ボクと弟***01


──三年前──



あれは、星が綺麗な夜だった。キラキラと眩い程の満点の星空。その日はなかなか寝付けなくてボクは窓を開けて星空を眺めていた。ボクの部屋は二階にある。しばらく星空を見ていたら、ふと、気が付いた。いつもは聞こえてくる筈の虫の鳴き声がまったく聞こえていなかった事に。毎日うるさいぐらい鳴いているのに。今日に限って静かだ。風もない。不思議に思いつつもちらりと窓の下を見て、ボクはビクリと身体を震わせた。びっくりしてボクは慌てて頭を引っ込めた。

何かが、何かが窓の下に、いた。

何あれ怖い。黒い塊のようにも見えた。泥棒とかだったらどうしよう。ドキドキと心臓の音が鳴る。恐る恐る下をもう一度覗いてみると、月明かりが差して。誰かが、倒れていた。ピクリとも動かない。窓から身を乗り出してもう一度様子を確認する。やっぱり動かない。寝ているのかな?と思ったがとんでもない。倒れていた人のお腹の辺り、白っぽいシャツの一部が黒く何かに染まっていたのだ。あれは恐らく血だ!
「た、大変だ…!」
ボクはベッドから飛び降りると慌てて部屋を飛び出し階段を駆け下り、急いで靴を履き、外に出た。ボクの部屋の真下。そこに仰向けで倒れていたのは、黒髪の、男の子だった。年はボクと同じくらいだろうか。恐る恐る近づく。男の子の白い服に、真黒なズボン、薄汚れたマントを着ていた。ボロボロだ。マントも、服も、男の子も。ふと気になったが服が大きい気がした。だぼだぼというか、この子の服のサイズと合っていない。でも今はそんな事を気にしている場合ではない。男の子の腹の辺りから黒い血の塊が流れていた。酷い怪我だ。顔もむき出しになっている二本の両腕もあちこち擦り傷だらけ。血の匂いがした。
「ね、ねえ!君!どうしたの!?」
返事はない。
「た、大変だ…どうしよう、だ、誰か、誰か!!」
叫んでもここは町より離れた森の中にある一軒家。家には母さんしかいない。
でも、今から町のお医者さんを呼びに行って戻って来るまでには数時間は掛る。その間にこの子は、だけどボクの魔法は……
「かはっ」
男の子は咳き込んで血反吐を地面に吐き出した。呼吸を繰り返すたびにヒューヒューと乾いた音。迷っている暇はない。ボクは意を決した。男の子のシャツを胸の辺りまで撒くしあげるといくつもの打撲の痕と左わき腹の辺り、斬り傷のような深い傷から血が出ている。血の匂いとその光景に思わず頭がくらくらして目を背きたくなった。ダメだ。しっかりしろアルバ!このまま放置したらきっとこの子は死んでしまう。ボクはその子の身体に向けて両手を伸ばし掌を広げた。大丈夫だ。やれる。掌から温かい光、淡い青い光がその子の身体を包み込んだ。少しずつ打撲の痕が消えていき傷口が塞がっていく。しかし、掌を覆う光は徐々に失われていった。
「…!!」
や、やっぱりボクには…でも、あの方法を選ぶわけには……
「う…」
男の子は苦しそうだ。
「アルバ!」
ボクは顔を上げ後ろを振り向いた。母さんだ。母さんが駆けつけてくれた。
母さんも寝間着姿のままだ。目の前の光景に普段はおっとりとした性格の母さんでも流石に驚きを隠せずに大きくその瞳を丸めて男の子を凝視していた。
「一体これは…とにかくその子を家の中へ運んで手当てをしましょう!町へは私が連絡を入れるわ」
「う、うん…!」
母さんとボクは男の子を家の中に運んだ。入口から一番近くの一階にある母さんと父さんの寝室、空いていた父さんのベッドに。シーツは毎朝母さんが交換しているので清潔だ。





