのは今年の春で…
「え、ちょ、ちょっと待って下さい! それってつまり、結構前からボクの事をシオンは知ってたって事ですか!?」
「だから言ったでしょ?あんな性格してるくせに本当は不器用で小心者の臆病ものだって」
「ぼろくそに言いますね!」
「オレだって腹が立ってるんだよ。だってまさかマジでアルバ君にアメリカ行きの件話さないで渡米しちゃうなんて思ってもいなかったし。オレ、アルバ君にはちゃんと話してるんだとばかり思っていたから。それがどう?話もしないでさっさと自分は言いたい事だけ手紙書いて残してアメリカ行っちゃうなんて馬鹿じゃないのって」
「うわあ…」
クレアさんシオンがこの場にいないのをいい事に結構ずばずば言いたい放題だ。
「まだ二人が文通を始める前にオレはね、この絵本を通してシーたん の気持ちがいつかその相手に届けばいいなって思った」
「クレアさん…」
クレアさんはそっと目を伏せて。
「シーたんってさ、今は落ち着いてるけど十代の頃色々あってすごく荒れて冷めてた時期があってさ」
「あれで落ち着いてる方なんですか!?」
しまった。今とても大切な話しを切り出してくれたというのに、ついツッコンでしまった。くすくすとクレアさんは笑って。
「アルバ君らしい返答だね」
「あ、あの、す、すみません…でも、その、荒れてたって…」
「うん。シーたんとレーたんの家庭ってちょっと複雑でね。それで、色々あって…」
クレアさんは何か、遠くの記憶を思い出しているようで視線を左上に向けていた。けれど、なんだかその表情はどこか悲しげにも見えた。
聞きたい、でも、あまり深いってはい けないんじゃ?と複雑な気持ちが生まれた。
「それから最近ようやく落ち着いた頃に、ポン!って突然光のように現れたのがアルバ君だったんだ。アルバ君はいとも簡単にシーたんの心を攫っていくように奪った」
じわじわと頬に熱が集まってくる。ボクは俯いて、再び半分以上は減ったコーヒーカップの中身を見つめた。なんか、面と向かって言われると物凄く恥かしい。
「大袈裟過ぎます!止めて下さい恥かしいですよ!別にボクは何も…してないし…」
「ううん、そんな事無い。文通をしていた数カ月の期間のシーたん、すごく楽しそうだった」
きゅう、と胸が締め付けられる。
「好きな人ができたかもしれないって打ち明けられた時は正に青天の霹靂だよ!それから続けてアルバ君の話ばか りするんだ。今日の朝見かけてラッキーだったとか、声掛けたかったとか、本当は仲良くなって話しがしたいんだとか、驚きの連続。信じられる?あのシーたんが自分からそんな言葉を零したんだ。恋ってすごいよね、本当に恋の力って偉大だよ。人間の気持ちを高揚させて人を動かす何倍もの大きな力になるんだ」
益々ボクの気持ちは高ぶっていく。ずるい、そんなシオン。ボクは知らない。
「クレアさん…ボクは…ボクはそんなあいつが、シオンが…」
「うん、好きなんだよね」
ボクは小さくこくりと頷いた。
「だからオレ言ったんだ。シーたんは本当にそのアルバ君って子が好きなんだね、って。そしたらあいつ笑ってた」
クレアさんはそっと視線をテーブルの上のノートに移した。ボク の視線もつられてノートに移る。
「絵本にする事を話したらさ、そしたらシーたん怒るどころか、お前は本当に馬鹿だな、良い年した奴が絵本なんか読むわけないだろって笑ってさ」
クレアさんは話を続ける。
「それでね、いつかシーたんの好きな人がこの絵本を手にとって、読んでくれればよかったんだ。不器用で臆病者のシーたんの素直な気持ちをこの絵本に込めて、少しでもその想いが伝わりますようにって」
「…っ」
ボクは言葉を詰まらせた。胸に込み上げてくる締めつけられるような気持ち。クレアさんがシオンの事、本当に大切に思っている気持ちが伝わってくる。
「でもまさかアルバ君がシーたんと出会う前にこの絵本を手に取ってくれていたのは運命感じちゃったな〜」
「はい、ボクも驚きです」
「このご時世に二人の接点のきっかけは一通のラブレターからで、その流れで文通。出会ってからの猛アピール。おまけにその相手は始めはシーたんの想いを 否定していたくせに、どんどん惹かれていった。そしてすれ違い。けど悩んで悩んで悩み抜いたあげく、自分で答えを出しちゃった」
「あ…」
「しかも二人の間にこんなに早く事が動くと思ってなかったから、絵本が完結してからアルバ君にもこの絵本を読んでもらいたかったんだけど」
明るく笑顔で話しているクレアさんにボクは何も答える事ができなかった。
「本当はこのプロットを読んで欲しいって思ってこのノートをここに持ってきたんだ。でも多分アルバ君には断られちゃうんじゃないかな、って思って見せるのは止めにしたの」
「はい。さすがにそれは、できません」
だからと言って、ボクをモデルとしたキャラクターを登場させ るなんて発想に至るなんて思いもしなかったけれど、そんな大切なものを自分が読んでいいはずがない。
「それに、一ファンとして完成した絵本の続きを読みたいです。楽しみにしています」
「だと思った」
「すみません…」
「変なの!なんでアルバ君が謝るの?お願いをしているのはこっちなのに」
「それもそうですよね」
ボク等は吹き出して同時に笑った。
「だからさ、やっぱりクレアシオンの隣には君が必要なんだよ」
クレアさんはにっこりと笑って再びそれを口にした。顔が熱い。
「ねえ、聞いてもいい?なんてシーたんに書いて手紙送ったの?」
クレアさんは今日初めて、ボクにそれを問うてきた。ボクがシオンに送った手紙の内容を。
「もの凄く単純でシンプルに書いて送りました」
「え?」
ボクは手紙の内容を思い出しながら、自然と笑みになっていた。
「ボクは、ずるいやつなんですよ」
だって、シオンの返答はもう予想がついている。


「物語はどんな物語でも、バッドエンドよりハッピーエンドがいいんです」



[newpage]

── ニューヨーク ロスアパート内 ──


重い足取りでアパートの玄関前まで辿り着いた。まだこちらに来て日は浅い。英語の勉強はしてはいたが、慣れない言語と日本との生活の違いに疲れが見え始めていた。アパートの玄関のロックの解除を数秒忘れて手間取った時はああ本当に疲れているんだなと実感させられた。部屋のテーブルの上に置かれているのは一枚の封筒。真っ白な、洋封筒。あの時の、文通をしていた頃の事を思い出させる。差出人は、アルバさんからだった。アルバさんから手紙が届いたのだ。裏に封筒の裏に書かれた差出人が誰なのか知った時、ぎくりとした。手紙は三日前に届いていたが、忙しさと疲れを言い訳にまだ封を切ってはいない。

怖いんだ、中を見てしまうのが。

まあ、中身がどんな内容なのか予想できる。きっと罵倒されてるんだろうな。一方的にあんな別れ方をしたんだ。嫌われたっておかしくない。けれど諦めるつもりもない。そんな 思いを込めて最後に「好きです」と言葉を書き残したあれは、流石 にやり過ぎたかとも思った。オレは手紙を持ったまま狭いアパート内の自分のデスク前に腰を降ろした。ノートパソコンを置いている簡素な長方形のデスクだ。封を切るのも躊躇う。けれど、気になっているのも事実で。このまま見て見ぬ振りをするよりはいいだろうと、オレはペン立ての中からペーパーカッターを取り出し、手紙を切り、中身を取り出した。一枚の便箋。一番初めに飛び込んできた文字に、大きく心を揺さぶられた。

「は…?」

誰もいない部屋で独り言が零れる。それ程に衝撃的なものだったのだ。もう一度封筒の中身を確認するがやはりこの一枚の便箋のみ。もう一度、読み返す。
「くっそ、あの人は、やってくれる…!」
しかし、なんとも、あの人らしい 。