それから数時間後、町からお医者さんが到着し、男の子は一命は取り留めた。微弱ながらもボクの回復魔法が少しは役に立ったらしい。もし、魔法を使っていなければ本当に危なかったかもしれないと告げられた。三日三晩男の子は熱にうなされた。その間にボクは一生懸命看病をした。お医者さんは回復魔法で傷口を塞ぐ事はできても男の子の体力が失われていたせいで魔法の効力が殆ど効かないと言っていた。だから人の手で看病をしてあげるしかなかった。時々、怖い夢を見ているのか男の子のその表情は苦しそうだった。そんな三日目の夜、ボクは男の子の眠っているベッドの横に座り、こくりこくりと船を仰いでいた。
「ん……」
男の子の声に、ボクは意識を浮上させた。今、確かに声が聞こえた。ボクは椅子から立ち上がり、男の子の顔を覗きこんだ。
「あ!」
男の子の瞼がゆっくりと持ちあがったのだ。真っ赤だ。真っ赤な瞳だ。綺麗。うなされていた時も一瞬だけその瞳の色を見た事はあったけどこうやって改めて見ると本当に綺麗な色をしていた。
「こ、ここは……」
男の子の声は少し高く、掠れていた。そして男の子と目が合って、
「よかった!気が付いたんだね!ここはボクのお家だよ!」
ボクが男の子に声を掛けるとその子はくしゃりと顔を歪め、険しい顔付になった。
「……誰だ、お前…なんで、オレ、は……」
男の子はたどたどしく、ゆっくりと話した。
「覚えてないの?君はボクの家の前で倒れていたんだよ」
「倒れていた…?」
男の子はゆっくりと上半身を起こそうとするが、顔を苦痛に歪め再び枕にその頭を沈めた。そして自分の両掌を顔の前まで持ち上げては見つめ、開いては閉じての繰り返しを数回した後、頭に巻かれている包帯をそっと右手で触れた。ちなみに服はボクの水色のパジャマを着ている。男の子が着ていた服は血みどろで手当てをする時に破いてしまったので申し訳ないが処分してしまったと母さんは言っていた。
「ああ、よかった!気が付いたのね」
タイミング良く母さんが寝室にやってきてボクの隣に立った。そして男の子の額に手を伸ばす。額に触れられた瞬間男の子はびくりと身体を震わせたが母さんは気にも留めていない様子で熱を計っていた。
「──…うん、熱も下がったみたいだし、よかったわ」
「よかった。本当に」
意識も戻って、よかった。ボクはほっと胸を撫で下ろした。
「助け、られたんで、すね、オレは……」
「酷い怪我だったのよ。本当に」
「…お世話になりました。治療費は、必ずお支払いします。今すぐ、ここを出て、行きますので」
そう言って男の子がベッドから起き上がろうとしたが身体がふらついて、右手をベッドに付いて体勢を整えた。
上半身を起こしているだけで酷く辛そうだ。
「ダメだよ!まだ寝てなきゃ!絶対に安静!」
「そうね、怪我も治りきっていないんだから、せめて回復するまではここにいてもらわないと困るわね」
「な、なに、をいって、」
「子供が大人に遠慮なんてするんじゃありません。困った時はお互い様よ」
母さんのしっかりとした優しい物の言い方に、男の子は一瞬怯んで。
「オレは子供じゃない!」
「十分子供じゃん。ボクと同じで」
男の子はキッとボクを睨みつけた。
「さあ、わかったならもうひと眠りしなさい」
「いや、だからオレは…!」
母さんはにこにこと無言の圧力を目で送っている。男の子は何か言いたげに母さんの顔を見つめていたがやがて何も言わずに溜め息を落とすと再びその身をベッドに沈めた。母さんは掛け布団を引っ張って男の子の胸の辺りまで掛けてやった。
「良い子ね」
優しく微笑みかける母さんに男の子は酷く戸惑ったようで、その瞳が揺れて顔をふい、と逸らしてしまった。どうしてそんな態度をとるのかボクにはよく分らなかった。
「ボクはアルバ!ねえ君は?」
男の子はちらりとボクの顔を見て。
「名前くらい教えてよ」
はあ、と再び溜め息を吐かれた。なんだよ、その溜め息。
「…………ロスだ」
ぼそりと男の子はぶっきらぼうに呟いた。自然とボクは笑顔になった。
「ロス、ロスっていうんだね!やっと聞けた!君の名前!」
「こらアルバ、静かにしなさい」
「ご、ごめんなさい…」
目が覚めてお話をしてくれた事が嬉しくて、ついはしゃいでしまった。眠るところだったなのに。
「ロス、おやすみなさい」
ボクは笑いかけるとロスは何も言わず瞼を閉じて、顔を背けてしまった。


***



ボクと弟



窓から入ってくる朝日の眩しさに目が覚める。まだ眠い、もっと寝ていたい。だけど早く起きなければ。今日は大切な日だ。もぞもぞと身体を動かしてゆっくりと上半身をお越し、ボクは大きな欠伸を一つ落とすとベッドから抜け出て部屋を出た。


「あ、おはよーロス。ロスの方が早かったね」


一足先に洗面所には顔を洗ったばかりのロスがいた。服は着替えて相変わらず黒が好きなのか上から下まで真っ黒な格好をして、首にタオルを掛けている。そして今日も朝からばっちりきめている三本アンテナ。真っ赤な瞳がちらりとボクを見た。
「朝からその糞うっとおしい顔をオレに見せないで下さい」
「朝っぱらから辛辣な言葉を吐くな!てかお前本当に生意気!背がちょっとボクより高いからって!」
悔しい事にいつの間にかロスの方が背が高くなってしまった。会ったばかりの時は同じくらいだったのに。まだ少しの差だけれど。悔しいものは悔しい。
「弟のくせに!」
「オレは貴方を兄だと思った事は一度もありませんから」
「うぐ、だけどボクよりも年下じゃないか!」
そう、今目の前で生意気な発言をしたのはロスはボクの弟だ。ボクよりも一つ年下。でも、血は繋がっていない。養子だ。三年前、とあるきっかけでロスはフリューリング家の、家族の一員になった。この家にはボクとロスと母さんの三人暮らしだ。父さんは家にはいない。今頃何処をほっつき歩いているのか知らないが旅に出ているのは確かだ。ロスと面識もあるにはあるが顔を合わせたのだって数える程度だ。何せ、ロスを養子にすると言いだしたのは他ならぬこの放浪親父だったりする。ロスの怪我が治りかけていた頃にふらっと家に帰って来てあっさりロスを家で引き取りたいと言いだしたのだ。そのくせ自分はさっさとまた旅に出てしまった。自分の父親ながら、とんでもない人だと思う。