『ボクも、シオンが好き』


たった、それだけ。
文句の一言もない。たったそれだけの文で。手紙を寄越してきたのだ。

はは、と乾いた笑いが部屋の中で漏れた。なんだ、気にし過ぎていたのはオレだけか。日本を離れると口にした時、アルバさんの瞳が大きく見開かれて揺れて、動揺した表情は今でも忘れられない。「寂しい」と口にされた時は驚いたが確信したと同時に酷く安堵した。ああ、なんだ。ちゃんとオレの事、好きなんじゃないかって。アルバさんがオレの事を本当はどう想っているかなんてとっくに気づいていた。口では「男に興味はない」と否定していたくせに「好きだ」と口にしてやれば、明らかに動揺して顔を赤く染める。その様子にさっさと素直にオレの事が好 きだと認めろよと何度心の中で毒吐いたか。本当に嫌ならドン引きされて嫌悪感に顔を歪める。頭ではわかっていても現実に「好き」という気持ちを認めないアルバさんの態度には腹が立ったし、ショックも受けた。オレは、自分が傷ついた事を表に出さなかっただけだ。本当はいつ本気で拒絶されるのかと思うだけで、怖かった。だからといって逃がしてやるつもりはない。諦める気もない。けれど、オレはあの日逃げた。あの人ときちんと向き合う事もせずに。だから覚悟はしていた。どんな罵りも、別れの言葉を切りだされても、音信不通になってしまっても。それなのに。

ほうら、やっぱり好きなんじゃないですかって笑って真っ赤になるあの人を見下ろしたい。
会いたい。
今すぐに会いたい。
声が聞きたい。会って抱きしめたい。

オレは充電器に繋がれたままの携帯を手に取った。しかし電話を掛けようにも向こうは深夜だ。メールではいつ連絡がくるかもわからない。手紙の返事を手紙で出そうにも一週間前後はかかる。ぐるりと思考を巡らせて、ああそうだ、確かお節介なクレアがオレにアルバさんのIDを送ってきたんだ。それは海外にいても無料で電話もチャットもできる、サービスのアプリだった。PC版と携帯版がある。もしもアルバさんから何もコンタクトがなかった場合はこちらから取るつもりでいた。一年も音沙汰なしにするなんて、冗談じゃない。ものは試しだ。PCを立ち上げて、サービスを起動させる。そしてキーボードに手を伸ばしアルバさんのIDを打ち込ん で検索をかけた。いくつかの数字の中に混じる羅列の中に『brave man』の文字。それにしても前々から思っていたがなんだこのネーミングセンス。勇者って自分で自分を勇者って言っちゃってるのか、あの人。何の勇者で誰の勇者だというのか。アルバさんのIDは簡単に見つかった。しかし、これは運命か偶然か。アルバさんのそれは、オフラインではなく、オンラインの緑マークになっていた。一瞬通話するためのコールをするか否か躊躇ったが、オレはヘッドセットを装着し、マウスを握る右手に僅かに力を込めて、コールを発信させた。……なかなか応答がない。一秒、二秒、三秒と時間だけが過ぎて行く。
「さっさと応答しろこの馬鹿!!」
思わず声に出してしまった次の瞬間、相手側が通話に応答した。
『ドンガラガッシャーン!!』
派手に椅子から転げ落ちでもしたのか、すっころんだような、物が倒れる音がした。しばらくしてガチャガチャと耳元で耳障りな音がして。
『え!?あ、え!?』
僅かにノイズが入り、少々聞き取りづらいが久しぶりに聞いたその声は素っ頓狂な間抜けな声をあげる。自然と口元が緩んで。


「お久しぶりです、アルバさん」


自分の声に緊張が走った。少し、上ずった声になってしまったが気づかぬ振りをした。それに、電話の向こうは今それどころではないだろう。アルバさんは相当混乱しているのかああとかううとかええ!?とか叫んでいる。頭を抱えて混乱している姿が容易に想像ができた。その面が見えないのが少々残念だが。
『………シオン…?本当にシオン……?』
「そうですよ」
『ほ、本当に…?本当に?』
「ああ、かわいそうに。声まで忘れてしまうほど低脳になってしまった んですね、あ!元から馬鹿でしたね!」
『ちゃんとわかってるわ!!ってそうじゃなくて!!』
大きな声に僅かに顔を歪める。相変わらずのツッコミは健在だ。
「顔、見たいんでカメラ回してくれません?オレもわかるようにするので」
『ええ!?』
「なんですか、さっきっからえっとかあっとかそれしか言えないんですか。そんなんだからトイレマンってあだ名付けられるんですよ」
『付けられてませんけど!?意味わかんないし!驚いてるの!!心底驚いてるのそこ察して!!』
ガチャガチャとまた耳障りな雑音がして、カメラに映像が映った。暗がりの部屋に僅かな明かりが漏れているのか、カメラの周りだけ少し明るい。
画質は良い方ではないが顔は認識できる。アルバさんだ。頭にはオレと似たようなヘッドセットをつけて黒と白のボーター服を着ている。最後に別れた時となんら変わりない。そりゃそうだ。オレが日本を離れてからまだ一週間と数日しか経っていないというのに、その顔を見るのが酷く久しぶりのように感じてしまった。向こうも向こうでオレの顔が見えているのだろう。ちらちらとカメラに視線を送り落ち着かないようでそわそわと視線を泳がせていた。
「本当は会って直接面と向かって言いたいんですが、そうもいかないので」
『あ、えっとあの…』
「なに変な声出してもじもしてるんですか。きもいです」
『酷い!!』
するとアルバさんはじ、とこちらを見て。
『シオンだ、シオンがいる…』
アルバさんのその声が、その表情が嬉しそうに言ったように聞こえてしまうとは我ながら重症だ。
『久 しぶり?でもない、か』
沈黙が流れる。お互いにモニター越しに顔を見合わせてはいるがアルバさんはまだ落ち着かないようだ。
「─……オレに何も言いたい事、ないんですか?」
『うーん、あったんだけど、なんかシオンの顔見たらほっとしたというかなんというか…』
アルバさんは胸の前で腕を組みながら言った。
「なんですかそれ」
『あ』
アルバさんは何か思い出したのか眉を下げて、悲しげにその表情を変えた。
「?」
『ごめん』
「は?何いきなり謝って─」
『ボク、シオンに酷い事書かせた』


『男ですみません、って謝らせた』


ギクリとした。
「ああ、確かにそんな事を書いたような気がしますね」
オレはちゃんと普通に話せていただろうか。動揺を隠し冷静な振りを務めた。それは、互いが同姓であるがゆえに書き残してしまった文面の一部。他にも言いたい事はあるだろうに、寄りにも寄ってそこをチョイスしてくるとは。
『すごく、この言葉の重みがずっしりと胸に届いた』
「アルバさん…」
『すごく後悔した。シオンがいなくなってから、事の重大性に気が付いて…ボクのせいで、あんな、』
「別に貴方は何も悪くないです。一方的に思いを伝えていたのはオレの方ですよ?貴方はオレに「男には興味ありません。女の子が好きです」と言っていたのに」
本心は別として。ヘッドフォンの向こう側から、息の詰まる音が聞こえた。
『そんなことない。あんな言葉、書かせるつもりじゃなかった。性別の壁に拘っていつまでも返答を先延ばしにしていたボクのせいだ。答えはちゃんと自分の中にあったのに。ちゃんとわかっていたのに、認めたくない自分がいて、葛藤してた』
それは、素直に彼が悩み、抱いていた本心 なんだろう。
『ボクが恋をしたのは、手紙の中のシオンだった。可憐で優しくて素直で不器用で…守ってあげたいなって思っちゃう人』
「しかし現実は違った。男だと知って幻滅しましたか?」
今更この質問を投げかけるのはどうかと思うが。アルバさんは小さく首を左右に振った。
『ううん。そりゃ男だって知った時腹は立ったけど、シオンはシオンだ。言っただろ?自分の中にちゃんと答えはあったって。男が男を好きになる。偏見はないとか言ってたくせに嘘付きだよね、ボクは。でもボクは…ボクは…それでもシオンの事が…』
アルバさんは最後まで言い切らずに黙ってしまった。しかしこの流れは、と考えた所でアルバさんの方が口を開くのが早かった。
『─…手紙、届いた?』
「…ええ」
『だよね、だから連絡くれたんだよね』
アルバさんの真っ黒な瞳が真っ直ぐにカメラに向けられる。モニター越しに重なる視線。コホンと咳払いをして。
『その、 色々とごめんなさい。でもあれが、ボクの精一杯の気持ちです』
ぺこりと頭を下げてつむじが見えている。そして顔を上げて。