─…ロスは大怪我をして家の前で倒れていた。本当に酷い怪我であの時の事を思い出すだけで胸が痛む。何故、大怪我をして家の前で倒れていたのかロスは今でも口を開かない。きっと深い事情があるのだろう。気にはなるけど母さんもボクも深入りはしなかった。いつかロスが話してくれる時が訪れるまで待とう。ボクはそう決めた。近くの町の大人達はそんなロスを身寄りのない子供なんだと口々に噂した。戦争孤児と言う奴だ。この国は、今でこそ戦争は終わったけれどほんの四年前まで隣国と戦争をしていた。家族を失った人達もたくさんいる。だからきっとロスの故郷は戦争の被害が大きかったのではないかと、一人でずっと生きてきたんじゃないかって、いつかの夜、父さんはそんな話しをしてくれた。

ロスは体力を回復してからも何度も何度もこの家を出て行こうとした。父さんの提案なんて断固反対していたのは他ならぬロス自身だ。十二歳なんてまだ子供だ。それなのに一人でも十分生きていけると。でも、一番ロスを困らせたのはボクかもしれない。泣きながら出ていかないでと引き留めたあれは、いくら子供だったからとはいえ、うんでもあの時は十三歳でそれなりの年だったにも関わらずにだ。我ながら恥かしい。