『ボクは、貴方が好きです』


じわじわと顔に集まってくる熱。オレは咄嗟に右手 でPC中央部にあるカメラのレンズを覆い隠してしまった。
『あ!ちょ、ずるい!カメラ隠さないでよ!シオンの顔が見れない!!』
ふざけんな、誰が見せるか、顔全体が熱い。間違いなく赤くなってる。
『シオン!』
「うるさい!」
なんだこれ。まずいやばい、破壊力あり過ぎだろう。ようやくアルバさんが落ちたのに、更に深く落とされたのはオレの方だ。
『ねえいい加減手どけてよ!あ、ひょっとして照れてる?そうなんでしょ!』
「くそが。ガキのくせに調子に乗るなよ」
『そのガキに好きだって言ってきた大人に言われたくないね!』
手が出せないとわかっているせいかいつになく強気の発言だ。
『シオンってさあ、結構可愛い所あるよね』
「はあ?目腐ってるんですか、そうなんですね」
『腐ってないよ!』
それはアルバさんだろうと言い返したい。アルバさんはえへへ、とふにゃりと嬉しそうに笑っている。こちらの顔は真っ暗で見えないだろうに。なに笑ってるんだ。
どこからどう見てもお前の方が可愛いとしか思えない。
「今すぐこのモニターを突き破ってボッコボコにその顔をぶん殴りたいです。今すぐに」
が、素直に言えるわけがなかった。
『へへん、やれるもんならやってみろ !残念でした!』
得意げに自信満々な発言が癪に障る。帰ったら覚えていろよ。なら今度はこっちから反撃してやる。オレは一呼吸おいて、覆っていたカメラから右手を離した。
「──でも、ようやく認めたんですね」
『え?』
「オレを好きだって事」
今度はオレがはっきりと口にしてやればアルバさんは固まった。暗がりプラス、モニター越しだとよくわからないが恐らく顔を真っ赤にしているだろう。
俯いて、アルバさんはこくりと小さく頷いた。その仕草がくそ可愛い。このモニターがなければ今すぐにこの腕の中に抱きしめたい。混乱して嫌がってもだもだしながら小さな抵抗をして顔を真っ赤にしているアルバさんを。
『その、あの、だって、こんなに早く連絡くれるとは思ってなか ったから、ボクも、その、 結構心の準備が…』
「あんな手紙送りつけて、その上告白してきたくせによく言いますね」
『だ、だって!』
「ま、オレはもうとっくに貴方に惚れていましたからね」
ここぞとばかりにたたみ掛けてやればああほら、また絶句して黒々とした瞳を揺らし、オレを見ている。良い表情だ。さっきの仕返しだ。
『おま…もう、ほんと…やめろよそれ!』
「何がです?」
『ワザと聞くな!』
「さあ?ちゃんと言葉にして言ってくれなきゃわからないじゃないですか」
『〜〜〜っ!このドS!!』
ぎゃんぎゃん耳元でうるさい程騒いでいるが悪い気はしない。
「ていうか部屋の明かり消してるんですよね、オレも貴方の顔はっきりと見たいんで電気付けて欲しいんですけど」
『い、嫌だよ! こっちだってもう寝ようと思ってた所にいきなり電話鳴ったんだから!』
アルバさんの事だからどうせ今頃心の中じゃ良く見えてなくてよかった、とか安易に思っているんだろうな。残念だ。
『あの、さ』
歯切れの悪い言い方だった。
『今ならシオンが日本を離れる前に直接好き、って言ってもらいたかったって気持ち、少しわかるかも。その、ボクも機械越しじゃなくて…』
「誰のせいでこんな形で気持ちを確かめあう事になったんでしょうね〜」
『ああもうすみませんでした!ボクのせいだよチクショウ!』
「うわあ…逆切れとか最低です」
『お前本当にボクの事が好きなの!?前々から思ってんたんだけどさ!?』
「好きですよ」
間も与えずに、伝える。今度はオレの番だ。さあ、 もう 一度。