今日一日は、泊っていって。
明日も、この家に泊って。明後日も、その次の日も。
そうやって何度も何度もロスを引き留めて。

その度にロスと口喧嘩して、だけどいつも許してくれて、ボクの側にいてくれるたのはロスの方で。口は悪いし、すぐに手が出る乱暴者だけれど、本当は優しいやつだってボクはもう知っている。そうして月日は流れてロスは家族になった。いつの間にかこの家で共に過ごす時間が過ぎていき、はじめは心を開かずぶっちょう面だったロスも次第に笑ってくれるようになった。ボクはそれがどうしようもなく嬉しかった。フリューリングの性を名乗る時は相当戸惑っていたようだけれど。でも、今はちゃんと名乗ってくれている。こうして家族になったのに、ロスはボクに何故か敬語で話す。ボクだけじゃない。母さんにもだ。もう三年も経つのに。
崩して欲しいと何度もお願いしても癖のようなものだと流されてしまい、結局そのままだ。
「今日は気合い入れないとね、なんたって選抜試験の最終試験だし」
「落ちますよ。落第決定ですね」
「まだ受けてませんけど!?決め付け良くない!」
選抜試験。それは、勇者選抜試験の事だ。ボクは今年で十六歳。その試験を受ける資格が与えられる。勇者選抜試験とはその名の通り勇者になるための試験だ。その試験に見事合格すれば晴れて勇者になれる。勇者としてその名を登録し、世界中を旅し街に点在するギルドで仕事を受けて報酬も貰う。仕事を受け評価を貰い、たくさん良い評価を貰うと勇者としての階級も上がるシステムだ。世のため人のために尽くす、まさに勇者。と、銘打っているが勇者とは名ばかりだと、便利ななんでも屋、と口にする者もいる。ボクの年齢になれば就職、もしくは高等学部のある学校に通う子達もいるけれど、ボクは進学はせずにこの道を選んだ。家には母さんしかいない。父さんは今頃何をしているのか見当もつかないし、女手一つでボクとロスを育ててくれた人だ。少しでも母さんに楽をさせてあげたい。仕送りだってしてあげたい。勇者として有名になればお金だってきっとたくさん稼げる。そうしていつか、本物の勇者になるんだ。いつか誰かをこの手で救ってあげられるような人間になりたい。それがボクの今の夢。
「でも筆記試験ボロボロだったじゃないですか」
「う、うう…でも合格もらったもん!」
「ギリギリでしたけどね。教会学校の成績だって壊滅的だし、オレが教えてやらなかったら今頃どうなっていたか」
事実だけに何も言い返せない。く、悔しい。すると母さんが洗面所にひょっこりと顔を出して。
「アルたん、ロスたん。ほらほら二人とも早く朝ご飯を食べちゃいなさい」
「「その呼び方はやめて!!(やめて下さい!!)」」
十六歳にもなって、たん付けは流石にない。恥かしい。ロスもこれには同意見だ。ボク等は急ぎ朝食を済ますと近場の町へと向かう支度をした。最終試験を受けるのは町のギルド支部だ。
「二人とも気を付けてね」
母さんが玄関まで迎えに来てくれた。毎朝ボク達が出かけるたびに必ず見送りをしてくれる。今日のボクはこの日のために装備だって新調したんだ。胸にはシルバーの鎧に腰の後ろには剣。後はオレンジのシャツにグリーンのハーフパンツ。手袋やブーツだって動きやすいものだ。ロスに至っては特に鎧など装備をせずに軽装だった。でも相変わらず上から下まで全身真っ黒な格好。背中には身の丈ほどのバスターソード、大剣を装備し、赤いスカーフが首元で揺れていた。
「いってきます」
「…いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
森を一時間ほど歩けば一番近い港町に着く。のどかな港町だ。
「ねえ、どうしてロスは受けないの?勇者選抜試験」
ボクは森の中の小さな細道を歩きながらロスに言った。
「俺は勇者になる気はありません。あくまで戦士です」
勇者以外にも選べる職業はある。戦士に魔法使いにモンクと、まあスタイルは人それぞれだ。ロスはその見た目細腕に似合わず馬鹿力で大剣を振り回して戦う。勇者よりも戦士として戦うほうがいいらしい。ボクは素早さが高いから勇者よりもシーフ向きだと言われたんだけど、ボクがなりたいのは勇者だ。ロスは…ロスはボクより一つ年下で今は十五歳だけど、頭脳明晰、魔法のセンスも抜群で、その高い戦闘力が認められ特例で試験を受けられるそうだ。悔しいけどロスは強い。下手をしたらそのへんの大人よりもずっと。前に家に迷い込んだ凶暴な体長二メートル以上はあるベアのモンスターを一人で倒してしまった事がある。ボクが恐怖に怯え家の外に出た頃には、モンスターの息の根は止まっていて、そこにロスが一人、立っていた。
血のこびり付いた大剣を持って。それも全て一人で生きてきた経験のおかげだと、教えてくれた。
「貴方こそ、どうしてそこまで勇者にこだわるんだか」
「知ってるだろ?ボクがクレアシオンに憧れてるって事」
またその話しかとロスはげんなりした顔でボクを見た。
「一言目にはクレアシオンクレアシオンっていい迷惑ですよ、ほんっとうに」
「かっこいいじゃん。それにボクだって誰かを守れる人になりたいよ。クレアシオンのように」
「本物を知りもしないで良く言いますよ」
不機嫌な低い声だった。
「少なくともお前よりは詳しいよ!」
ロスは人を小馬鹿にしたような視線で思いっきり鼻で笑った。
「うわあきもいです。クレアシオンもドン引きレベルです。なんですかストーカーですか」
「違うわ!!純粋に憧れてるの!」
ついツッコンでしまったが相変わらずロスは面白くない顔をしている。クレアシオンの話題を振るといつもこうだ。必ず機嫌が悪くなる。クレアシオンというのは、勇者クレアシオンの事だ。この国で彼を知らない人間などいない。それ程の有名人だ。けれどクレアシオンはこの国の人間じゃない。正確には隣の国、帝国の出身だ。四年前この国と帝国との戦争で身分を隠し、世のため人のため自分の身分すらも関係なくこの国の人達のために戦った勇者。どうしてこの国のために戦ったのか、その理由は恋人がいたんじゃないかとか、この国で生まれた義勇軍のリーダーで、親友や仲間がいたとか色々な噂もある。当時まだ十代だった彼の強さは圧倒的で常に戦場のど真ん中で先陣を切って戦っていたらしい。いつしか人々は彼を英雄と、勇者と呼ぶようになった。ボクもそんなクレアシオンに憧れている一人だ。だからボクが勇者に憧れるのは、彼の影響が大きい。けれど、三年前クレアシオンは行方不明になってしまった。そのせいでこの国は大騒ぎになって政治にも影響したとか。暗殺、死んでしまったのでは?というよくない噂もある。難しい事はよくわからないけど、いなくなってしまったのは事実だ。戦争が終わって平和になったのは良いことだけどクレアシオンの勇士がもう聞けないのは寂しい。戦時中、彼の噂を耳にするだけで子供だったボクはワクワクしたものだ。
あの頃は、人が死ぬ痛みを理解していなかったただの子供だったから。戦争が悲しい事だっていうのはなんとなくわかっていた。だからクレアシオンのお話は、ボクにとって楽しみの一つだった。だからボクは彼が死んだなんて、とてもじゃないが思いたくもない。きっとどこかでひっそりと生きているに違いないんだ。そう思いたい。
「そんなにそいつが好きなんですか」
「好きだよ」
あ、更に不機嫌な顔になった。なんでそんな顔いつもする─
「ふご!!」
思考はロスに殴られ、見事に遮られた。腹を思いっきり。う、うおおおお相変わらず滅茶苦茶痛い…
「お、お前なんでいっつもいっつもそうやってボクを殴るんだよ!」
「そこにアルバさんがいたからです」
「ひどい!」
「ったく人の気も知らないで…」
「どういう意味?ふごお!!」
うう、くそ、また殴られた。
「無駄口叩いている暇があるならさっさと歩いて下さい」
「歩いてる!それ妨害したのお前だよね!?」
そんなボクを無視してすたすたとロスは先に行ってしまう。しかし数歩歩いた所でぴたりと止まり、振り返った。
「…会ってみたいですか?」
「え?」
「クレアシオンに」
「そりゃ会えたら会いたいよ!でもボクにとっては雲の上のような人だから無理無理」
なんて笑い飛ばしたら、ロスは真面目な顔をしてじ、とこちらを見つめていた。なんだ?急に。
「ロス?どうしたんだよ?」
「いえ、なんでもありません。やはりアルバさんのようなアホで馬鹿な人に憧れを抱かれるなんて可哀相だと憐れんだだけです」
「お前なあ!!」
ボクの叫びなどものの見事に無視してロスはまた一人、先に歩いて行ってしまい、ボクは慌てて後ろ姿を追い掛けた。





港町に着くとボク達は早速ギルド支部へ向かった。この港町は小さな町でのどかな町だ。漁船もそんなに頻繁に出ているわけでもない。でもここの魚は美味しくてちょっとしたグルメの雑誌に取り上げられた事もある。遠方から来る旅行者も少なくはない。山奥に住んでいるボクにとってこの町は第二の故郷とも言える。小さい頃はこの町の教会学校に通っていたし友達も皆ここに住んでいる。そうしてボクは、ボク達は今、ギルド支部の前に立っていた。すごく緊張する。ここが、ギルド支部。中に入るのは初めてだ。緊張した面持ちでギルド支部のドアノブに手をかけた。早速ギルドの中に入ると壁一面には貼り紙がしてあり、掲示板にも小さなメモや貼り紙がびっしりと貼られていた。ひと際大きな貼り紙にはモンスター討伐Aランク〜Eランクまでのランク付けされたものがある。体格の良い男連中や、魔法使いだろうか、いかにもって感じの黒いローブを着た髭を生やした老人もいる。その光景に目移りし、ドキドキと胸が高鳴った。
「お、来たな」
ボク達に声を掛けてきたのは金髪の青年、フォイフォイだ。年は二十代でボク達の先輩勇者にあたる人だ。今は勇者って職業だけど昔から色々な仕事をこなして来たらしい。戦争にも出兵して、戦った経験もあると聞いた事がある。過去の戦歴を何故かやたら得意気に中等部の頃に一度は経験する恥かしい経験のごとく大袈裟に脚色して話しを聞かされた気分になったけど。だってオレの中の闇のエネルギーが増幅されていくとか意味分かんないしありえないから。つい、ツッコンじゃったけど。
「フォイフォイ!いつこっちに帰ってきたの?しばらく仕事で町を留守にしていたのに」
「ああ、つい昨日な。そこでてめーらと面識のあるオレが最終試験の試験官に選ばれたんだ。感謝しろよ?」
「で、最終試験とは何をするんです?まあ予想はついていますが」
ロスはフォイフォイに尋ねた。
「ああ、まあ、今更勇者選抜試験の建前的なおさらい説明はすっとばすとしてだ」
「え、すっとばしちゃうの!?」
「今更話すまでもねーだろ」
「ボクは大事な事だし聞いておきたいかなあって思ったんだけどな」
ボクのおさらいにもなるし。
「ちゃっちゃと話し進めて下さい」
「ちょっとロス、ボクはまだ─」
「ええい!進行の邪魔だ!大人しく黙ってろ!」
「ぐふ!」
なんでボク、ロスに顔殴られてるの。うう…さっきっからこんなのばっかりだ!手加減というものを一切しないから、地味に痛い。
「なら話し続けるぞ」
「はい」
「人を殴り飛ばして普通に返事するな!」
ボクは痛む右頬を撫でた。くっそこうなったら仕方ない。大人しく諦めてボクはフォイフォイの話しの続きを待った。
「ここからは実技試験だ。モンスター退治のな」
「「!」」
「や、やった!」
ついに来た実技試験!筆記試験の次はとくれば、実技だと予想はついていたけど、モンスター退治なんてすごく勇者のやることっぽい!
「喜んでいる場合ですか、アルバさん超弱いじゃないですか。魔法だって微弱のものしか使えないし」
ロスに超と微弱の部分をもの凄く強調して言われた。
「そ、そうだけど、でも頑張れば大丈夫だよ!!そのために一生懸命剣の扱い方だって素振りだってたくさんやってきたんだ!」
「でも実戦の経験はないですよね」
「そ、それは…でも…とにかく頑張るんだ!!」
そんなボクの様子にロスはこれ以上何も口を開かなかった。
「これから受ける実技試験は討伐モンスターの退治だ。この町のお前らが通って来た道とは反対側、南の方角の道に討伐対象のモンスターがいる。と言ってもランクは最低のEランク。よわっちいスライムだ。だがスライムだと思って舐めてかかると痛い目に合うぞ。お前はまだ勇者にすらなってねーんだからな。ま、一応同行者一名は許可されているが戦士であるロスがいるならまあ大丈夫だろう」
「え、戦士であるって…どういう意味それ?ロスだって今日一緒に試験を受けるんじゃ…」
「あ?なんだ話してなかったのか?」
「オレはとっくに戦士の資格持ってますよ」
は?今、何て言った?ロスと見つめ合い、微妙な沈黙が続く事数秒。
「はああああああ!?何さらっと言ってんのおお!?一緒に受けるんじゃないの!?」
「一緒、アルバさんと一緒にしないで下さいよ」
「うおー!笑いながら思いっきり人を小馬鹿にしたその言い方すげー腹立つ!」
「それじゃ、森に向かうとしますか」
ロスはボクにではなく、わざとフォイフォイの方へ向かって話しかけた。
「華麗に話しぶった切って無視すんな!」
「ああ。オレはここで待機しているからお前ら討伐が完了したら報告にここに戻ってこい」
「わかりました」
「ねえ!無視して話の流れ勝手にしないで!傷つくから!」
だがロスはお構いなしにボクを無視してまたさっさと一人でギルド支部を出て行ってしまった。くっそ、見てろよ、絶対にボク一人でもスライムを倒してやる!