「好きだ、アルバ」


気持ちを込めて伝えてやれば、もう何度目か。アルバさんはまた硬直した。ここまで分りやすい反応されるといっそ清々しく思えてぐだぐだ悩んでいた事がアホらしくなる。しかしふと、アルバさんが微笑んだので、思わずドキリと心臓が飛び跳ねた。しまった。不意打ちを食らった。咄嗟に視線を逸らしてしまいすぐにカメラへ視線を戻した。
『うん…』
アルバさんは小さく、返事を返してきた。否定ではなく、肯定の言葉。なによりもそれが嬉しい。モニター越しでもいい、その顔に、その手に、触れたい。そう思っていたのは相手も同じようでカメラにアルバさんの掌が映ってはまた遠ざかって自分の掌とカメラの位置を見た後に、慌てて左手を引っ込め た。 モニター越しに手を繋ぎたい、いや重ねたいとでも思ってくれたのだろうか。だとしたらやはり可愛いが似合うのはアルバさんの方だ。口にしたら「可愛いって言うな!」と言いながら怒りそうな気がするけど。
「あんまり可愛い事しないで下さいよ。手、重ねたかったんですか?」
『ち、ちが…いや、そうじゃなくて!てか可愛いって言うな!』
ほら見ろ。予想通りだ。ったく…とぶつぶつ文句を言っているが小声のせいかマイクが音を拾えていない。まあいいとりあえず無視しよう。
「オレだって今すぐにでも抱き寄せてキスして押し倒してぐちゃぐちゃに─」
『わーわー!それ以上言わないで!何も言うな!』
「何を今更…」
『いいから!』
これ以上余計な事を口走ればツッコミが入りそうな勢 いだ。
『で、でもほら、遠いよな、アメリカと日本って!』
「そうですね」
無理矢理話題を変えようとしているのが丸分かりだ。
「遠いな…」
ぼそりと呟かれたそれはマイクが音を拾ったは拾ったが、聞きとりづらかった。面と向かって会っていればもっとはっきりと、聞こえていただろうか。感情のこもったその声を。
「寂しいんですか?」
「寂しいよ」
からかうつもりだったが即答されてしまい、拍子抜けだ。微妙な間が二人の間に流れた。以前それを口にしたときは酷く驚いて混乱していたくせに。あっさりと口にしやがった。
『シオン』
「はい」
『待ってるから』
何が、と聞かずともわかっている。


『シオンが帰ってくるまで待ってる』


真直ぐで、しっかりとした声だ。
『でも、たまにはこうやって、話して、欲しいな…』
自分でも目が見開いて相手の顔を凝視したのがわかった。そうしたくもなる。くそ可愛い顔してもじもじしてんじゃねーよ。あれだけ否定していたくせに、自分の気持ち認めたとたんこれかよ!と普段ツッコミなど専門外なオレでさえツッコミを入れたくなる状況だ。
『シオン?』
小首を傾げて名前呼ぶんじゃねえ。わざとか、わざとなのかそれは。
「アルバさん。とりあえず一回死んでください」
『何で!?』
ある意味テレビ電話でよかったのかもしれない。生身で会っていたら間違いなく殴ってた。殴り飛ばしていた。
さて、まずはこれからどうやってじっくりと二人の関係を進展させていこうか。
オレ達はようやくスタート地点に立ったばかりなんだ。

inserted by FC2 system