***


と、意気込んでみたものの、ボクは弱かった。スライム一匹相手に苦戦していた。
「はあ…はあ、はあ…はあ…はあ」
小さな一匹の青いスライム。それでも戦えない一般の人達には脅威だ。こいつは森の中の唯一の細道のど真ん中に居座って通行者の進行の妨げになっていた。頑張らなければ。ボクが。ボクが倒すんだ。そう思っていたのに。現実は思うようにいかなかった。剣を振り回せば簡単に避けられて攻撃される。致命的なダメージは食らわないが手は痺れて足は痛い。スライムに攻撃された腹の辺りがジンジンして痛い。一方のロスは戦闘には参加せずただ後ろで見ていただけだった。再びスライムがボクを目掛けてお腹の辺りに体当たりをしてきた。剣でガードをするが間に合わず、服一枚だけの腹に直撃した。
「ぐ、ぐえ!」
やばい、吐きそう。もろにきた。
「ちょ、ロス!お前戦士なんだろ!?助けろよ!戦えよ!!」
「え、どっちに?」
「またそのやりとりやるの!?お前ここに来る途中で遭遇したちびニセパンダに苦戦してたボクも悪いけどその時も戦ってもくれないし今みたいな発言したよね!?」
「ほらほら〜頑張って戦って下さいよ。これは貴方の試験なんですからオレが手助けしたら意味ないでしょうが」
「…!」
もっともだ。そうだ、これはボクの実技試験なんだ。スライム一匹まともに倒せないなんて、この先もっと強いモンスターだってたくさんいるし、こんなところで足止めを食っていたら旅なんてもっての外だ。
「ぴぎゃぴぎゃ!」
くねくねとスライムは攻撃をしてこいとでも言いたげにうねうねと動いている。完全にスライムに舐められてる。プッとロスが後ろで笑った。
「笑うなー!」
「だって、スライムにまで舐められるアルバさんって…」
チクショウ、ロスの奴。ボクは剣を構え直した。スライムがボクに向かって再度飛びかかる。今度こそ!!たん、と地面を蹴り、スライムを視界に捕え、ボクは左手に握った剣を思いっきりスライム目掛けて横に斬りつけた。何かが剣に当たる感触。思いっきり横に振り切った。ボクはその反動で尻餅をついてしまったけれど。目の前のスライムは真っ二つに斬られ。さああと光となって消えていった。
「や、やった…」
倒した。スライムを。ボクが。一人で…!
「やったよロス!ボク、倒せた!スライム倒せたよ!!」
「え?あ、見てませんでした」
「見てろよ!!」
一瞬にして湧き上がった喜びは無残にも砕かれしまった。うう、なんだよロスのやつ!せっかく頑張ったのに…!
「わーおめでとーございますー!」
「すっげー棒読み!もっとちゃんと褒めてよ!」
「スライム一匹倒しただけで舞い上がって本当にお子様ですね」
かあ、と顔が熱くなる。恥かしさと馬鹿にされた怒りと両方だ。ロスの罵倒など嫌というほど聞き慣れているというのに。
「ロス!お前なあ!!今日という今日は─」
ぷえーぷえーと笑っていたロスが、突然真剣な面持ちになった。ピリリと空気が変わったのだ。
「ロス…?」
「成程、討伐命令が出ていたのはその数の多さですか」
何を言って…と言葉は続かなかった。いや、続けられなかった。がざがさと森の奥からスライムが一匹、二匹と続々と姿を現したのだ。ざっと見ただけでも五匹以上はいる。そ、そんな…一匹倒しただけでも大変だったのに。わらわらとこちらの様子を伺っているスライムの群れ。仲間を倒されたせいでスライム達は今にも一斉に襲いかかってきそうな雰囲気だ。ボクはごくりと喉を鳴らした。嫌な汗が背中を伝った。
一斉に、スライム達はボク目掛けて襲いかかってきたのだ!
「!!!」
「チッ」
それは、一瞬だった。何が起きたのかすぐに頭が理解できなかった。ロスがボクの前に立ちはだかった思うと身の丈ほどのバスターソード、大剣を右手に持ったと思ったら振りまわし、一撃でスライム達を一掃してしまったのだ。五匹いっぺんにだ。
「え……」

何。今、何が。

呆然としているボクの前でロスは大剣をひと振り払い、再び背中に装備した。ロスがこちらを向いて。
「さ、報告に町に戻りますよ」
「……………」
ボクはすぐに立ち上がる事が出来なかった。見せつけられた、圧倒的な力の差。胸の奥から湧き上がってくるのは悔しさだけだった。
「アルバさん?」
ボクは左手に持っている剣を強く握りしめて下唇を噛んだ。悔しい。情けない。何もできなかった。動く事すらできなかった。ボクの方がロスよりも…年上なのに、それなのに、全然ボクはダメダメだ。
「悔しいですか」
「…っ」
胸の奥がつかえてじわりと涙が浮んだ。泣くな。泣いたら駄目だ。泣いたらもっと惨めな気分になる。けれど顔を見られたくなくて、ボクは俯いたまま自分の折り曲げた両足をただただ見ていた。
「強くなりたければ勝手に強くなればいいでしょう」
え。


「貴方は勇者になるんでしょう?だったらとっとなってみせて下さいよ」


「ロス…」
ゆっくりと顔を上げるとロスはボクに右手を差し出してくれていた。
「こんなところで立ち止まっているなんて貴方らしくない」
に、とロスは口の端を持ち上げて、笑った。笑ってくれたのだ。じんわりとロスの思いが胸に染み込んでくる。
「ロ、ロス…お前…」
「ほら、さっさと立って下さい」
差しのべられた手を取ろうとして、左手を伸ばしロスの手をしっかりと握った。温かい掌、と思った瞬間その手を強く引っ張られ、バランスを崩したボクの手をあっさりとロスは離し、その反動で見事に前のめりにずっこけた。痛い!滅茶苦茶痛い!地面の砂が口にちょっと入った。
「だっさー!転ぶなんて本当にどんくさいですね!」
ぷーくすくすと思いっきり馬鹿にされて。
「ああもう!感動して喜んだボクが馬鹿だった!本当にお前ってやつは!」
「へえ、喜んでくれたんですか?」
「ああもうそうだよ!ほら!さっさと町に戻るよ!」
ボクは立ち上がりパンパンと両手、両足に付着した砂利を払った。くっそ、ちょっと膝小僧擦り剥いた。血が滲みでている。こういう傷地味に痛いんだよな。でも少しだけ、ううん、本当は嬉しかった。ロスの気遣いが。あれでもロスなりにボクを励ましてくれたんだろう。あ、でもボクの試験の結果これってどうなるんだろう…落ちただろな。スライム一匹しか倒せなかったし。重い足取りではあるがボク等は町へと戻った。


***



──港町 ギルド支部内──



「安心しろ。合格だ」
ギルドに戻り報告を告げると、フォイフォイは言った。
「え、本当に…?一匹しか倒してないのに?」
「ああそれで十分だ。討伐対象は一匹だけだ。だが五匹は予想外だったな。そこんとこ退治出来た成果はでけーぞ。報酬も少し弾んでやれる」
フォイフォイは手に持っている帳簿に右手で持ったペンをくるりと一回りさせると何か書き足していた。
「お金、もらえるの!?」
「ああ、これは正式な討伐依頼だからな」
「や、やった…やったよロス!初任務!初報酬だよ!!」
自然と声が弾む。嬉しい。本当に嬉しい。ロスの成果が圧倒的に大きいけれど。それに試験だって合格できた!!
「あーはいはいよかったですね」
当の本人は興味なさげに、適当な返事した。
「もっと喜べよ!お前のおかげのようなもんだし!」
「別にオレが合格したわけではありませんし」
「そ、それはそうなんだけどさ…でもさ」
「つってもまだ準勇者だけどな」
「じゅ、準勇者?」
ボクはフォイフォイの言ったその言葉をもう一度繰り返した。
「そうだ。勇者見習いだ」
「勇者、見習い……」
見習い。勇者の見習い。まだ正式な勇者じゃないんだ。てっきり試験に合格したらなれるかと…
「ここからが本番だ。これから仕事の数をこなし、評価を受け準勇者から勇者に昇格するって事だ、まあ頑張れや」
「そ、そっか。うん、頑張る」
でもこれでようやく一歩前進できたんだ。勇者になるために。そんなボクの様子にフォイフォイは言葉を続けた。


「─……アルバ、お前魔力を開放する気はないのか?」


フォイフォイのそれに、ボクはぎくりとした。ロスはちらりとフォイフォイを見ただけで口は開かなかった。
「それは…駄目だよ」
ボクは困ったようにフォイフォイに言った。
「元々てめーは魔力がずば抜けて高いんだ、それをそんな魔封じの魔封具なんてもん装備しやがって。おかげでしょぼい魔法しか使えねえ」
フォイフォイの視線は、ボクの左手の辺りを見ている。そっと、ボクはその部分を手袋の上から右手で触れた。フォイフォイはきっと隠された左手袋の下に装備している腕輪を気にしたのだ。魔力を封じる、この腕輪の事を。
「でも使いこなせなきゃ意味がないでしょ?」
「それはそうだがその力を上手く使いこなせるようになれば、間違いなくお前はもうちょっとマシに戦えるようになる。それだけじゃねえ。それにかっけーだろ。オッドアイの方が」
「嫌だよ…目の色違うと、色々とからかわれたりするんだから…」
オッドアイ。それはボクのこの左右の眼の事を言っている。普段は両目とも黒色だが本当は左は赤、右は黒色のオッドアイなのだ。目の色を変えているのはまあ、人目を引くのが嫌な事も、理由の一つではあるんだけど。
「興奮すると赤くなりますけどね、左目」
「よ、余計な事言うなよ!」
「なんだそのイケてる設定!」
「設定言うな!ボクの体質なの!好きでなったわけじゃないのにどこがいいんだよったく…」
変な所でフォイフォイって反応するよな。
「でもごめん、フォイフォイ。どうしても駄目なんだ、絶対に」
「─……わかった。悪かったな。オレも事情をしらねーわけじゃねーし、もう言わねーよ。今日はもう帰っていいぞお前ら。明日また顔出せ」
ふう、とフォイフォイは息を吐き出すとさっさと帰れとでも言いたげな顔をした。
「うん、今日はありがとう、フォイフォイ」
「それでは、お先に失礼します」
ギルドを出ると、夕暮の空になっていた。茜色の綺麗な空だ。もうすこしで日が暮れる。早く家に帰らなければ夜を迎えてしまう。
「夜になるまでには帰らないとね」
「ええ、そうですね」
ボク達はそれ以上は口を開かずに、町の通りを二人で歩いた。森へと抜ける町の入口を目指して。あまり人通りのない道を歩いているせいか、ぱらぱらと歩いている人は少ない。一人、二人とそんなものだ。

ロスは、ボクの事情を知っている。
弱い魔法しか使わない理由も。魔力を抑えている理由も。
さっきのフォイフォイの言葉の意味も。だから何も聞かないし言われない。
だってボクが何をどう思っているのか、知っているから。


「ロス君!」


町の入り口付近で声を掛けてきたのは、知らない女の子だった。ボク達と年も同じぐらいの。髪の長い、白い花の髪飾りが似合う可愛い子だった。
「あ、あの、よかった…まだ町にいてくれて、あの、私…どうしても」
「オレ、断った筈だけど」
女の子は眉を下げ、悲しい顔をした。そしてロスのこの不機嫌な態度。ああこの流れ、またか。
「あ、ボク、席外す─」
「いえ、その必要はないです。もう用件は済んでいますから」
ロスはぴしゃりと言い放った。
「それじゃ。オレ達はもう帰るので。行きますよ」
「え、いいの?」
「いいんです」
ロスはボクの右腕をがし、っと掴むと女の子を置いて歩き出してしまった。しかもかなり早歩きだ。ちらりと後ろを振り返ると女の子はロスの方を見つめていた。
「ねえ、さっきの子結構可愛かったじゃん。勿体無いな、なんで断っちゃったんだよ」
「付き合う気なんてありませんから」
あ、声がちょっと低い。機嫌が悪くなる一歩手前だ。
「ロスって本当に女の子にもてるよなあ、羨ましいよなあ、この前だってさロス君のお兄さんですよね!って手紙渡されたりしてさあ…あれ地味に凹むんだからな」
ロスには浮いた話が結構あるのに、ボクにはまるで縁がない。男として女の子に興味がないわけじゃないけどそれはそれで悲しいものがある。
「人の気も知らないでよく喋るのはドの口ですか。この口ですか」
「いひゃいいひゃい!!」
ロスに腕を離されたと思ったら、かなり強めに両頬をつねられた。涙目になってロスの両腕をバシバシ叩いて抗議するとバチン!と強く叩かれた。うう…痛い。
「オレ、好きな人いますから」
そう、ボクがこの手の話しをふるといつもこの返答だ。好きな人がいる。だから誰とも付き合う気はないって。でも今だに片想いらしい。モテモテなのに。ロスって性格はともかく顔はいいから、告白したら相手の子も絶対NOとは言わない気がするんだけど。
「意外とお前って奥手だよな」
しまった。つい声に出してしまった。お、でも殴ってこない。いつもは絶対殴ってくるのに。が、ロスはもの凄い不機嫌で冷めた目を向けてくる。怖い。結構迫力がある。そんなに聞かれるのが嫌なのかな。でも根が素直じゃないからきっと恥かしがっているんだ。可愛い所もある。ボクももう少し踏み入った話しを聞いてみたい。完全に興味本位からだけど。
「ここは兄として弟の好きな相手を把握しておきたいところだし。なあ、いい加減教えてくれよ。誰が好きなの?どんな子?この町の子なんだろ?」
「死ね」
「いきなり暴言吐かれた!!」
ロスは舌打ちをするとじろりとボクをまた睨んで。なんでこいつすぐこういう目付きするんだか。
「超がつくほど鈍感で馬鹿でアホ面でオレが助けてあげないと何にもできないどうしようもない人です」
「ええ?そんな子知り合いにいたっけ……ボクの知らない子?てかドジっ子?そういうタイプの子が好きなんだ。なんか意外」
「ええオレもほんっとに意外ですよ!なんでこうなったのか…こんの馬鹿!」
「ふごおっ!ちょ、なんでボクを殴るんだよ!」
グーで殴られた。顔を。か、かなり痛い。
「あんたのせいだ!」
「理不尽!意味分かんないよ!」
ボクはロスから逃げるように家に向かう森の細道を掛け出した。






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